第三十二話「違和感」
朝。
冒険者ギルド本部の最上階から、六人の勇者とウィズさんが階段を降りてきた。
七人はそのまま執務区画に入る。
そしてウィズさんが足を止め、私たち職員に向けて口を開く。
「ルノー君、ジュジュ君、バルフェルド君、そしてリン君に、氷高流山へ赴いてもらう」
そう告げられ、四人は少しだけ前へ出た。
横に並ぶ四人の中で、リンの姿が目に入る。
背筋はまっすぐ伸び、表情には無駄な力が入っていない。
以前よりもどこか落ち着いた空気をまとっている。
凛としていて、気負いもない。
とても頼りになる、最強の勇者。
……でも。
私の胸の奥に、ほんのわずかな引っ掛かりがあった。
うまく言葉にできない、小さな棘が残っているような感覚。
それが何なのか、自分でもわからなかった。
「ゼルジネさんとルミナ君に関しては、万が一飛龍の討ち漏らしがあった場合の保険として、ここに残ってもらう」
ウィズさんの言葉に、二人が静かに頷く。
「それと、同様の理由で他にも有力な冒険者に声をかけている」
そう言ってから、ウィズさんは改めて四人へと体を向けた。
「では、よろしく頼む」
短い言葉。
それに、四人はそれぞれ力強く頷いた。
「じゃ、行ってきまーす」
ジュジュさんが、いつもの調子でひらひらと手を振る。
バルフェルド君は腕を組み、にやりと笑い。
ルノーさんは何も言わず、静かに動き出す。
そして——リンも。
私の方を一度だけ見て、小さく頷く。
そのまま四人は歩き出した。
やがてギルドの扉が開き、四人は王都を出発する。
私の胸の奥に残る、言いようのない不安を——置き去りにして。
◇ ◇ ◇
昼前。
私は、ギルドでいつもの仕事をしていた。
「ふぅ……」
息を吐いて、背もたれに体を預ける。
「先輩お疲れですね」
私に声をかけたのは、隣で作業をしていたメイだ。
「そこまで疲れてるつもりは、ないんだけど」
「……まあ、気になりますよね」
メイは窓の外へ視線を向けてそう言った。
「それもあるけど……」
歯切れの悪い私に、メイが少し首を傾げる。
その様子を見て、私は一度かぶりを振った。
「ごめん。少し外の空気吸ってくる」
「はい。行ってらっしゃい」
メイに見送られ、裏口から外へ出る。
そして気分転換を兼ねた運動のため、建物をぐるりと回りギルドの正面へ歩く。
その場所で、西の方の空を見つめる。
リンたちは、もう西の都に着いた頃だろうか。
そう思った、その時だった。
「あれ、嬢ちゃんじゃねえか?」
背後から声をかけられる。
振り返ると、そこに立っていたのは鍛えられた体をした、褐色で髭面の男性だった。
「あ……黒双翼龍の時のおじさんですか?」
「おじ……」
私の言葉に、彼は顔を引き攣らせる。
「……俺、まだ二十七歳なんだけど」
え?!
