傘
「何故だ? 何故、くたばらねー!?」
ホテル非常口扉を押し開き、湯田が姿を現した。その身体は葛城の追い討ちによりボロボロだ。
既にその仲間達は葛城相手に敗れ去っていた。有り得ぬ展開と葛城の恐ろしさに慌てふためく。
「ヘッヘ。待てや湯田」
その後方から葛城が姿を現した。
葛城とて幾多の男達とやり合って来た身。いつ倒れてもおかしくないほどズタボロだった。
しかしその状況にありながら堂々たる表情。その不可解な対比が湯田の恐怖をいっそう引き出していた。
ホテルの外は暗黒の世界。所々に街灯は設されてはいるものの、激しい嵐が全てを支配していた。
「ハァハァ……。誰か助けてくれよ」
茫然自失で逃げ出す湯田。応援に駆け付ける筈だった宝仙達との連絡は取れずじまい。既に葛城に対抗する術は絶たれていた。
そして石畳の遊歩道で足を滑らせ、前のめりに倒れた。
「……嫌だよ。あんな奴の相手は……」
それでも怯えるようにその身を引き摺り立ち上がろうとする。
「みっともねーな湯田」
その後方から声がした。蒼白になりグッと向きを変えた。
その眼前、葛城が降りしきる雨もものともせず立ち構えている。
「な、なんだよ誠ちゃん。……俺になんかしてみろ、宝仙達にブチ殺されんぞ」
咄嗟に虚勢を放った。しかし葛城は動じない。無言で馬乗りに乗りかかる。
「後のことなどどうにでもなるさ」
そして左手で湯田の胸ぐらを引き上げた。
「悪かったって俺の負けだ。一緒に手を組んでてっぺん獲ろうぜ」
「そんなもの、今更いい」
「てっぺん掴むんだろ! ……俺ひとりに手を焼いてていいのかよ!?」
「てっぺんの野望は、とうに捨てた」
葛城が意味深に答えた。
「えっ?」
意味が分からず葛城を凝視する湯田。
だが葛城の表情は揺るがない。
「湯田、今回の作戦貴様らの勝ちだよ」
「作戦?」
意味が分からず返す。
「流石だよな、俺を怒らせてここまで誘き寄せるんだからな」
狂気に笑う葛城。
「マジで大した奴だぜ!」
そして湯田の顔面に拳を打ち込んだ。
「はがっ!」
バックリと唇が割け血が滲む。
しかし葛城は無表情だ。
「シュウの言った通りよ。てっぺんの野望は捨てた。貴様らが琴音をさらった時点で、俺は目標を変えた」
再び拳を打ち込んだ。湯田の鼻が弾けドバっと鼻血が滴った。
「ひゃ、ひゃめてくれ! ……俺ひゃねーんだこの作戦を決めちゃのは」
堪らず懇願する湯田。
「……喋るな!」
脅し込むように倍の力で拳をぶち込む葛城。
「俺は己の体が吹き飛ぼうが、傷つこうが大したことないと思ってるよ。むろん玉木らが襲われようとその想定の内さ。あいつらだってその覚悟は出来とる筈だからな。……しかし琴音はダメだ」
その表情に一切の躊躇いは見られない。正に夜叉の表情。
「俺は傘なのさ。土砂降りの雨から琴音を守る傘」
その言葉と表情が湯田の恐怖感をいっそう高ぶらせる。漏れ叫びそうな声を必死に堪えた。
「てめぇは極道気取って兵隊を送り出したり、イカレた策を練ってるけど、男ってイキモンはそんなもんじゃないのさ」
無表情に小刻みな拳を幾度となく打ち込む葛城。その都度湯田の顔が血で真っ赤に染まっていく。
拳が打ち込まれる毎に激しい痛みが走る。意識が遠退きそうな衝動を覚える。それでも再び走る激痛がそれすら許さない。……声さえ出せない。後悔の念で涙が溢れ出した。
葛城は最初から決めていたのだ。自らが歩き出した棘の道。その為なら命も厭わない。しかしその為に自らの身内が痛みを感じたとしたら、その野望を捨てる決意を……
古い考えだが将来極道としての人生を歩みだす自分。殺される覚悟と、殺す覚悟は出来ていた。
ザアザアと雨は降り続く。
グッと拳を握り締め天を仰ぐ葛城。雨は叩き付けるようにその身に降り注ぐ。
「……終いにしようぜ。こいつで全てのケリを付けよう」
意を決したように湯田を睨んだ。
「……あ……がぁ……あぐっ……」
その言葉の意味とその表情に、湯田の呼吸が激しく鳴り出す。
右拳を大きく上空に引き上げる葛城……
バギーーッ!! 重い衝撃音が闇夜に響いた……
ハァハァと小刻みに息する葛城。血で真っ赤に染まり、砕けた右拳を胸元にかざした。
「……琴音、こいつで勘弁しろや」
サバサバと吐き捨てて立ち上がった。
湯田は気絶していた。その左側の石畳は、大きくえぐれて砕け散っている。
殺す覚悟はあった。だがやらなかった。
懐に左手をいれてなにかを探し当てる葛城。
「……グシャグシャだわな」
ずぶ濡れの煙草を握り潰した。
「俺はまだ学生の身分よ。今回はこれで終わりにしてやるさ」
気絶する湯田を見据える。
「喧嘩は楽しく。それがセオリーだよな玉木」
そしてヘラヘラと笑った。土砂降りの雨が妙に心地よく降り続いていた__




