第三十三話「時 の勇者リン」
氷高流山へ続く道を、一台の馬車が駆けていた。
手綱を握っているのはルノー。
その隣にはジュジュが腰掛けている。
荷台には、リンとバルフェルドの姿があった。
王都を出てから、およそ五時間。
街道を外れ、山へ続く最後の森へと入り、やがてその木々の道を抜ける。
視界が開けた。
目の前に、氷高流山がそびえ立っている。
白く冷たい岩肌が、空へ突き刺すように伸びていた。
その時。
「……ストップ」
ジュジュが、眉を寄せながらそう言った。
ルノーが手綱を引き、馬車が止まる。
「何だ」
「飛龍の気配が……ない」
「何だと?」
ルノーの眉が深く寄る。
「確かなのか」
ジュジュが目を閉じて、再度索敵スキルを発動する。
「……うん。一匹もいない」
その言葉に、沈黙が落ちる。
ルノーは顎に手を当て、考え込んだ。
そして数秒の後、はっと目を見開く。
「まさか……」
ルノーが振り返り、バルフェルドを見る。
「バル。空から王都を見ろ。ジュジュは望遠のスキルをかけてやってくれ」
「うん」
「了解」
ジュジュが手をかざすと、淡い光がバルフェルドの体を包む。
直後、バルフェルドが地面を蹴る。
身体が弾かれるように宙へと飛び上がった。
背の高い樹木を軽々と越えると、空中で体を静止させる。
そして、王都の方角へと視線を向けると——
「燃えてる……?!」
思わず、そう呟いた。
瞬時に音もなく地面へ降り立つと、すぐにルノーへと報告する。
「王都から煙と火が上がってる!」
「……チッ」
ルノーが一度舌打ちをした。
「罠だ。俺たちは誘導された……!」
低く、短く告げる。
そしてすぐに指示を飛ばした。
「バルとリンは先行して王都に戻れ。俺たちもすぐに追いつく」
二人が即座に頷く。
次の瞬間、リンの姿が消えた。
バルフェルドも宙へ浮かび、そのまま王都の方へと飛び出していく。
風だけが、その場に残った。
「……ねえ、ルノー」
ジュジュが、馬車へ飛び乗りながら言う。
「……間に合うと……思う?」
その問いに、ルノーは唇を噛むだけだった。
◇ ◇ ◇
リンは、時間の止まった世界を駆けていた。
灰色に凍りついた景色の中を、ただひたすらに前へ進む。
やがて限界が近づくと、一瞬だけ停止を解除する。
肺に空気を流し込んで足を踏み出し、再び時間を止める。
それを、何度も続ける。
やがて王都が視界に入り始めた頃には、リンの肩は大きく上下していた。
だが、そんなことを気にする余裕はない。
時間停止を解除した瞬間、リンの目に飛び込んできたのは——
崩壊した建物。
割れた地面。
舞い上がる土煙。
——王都は、見る影もなく荒れていた。
リンは思わず唇を噛む。
「なんだよ……これ……!」
少し遅れて追いついたバルフェルドが、慄いたようにそう言った。
リンは、無意識に左手の——紺色のブレスレットを握る。
「ユフィ……!」
震える声で呟いたリンは、荒れた息のまま走り出す。
建物が破壊され、ところどころでまだ炎が燃え上がっている冒険者区画。
黒い煙が立ち昇り、煤の匂いが立ち込める商業区画。
「ユフィ……ユフィ……」
人の声が、聞こえない。
リンはただ名前を呼びながら、一直線に目的の場所へ駆ける。
——冒険者ギルド。
地面に転がる瓦礫に足を取られながらも、ユーフィリアがいるであろうその場所へ必死に走る。
だが——
やがて見えたものに、リンは言葉を失った。
「っ……」
そこにあったのは、山のように積み上がった緑色の瓦礫。
そして——鼻を突き刺す、血の匂い。
リンは、瓦礫の山を見つめる。
そんなはずがない。
……いて、ほしくない。
そう考えるリンは——だが。
瓦礫の下できらりと光った何かに、視線を落とす。
その色は——見覚えのある、銀色。
「ユ、フィ……?」
血の海の上に、だらりと垂れた腕。
その腕には——リンが贈った、銀色のブレスレット。
「ユ……フィ……」
その声は虚しく消え入り、反応は返らない。
リンの体から力が抜ける。
膝が折れ、その場に崩れ落ちた。
リンが震える手を伸ばす。
指先が、ユーフィリアの腕に触れる。
「……ぁ」
伝わってきたのは——冷たい体温。
それは、ユーフィリアとは思えないほど、冷たい温度。
——温かさは、もう戻らない。
リンはその手を両手で包み込む。
そして、嗚咽を漏らした。
涙が頬を伝い、地面へ落ちる。
小さく丸まった背中が、震えている。
「ユフィ……ユフィ……」
嗚咽の合間に、名前を呼ぶ。
「ごめん、なさい……ごめん、なさい……」
繰り返し、繰り返し、リンは呟く。
(何が、勇者だ……)
涙が、落ちる。
(大切な人……一人も、救えずに……)
指が、震える。
(何が……!)
——ふいに、リンの左手の甲が淡く光る。
見ると、そこには六角形の紋章が浮かび上がっていた。
「……なに、これ……」
直後——ドクン、と。
地面が脈打った。
それに呼応するように——六角形の紋章の、左上の一辺が輝き始める。
リンの体に、力が満ちる。
その力の使い方を——リンは、感覚的に理解した。
「……ユフィ」
リンはもう一度ユーフィリアの手を握る。
そして。
その力を起動する。
「戻って……!」
その声に応えるように、紋章が眩く輝いた。
次の瞬間。
その光は、この世界を染め上げた。