「ご、ごめんなさい!」
私は勢いよく頭を下げる。
「謝る必要なんかないですよ、ユーフィリアさん」
別の声が、頭上から降ってきた。
顔を上げると、可愛らしい女性が男性の横に立っていた。
柔らかな雰囲気の女性だが、どこか芯の強そうな目をしている。
「この体格で、髭なんか生やしてるこの人が悪いんですから」
「……ひでえ言い草じゃねえか? クロエよ」
男性が、半眼でその女性——クロエさんを見る。
「そんなことより」
だが、クロエさんはその視線を無視して私に向き直った。
「初めまして、ユーフィリアさん。この”おじさん”のパーティーで事務要員をしている、クロエです」
「こちらこそ初めまして。ユーフィリアです」
私は軽く頭を下げる。
「あの、ところで……私のこと知ってるみたいですけど、どこかでお会いしたでしょうか」
そう聞くと、クロエさんは慌てて首を横に振った。
「ああ、いえ。私は一方的に知ってただけです」
「そうですか」
私はほっと胸を撫で下ろす。
「本当は一緒に働きたいなって思ってたんですけど、このおじさんにスカウトされまして」
「お前……そろそろおじさん呼びやめろよ」
男性がぼそりと言う。
クロエさんは、大げさに肩をすくめた。
「わかりましたよ。シュウさん」
「まったく……」
息を吐いたシュウさんが、今度はふと何か思い出したように目を見開く。
「おっとそうだ。俺ら、ウィズさんに呼ばれて来たんだよ。よければ案内してくれねえか?」
「ええ。わかりました」
私は彼らを連れてギルドのロビーへ入った。
そしてそのまま、裏へと案内する。
執務区画へ足を踏み入れたところで、ちょうど正面からウィズさんが歩いてきた。
「おや、到着したのかね」
シュウさんとクロエさんの顔を見て、ウィズさんが声をかける。
「お久しぶりです、ウィズさん」
二人が頭を下げる。
「呼びかけに応じてもらい、感謝する」
そう言って、三人は話を始めた。
ウィズさんが朝に言っていた、有力な冒険者のうちの一人がシュウさんだったらしい。
私はその会話を聞きながら、黙って立っていた。
胸の奥で、朝から残っている違和感が頭をもたげる。
言いようのない不安。
何かを見落としているような、頭の奥がひりつく感覚……
その時、ふいにウィズさんが私を見る。
「リン君が心配かな?」
不安が顔に出ていたのか、ウィズさんは少し微笑んでそう言った。
「あ……いえ。リンの心配はしていません。負けませんから」
「おや。ではなぜ、そんなにも険しい顔をしているんだ」
ウィズさんに聞かれ、私は言葉を探す。
シュウさんとクロエさんも、興味深そうにこちらを見ていた。
「……何か……何か、大事なことを見落としているような気がするんです」
目を伏せながら、頭の中で考える。
何だ……
何を見落としているんだ……?
「ふむ。君が違和感を覚えるのならば、正体を掴む方がいいだろうな」
そう言って、ウィズさんが頷く。
「違和感は今朝から覚えているのかね」
「……はい」
シュウさんが問う。
「今は、四人の勇者が氷高流山に向かってるんでしたよね?」
「その通りだ」
クロエさんが考えるように唸る。
「うーん。でも、その判断は間違ってないと思います」
……そうだ。
今、勇者は二手に分かれている。
その理由は、黒幕が「モンスターを操る」とわかっているから。
もし氷高流山の飛龍を大量に操られたら、被害は免れない。
だからこそ、事前の討伐が最も効果的だと判断した。
それは間違いじゃない。
……でも。
その判断は、黒幕が手の内を見せたことに起因している。
……なぜ黒幕は、夢幻洞窟でモンスターを操作した?
リンとジュジュさんを消耗させるため?
……だが、肝心の黒双翼龍は未完成だった。
モンスター操作のテスト?
「……いや」
おそらくあの技術は、もっと前から使われている。
私は、ちらりとシュウさんを見る。
あの日、私が王都に戻ってきた日。
リンと出会った時の、黒双翼龍の群れ。
今思えば、あれはおそらく操られていた。
ならば……
最も高い可能性は——私たちの意識に、刷り込むため?
黒幕がこちらを監視しているのは確実。
だったら、氷高流山は……勇者を分散させるための——餌。
黒幕の、誘導……!
「ウィズさん! 今すぐリンたちへこちらに戻るように伝えてください!」
ウィズさんが一瞬だけ目を見開く。
そして、鋭く問い返す。
「なぜだ」
「氷高流山は罠です! 本命は——」
その瞬間——室内がざわめいた。
幾人かの職員が窓の外を指差して、怪訝そうに眉をひそめている。
私は窓へと駆け寄った。
そして、空を見る。
「遅かった……!」
そこには——
夢幻洞窟で見た、あの空間の裂け目が空を覆うように現れていた。
「リン……!」




