第百一話「存在してはならない生き物」
かつてウーだった魔喰獣は、誰を標的とするでもなく知性の欠片もない死んだ目付きで辺りを見渡している。
未知の生物に完全に恐れをなしたチルッタはリヴの体を支えながらも完全に腰が抜けてしまい、へなへなと地面に尻もちをつく。
「ん? なになにおねーさん。魔喰獣が怖いの?」
今にも泣き出しそうなチルッタの様子にシナムは興奮しながら身を乗り出し、その顔が絶望に変わるのを心待ちにしている。
「死者の命を弄ぶとは……貴様、人間の分際で禁忌に触れるか!」
「何熱くなってんの? 魔族のクセに生き物の真似をするなよ」
全身から雷を発しながら怒りを前面に押し出すバートンだったが、そんなバートンを前にしてもシナムは余裕の表情を浮かべる。それほどまでに魔喰獣化したウーの強さに自信を持っており、現に魔喰獣はウーが授かっていた風の加護もまだ扱えるようだ。
「さあ、ウー! 準備運動だ! まずはこの魔族を殺……」
魔喰獣と化したウーにバートンを殺すように命令を下すシナム。その声に応じてウーは巨大な爪を振り下ろすが、その先にあったのはバートンではなくシナムの首だった。
「は?」
空気が抜けた風船のようにシナムの首が吹き飛び、疑問の表情を浮かべたまま地面を転がる。
「ひぃ!」
「ルル! ぼさっとしないで下がるよ!」
震えながらジークにもたれるルルを無理やり引っ張り、ジークは魔喰獣から距離を取る。
だが魔喰獣は妙な動きをするジークに反応し、よだれを撒き散らしながら突進してくる。
「させるか!」
ジークたちを守るため突進する魔喰獣の横からアインが体当たりを仕掛けるが、魔喰獣は僅かに体を揺らすだけでほとんどダメージが無い。
「くっ!」
何とか間一髪突進を回避するジークだったが、その衝撃でもう片方の足もひねってしまう。
「た、大佐! すみません、私のせいで……!」
苦しむジークに駆け寄って涙を流すルルだったが、絶望している時間を魔喰獣は与えてくれない。
「我の存在を忘れてもらっては困る」
再び突進の体制に入った魔喰獣の頭上から雷が落とされる。
魔喰獣は毛を震わせながら感電し、口から煙を吐くものその体を倒すことなく太い足でしっかりと地面を踏みしめている。
「それで済むと思ったのか?」
バートンは何度も手のひらを魔喰獣に突き出し、その度に光の速さで雷が放たれる。
「今の内に距離を取るぞ!」
バートンの思惑は分からないもののこの機会を逃すわけにはいかないと、アインはジークとルルを抱えてチルッタの方へと移動する。
「な、な、なんなの……あの化物……」
未だに魔喰獣の存在が理解できないチルッタの横にジークを下ろし、アインは震えが止まらないルルの肩に触れる。
「ルル、こいつらを頼む」
「で、でも私、足が動かなくて!」
転がるシナムの首が自分を見つめているような気がして、ルルは激しい吐き気に襲われる。
アインは両手でルルの肩を掴むと激しく揺すって真っ直ぐに怯える瞳を見つめる。
「お前しか居ないんだ。ジークを、この女を……そしてリヴを、今守れるのはお前しか居ないんだ! ……頼む!」
アインの言葉にルルの視線がシナムの首からチルッタが支えるリヴへと移っていく。その顔は真っ白で生気がなく、生きているのか死んでいるのかさえ分からない。
だが恐る恐るリヴの体に触れると、非常に小さな鼓動がルルに伝わっていく。
あれほど強力だったリヴの姿がとても弱々しく、幼く見えてくる。それと同時にリヴに助けられた記憶が蘇ってくる。
ジークは両足を負傷し戦線離脱。
オルドは依然として意識を取り戻さない。
だがルルは大した外傷もなく腕も足も動く。
私なら、守れる。
そう思うとルルの体が熱くなり、震えが収まっていく。
「はい……はい! このルル・シャルルーにお任せください! この命に代えても守ってみせます!」
「頼んだ!」
ルルの覚悟を見届けたアインは笑顔を残して再び魔喰獣の方へと走る。
「しぶといな……」
無数の雷を体に受けながらも、魔喰獣は倒れない。もちろんダメージが無いわけではないが、自前の風の加護で攻撃を受け流しているようだ。
「おい、魔族」
多少額に汗をにじませるバートンに声をかけるアイン。
バートンは眉間にしわを寄せながら隣に立つアインの方を見ないまま言葉を返す。
「……我が名はバートンだ。ただの魔族と一緒にされては敵わぬ」
「そうか、ならバートン。お前との勝負はひとまず休戦だ。あの魔喰獣を無力化する、力を貸せ」
肩を回しながら剣を握りしめるアインのセリフに一瞬目を丸くしてそちらを向くバートンだったが、直ぐに視線を魔喰獣に戻す。
「相変わらず生意気な勇者だ。我が力を貸すのでは無い、貴様が我に力を貸せ」
バートンの上から目線の物言いにアインもバートンを見上げながら舌打ちをするが、自分たちに巨大な爪を向ける魔喰獣に再び剣を向ける。
「リヴの事といい、くだらない事にこだわる奴だ」
「愚妹の事は関係ないではないか!」
魔喰獣との戦闘の前に始まってしまいそうなアインとバートンの争いに、呆れた顔を見せるジーク。
「大丈夫でしょうか……」
「大丈夫でしょ。今は信じるしかないよ」
不死の元勇者と魔王の息子。
相容れぬ二つの異分子が、存在してはならない魔喰獣という生き物に立ち向かう。




