7-3.愛という名の檻
スラムの喧騒を遥か眼下に見下ろす、管理局中央タワーの最深部。
重厚な真鍮の扉をサカキが蹴り開けると、そこは無機質な機械の要塞ではなく、教会の祭壇を思わせる、白く静謐な空間が広がっていた。
その中央。淡いホログラムの光に包まれた制御玉座に、彼女は座っていた。
「よくここまで来られたわね、リュウ。……それに、ガロングの無骨なネズミたちも」
最高管理官エナ。
彼女は、血を流し、息を荒くするサカキやローガン、ブラッドを見ても、眉一つ動かさなかった。その目は冷酷な支配者のそれではなく、まるで迷子になった我が子を優しく迎える、聖母のような慈愛に満ちていた。
「…エナ」
リュウが静かに前に出る。彼の左腕から溢れる青い光は、もはや荒々しくパチパチと弾けることもなく、空間そのものを深く、穏やかに侵食していく。部屋の精密機械が、その絶対的な出力の前にジリジリと沈黙していく。
「お前たちが俺の過去を弄び、記憶を奪った。ジンの力を利用するために」
感情の起伏すら感じさせないリュウの平坦な声が、逆にサカキたちに背筋が凍るような威厳を感じさせる。だが、エナはただ悲しげに、小さく首を振っただけだった。
「本当に、何も分かっていないのね。私はね、リュウ。あなたを兵器にするために生かしたのではないわ。……あなたを、あの残虐な前任の管理官たちから守るために、この場所であなたを大切に管理していたのよ。すべては、あなたを愛しているから」
「守るため、か…」
リュウが微かに目を細めたその時、サカキたちの後ろから、一歩前に踏み出す影があった。
ガロングのボス――オッドだ。彼は片目でエナを冷酷に見据え、低く地を這うような声で笑った。
「相変わらず傑作な狂言だ、エナ。お前が前任の管理官たちを皆殺しにし、この管理局の座を奪い取ったのは知っている。だが、言葉を濁すな。奴らの正体を隠してリュウを言いくるめるつもりか?」
「……オッド。スラムの出来損ないが、知った風な口を」
エナの目が、初めて不快そうに細められる。オッドは動じず、リュウの横に並んだ。
「リュウ、騙されるな。こいつが消した前任の管理官たちってのは、この世界線そのものを『剪定(消去)』しにきた――『神の一族』だ」
「神の……一族……?」
背後でサカキやローガンが息を呑む気配がした。しかし、リュウだけは驚くことすらなく、ただその言葉を深く咀嚼するように目を伏せた。
「そうだ」オッドはエナを指差した。
「こいつが前任者を消して管理局のトップに座ったのは、世界を救うためではない。お前という実験体を、自分だけの『箱庭』に閉じ込めて飼い慣らすためだ。神の目を盗んでな。お前を自分だけのものにするために、この世界を騙し続けてきたのさ」
エナの優美だった顔に、明確な怒りの亀裂が入る。
「黙りなさい、オッド……! あなたたちに、私たちの何が分かるというの!」
エナの激昂を、リュウはただ冷徹な眼差しで見つめ返した。その瞳の奥にある青い光は、深海のように静かで、底が知れない。
「……オッドの言う通りだ、エナ」
リュウが静かに、左手をエナへと向けた。彼の左腕の皮膚の下を脈打つ鮮烈な青光が、冷たい質量を持って部屋の空気を圧搾していく。
「守るためだなんて、それは愛じゃない。お前の都合のいい箱庭に閉じ込めて、人生を支配したいだけだ。俺を弄ぼうとした神の一族とやらも、それを消して俺を飼い慣らそうとしたお前も、何も変わらない。俺の人生は、俺たちの自由は、お前のものじゃない」
怒りではなく、絶対的な『事実』としての拒絶。
それが、エナという存在へのこれ以上ない冷酷な宣告だった。
エナの顔から感情が完全に消え去り、絶対的な冷徹さへと書き換わる。狂気的な愛が、一瞬にして冷たい殺意へと変貌した。
「……そう…今回も、失敗なのね」
エナの氷のように冷たい声が、タワーの最深部に満ちていく。




