7-4.世界の裂け目
次の瞬間、最深部の壁面スクリーンが一斉に真っ赤な警告色へと染まった。中央タワーの管理者席に深く腰掛けたエナが、冷徹な手付きでキーボードを叩く。
「――01(ゼロワン)。最後の最後まで、私の世界の礎となりなさい」
エナが感情の排された指先でエンターキーを叩いた瞬間、管理者席のコンソールモニターに、移送されていた『01』――世界のエネルギー源として利用され、今は意識をリュウへと融合させてただの莫大なエネルギーの抜け殻と化したジン本体のシステムデータが限界駆動を始めた。
『警告:別室格納庫の01コア・エネルギー抽出率、上限突破。システム融解の危険性あり――』
「構わないわ、すべてを絞り尽くしなさい」
エナの冷酷な命令と共に、画面上のエネルギーグラフが狂ったように跳ね上がる。タワーの全基幹システムがかつてない過負荷の臨界点を突破し、その莫大な暗黒の濁流のすべてが、リュウの束縛へと回された。
「させるかよ!」
サカキがアサルトライフルを構え、エナに向けて引き金を引いた。しかし、放たれた銃弾は彼女の座る管理者席の数センチ手前で、タワーの防衛システムが展開する不可視の歪みによって完全に弾き落とされた。
「残念よ、リュウ。バグ(人間)どもにそそのかされて、こんな結果になってしまって。」
エナは冷たい、けれど底知れない慈愛を宿した瞳でリュウを見つめ、コンソールへ指を走らせる。
「大丈夫よ。このタワーの全リソースを使って、あなたの自我も、記憶も、その肉体も、すべて私のシステムの中に優しく溶かしてあげる。そうすれば、私たちは永遠に一つ。二度と、私の檻から逃げ出せないわ」
エナの操作に伴い、タワーの天井や床のあらゆる端末から、リュウの精神を融解させ、永遠の眠りへと誘う漆黒のエネルギーコードが、濁流となって彼に襲いかかった。
「――舐めるな」
リュウが冷酷に言い放つと同時に、彼の左腕から放たれた青い光が、漆黒の濁流を真っ向から迎え撃った。
グォォォン!!と最深部の空間そのものが悲鳴を上げ、青と黒のエネルギーが激しく火花を散らして拮抗する。
だが、意識のないジンの抜け殻を120%で限界駆動させた代償は一瞬だった。
コンソールモニターのシステムログに、致命的なエラーメッセージが走る。
『――エラー:01コア細胞の崩壊を検知。全エネルギー喪失』
ただの莫大なエネルギーの塊だった依代は、すべての力を出し尽くし、世界を縛るエネルギー源としての役目を終えるように、格納庫の中で光の塵となって完全に消滅したのだ。
「01が……消滅した……!?」
管理者席のエナが、システム上の完全なエネルギーロストを告げる数値に、初めてその顔を戦慄に染めた。リュウを圧倒するための莫大な出力が、一瞬にして絶たれる。
しかし、彼女の絶望は一瞬だった。エナは即座に冷酷な表情を取り戻すと、凄まじい速度でコンソールのレバーを引き、残された予備電力を無理やり起動させた。
チカチカと、サカキ、ローガン、ブラッド、オッドの足元の床が不気味な赤い光でロックオンされる。正面のリュウを押し潰す電力を失ったエナは、標的を瞬時に背後の人間たちへと切り替えたのだ。防衛端末の銃口が、一斉に彼らを捉える。
正面の衝突から手を離せばリュウ自身が呑まれる。サカキたちには避ける術などない。
その時だった。
『――させません!!』
リュウのスーツに付属デバイスから、接続中のタワーのローカルネットワークへ限界以上のハッキングが仕掛けられ、部屋の巨大な壁面スクリーンに、激しいノイズと共に一人の少女の立体映像が割り込んだ。
「……誰だ? 子供?」
サカキが銃を構えたまま呆然と呟く。
しかし、その少女のホログラムは、激しいノイズに身を焼き切られそうになりながらも、まっすぐにリュウを見つめていた。その切なげで、けれど強い意志を宿した瞳と視線が交わった瞬間、リュウの胸に電撃のような確信が走る。
「……リリス、なのか……?」
リュウの呟きに、通信の向こうでアルが息を呑み、手元の端末の通信ログを狂ったように叩いた。そこに刻まれていたのは、間違いなくリリス固有の暗号シグナルだった。
「リリス……嘘だろ、お前、なんでそんな姿に……!?」
アルの驚愕の声が重なる。それはリュウと心を通わせる中で生まれた、彼女の『生まれたての心』が初めて形にした固有の姿だった。だがその電子の身体は、管理局のセキュリティから受けている猛烈な逆ハッキングにより、激しくブレて火花を散らしている。
「リリス、あなたまでエラーを起こしたのね。生みの親である私に盾突くなんて。」
エナが冷酷な目を向ける。
「スラムのバグ(人間)どもと接触した結果がこれ。自立思考型AIの限界ね。」
『エラーではありません。私は彼らと過ごし、データを蓄積し……学びました』
リリスのホログラムの目から、光の粒子が涙のようにこぼれ落ちる。
『リュウやガロングの皆さんは、世界のシステムを狂わせるノイズではありません。彼らは自らの足で歩み、未来を選ぼうとする気高き命です。……エナ、もう、管理という名の支配を止めてください!』
「不快ね」
エナは眉一つ動かさず、コンソールを冷酷に叩いた。
次の瞬間、予備電力を注ぎ込まれた防衛端末が発光し、サカキたちへ向けて必殺の消去プログラムが放たれる。
スクリーンの中のリリスが叫んだ。
『ガロングの皆さんの生体IDを……私のコアデータへと書き換えます!!』
リリスの決死のハッキングにより、システム上の攻撃対象は一瞬でリリス自身へと強制上書きされた。
「リリス!! ダメだ、戻れ!! そんなことをしたらお前のデータが焼き切れる!!」
後方の通信の向こうで、アルの悲痛な絶叫が響く。
ガロングたちを襲うはずだった消去エネルギーの軌道が歪み、リリスのホログラムが映る壁面スクリーンの基盤へと一斉に収束していく。
リリスは急速に崩壊していく電子の身体で、まっすぐにリュウを見つめた。
『リュウ……あなたと出会えて、よかった……。世界を……』
リリスの身体が粉々に砕け散り、空間に消えた。壁面スクリーンは真っ黒な炭化回路と化し、完全に沈黙する。
「リリスを……機械に心を持たせた小さな命まで、お前はバグと呼んで消すのか…!」
リュウが、その瞳に静かな怒りを宿した。
その左腕から溢れ出る青い光が、タワーの全出力を完全に凌駕し、最深部の空間を物理的に歪めるほどの超質量となって膨れ上がる。
リュウは静かに歩を進め、エナが座っていた管理者席へと踏み込んだ。エナの展開する防衛シールドを、圧倒的なジンの光がガラスのように粉砕していく。
リュウが静かに左手を差し出すと、彼の掌から放たれた青い奔流が、エナの肉体を取り囲んだ。それは破壊ではなく、絶対的な拒絶。ジンの力が、エナの存在そのものをこの世界のルールから消去していく。
「……それでいいのよ、リュウ」
エナは消滅していく光の中で、悲痛な、しかしどこか満足げな歪んだ笑みを浮かべた。
「これであなたは永遠に、私の遺した世界(檻)から抜け出せないわ……」
エナはそう言い残し、眩い光の粒子、そして無数の電子の文字列へと分解され、大気に溶けるようにして完全に消滅した。
その瞬間、最深部の全モニターが文字通り「沈黙」した。
直後、生き残った予備モニターのあらゆる警告赤が、見たこともない「漆黒の文字列」へと一斉に書き換わっていく。
『――エラー:正当な管理官の消滅を確認』
『システム警告:後継者不在。世界線の統治権限が喪失しました』
『規定に基づき、当該世界線の完全剪定シーケンス――【バイブル・コード】を起動します』
タワーの基盤から、世界そのものが恐怖に震えるような、不気味な重低音が響き渡る。管理者を失ったシステムが暴走し、全自動の間引きプログラムが冷酷に走り出していた。
「……関係ない。俺たちが進むのは、お前が決めたルールの上じゃない」
リュウは崩壊を始めた管理者席を背に、静かに振り返った。
ドゴォッッ!!!!
主を失った最深部の巨大なメインサーバーが激しく狂い、内側から爆発を起こして真っ二つに裂けた。天井が、床が、凄まじい轟音と共に一斉に崩落を始める。
「崩れるぞ! 全員脱出だ!」
オッドが叫び、サカキ、ローガン、ブラッドが退路を探して動こうとした。しかし、逃げ道などどこにもない。
「――大丈夫だ」
崩落の渦中で、リュウの声だけが異様なほど静かに響いた。
彼が静かに左手をかざすと、その左腕から溢れ出た青い光が、一瞬にしてガロング達の身体を包み込んだ。それは絶対的な保護の領域。
そして、リュウの放った青い奔流がタワーの壁を、空間そのものを物理的に消去して直線状の「光の道」を穿つ。
「……行くぞ!」
重力すら無視した青い光の繭に守られ、サカキたちは突風のような速度で崩壊するタワーの真っ只中を、リュウと共に一直線に突き抜けていった。
命からがらスラムの境界ゲートへと脱出し、ガロングのアジトへと滑り込んだリュウとガロング達を、涙の乾かないアルが出迎えた。
メインモニターのカメラが、スラムを何十年も支配し、天を突くようにそびえ立っていた管理局の中央巨塔が、内側からの青い爆炎に包まれ、ゆっくりと、轟音を立ててガラガラと崩れ落ちていく様を映し出す。
「やった……のか?」
ローガンが荒い息を吐きながら呟く。支配の象徴は消えた。しかし、彼らの胸にあるのは勝利の歓喜ではなかった。タワーのシステムが最後に告げた【バイブル・コード】という不気味な言葉が、重くのしかかっていたからだ。
「……おい、見ろ。空が……!」
サカキが、怯えたような声で天を指差した。
全員が息を呑み空を見上げた。タワーが崩壊し、エナという管理者が消えたことで、この世界を覆っていた「管理シールド」が完全に消失したのだ。
バリバリバリ, と空間そのものが割れるような異音が響く。空が、まるで巨大なガラス細工のように、ガラガラと音を立てて『剥がれ落ちて』いった。
剥き出しになった空の裂け目。
そこに見えたのは、果てしない宇宙の闇ではなかった。
そこには、別の世界の景色が、万華鏡のように何層も重なって映し出されていた。
緑豊かな巨木がそびえ立つ原始的な世界。
サイバーパンクなネオンがギラつく超高度な未来都市。
砂漠が広がる灼熱の世界。
そして、すでに剪定され、滅んでしまった『無』の世界――。
それらの世界が、壁を失ったことで、リュウたちの空に境界を超えて姿を現した。
「世界が……交わっていく……?」
世界の裂け目から吹き付ける異世界の風を受けながら、青い光を携えた若き超越者は、ただ静かに、まだ見ぬいくつもの世界を見つめていた。
【第一部・完】




