6-3.試練
『……このままでは、彼は次の戦闘で自壊します』
地下基地の片隅、無数のコードがのたうつサーバー室。リリスの無機質な声が、重苦しい空気を切り裂いた。サカキ、アル、そしてオッドの視線の先で、リュウはサーバーの排熱に晒されながら、荒い呼吸を繰り返している。包帯を巻いた左腕は、皮膚の下で黒紫色の痣が脈打ち、今にも内側から弾けそうなほど肥大していた。
「無理もない。今のリュウの神経系は、過負荷で焼き切れる寸前の回路と同じだ」
アルが端末を叩きながら、苦々しく吐き捨てる。オッドはその様子を冷たく見下ろし、断じた。
「制御できない力は、ただの欠陥だ。リュウ、お前がその熱をねじ伏せられないなら、次の作戦に連れていくわけにはいけない。……ここで暴発されるのも困る。わかるな?」
「……わかってる…」
リュウは奥歯を噛み締め、震える腕で床を押し、上体を起こした。サカキが駆け寄ろうとするが、リュウはその手を鋭い眼差しで制した。
『提案があります、リュウ。私の演算リソースを使い、あなたの脳内に仮想精神空間を構築します。そこで左腕のエネルギーが暴走している原因――いわば、あなたの神経を焼き焦がしているシステムエラーの根源を突き止め、あなたの意志で直接アクセスして抑え込むのです』
リリスの冷徹な提案に、サーバー室の空気が一瞬で凍りついた。
脳内に仮想空間を構築する――それは一歩間違えれば、自分の精神の領域を完全にAIに明け渡し、最悪の場合は自己を見失うことを意味している。
「脳内、だと……?」
リュウは荒い呼吸の合間に、自らの左腕を見つめた。皮膚の下で暴れる黒紫の熱。リリスの言う通り、このまま何もしなければ次の戦闘で身体が持たない。オッドからは見限られ、サカキやアルにこれ以上迷惑をかけるわけにもいかなかった。
――もう、逃げ場はない。
リュウは溢れそうになる恐怖を無理やり奥歯で噛み潰し、顔を上げた。その瞳に、微かな、だが確かな覚悟の光が宿る。
「……やってくれ、リリス。おれは、こんな力に負けたくない」
リュウの言葉に迷いはなかった。その決意に応じるように、アルが重苦しい表情でキーを叩く。サーバー室の壁際に置かれていた重厚なカプセルが、プシューと低い駆動音を立ててそのハッチを開いた。
「待て、リュウ! 本気か!?」
サカキが思わずリュウの肩を掴んで引き留めた。そのカプセルを見つめるサカキの目は、明らかな警戒と恐怖に揺れている。
「アル、正気かよ。こいつは管理局が型落ちで廃棄した、戦闘スーツ用の神経同調訓練カプセルだぞ。お前が拾ってきて直したジャンクだってことは知ってるが……本来は兵士の脳に疑似信号を流して、スーツの駆動速度に反射神経を無理やり適応させるための冷酷な機械だ。配属当時に何度もぶち込まれたからよく知ってる。脳への過負荷が凄まじすぎる!」
「サカキの言う通り、まともな神経のまま耐えられるような代物じゃないよ」
アルは眼鏡のブリッジを神経質そうに押し上げながら、ディスプレイのコードを高速でスクロールさせた。
「本来なら外部兵装と脳の同期率を上げるためのシステムだからね。脳への負荷は自殺行為の領域さ。……でも今回は、リリスがお前の脳と、その左腕のエネルギーの間に割り込んで疑似的な『インターフェース』を構築する。リリスの演算リソースをフル稼働させてセーフティにすれば、ギリギリ精神の崩壊だけは防げる計算なんだ。……いや、おれが防いでみせる。リュウ、君がその熱を本気でねじ伏せる気があるなら、もうこれしか選択肢はないよ」
サカキの制止を振り切るように、リュウは静かに一歩を踏み出した。カプセルの中に張り巡らされた無数の電極シートを見つめながら、かつて管理局の訓練施設で見た、冷徹な兵器たちの光景が脳裏をよぎる。
「ありがとう、サカキ。……でも、このままだとどっちみちおれは自壊するんだ。だったら、賭けさせてくれ」
リュウは自らの足でカプセルへと歩み、その冷たい内部へ身体を横たえた。サカキは悔しそうに拳を握りしめ、アルは祈るような手つきでハッチの閉鎖キーを押し込む。
密閉音が響き、強化ガラスのハッチがリュウを現実から隔離した。カプセルの外の光が遮断され、代わりにリリスの青白い光が冷たく明滅する。
『――ダイヴ、開始します。健闘を、リュウ』
感覚が完全に断絶し、次の瞬間、リュウは真っ白な世界に立っていた。そこは何度も夢でみた場所だった。
「……どこだ、暴走の根源は。全部抑え込んでコントロールしてやる」
突然、純白の虚無に激しいノイズが走る。
ずっと自分を蝕み、時に暴走してきたあの忌々しいエネルギー。リュウは、その暴走の核にあるのは、何か巨大なエラープログラムのようなものだろうと身構えた。
だが、ノイズが晴れた先に現れたのは、そんな無機質なデータではなかった。
――そこに立っていたのは、一人の「男」だった。
圧倒的な威圧感を放ちながらも、その姿はおれと同じ、人間の形をしている。どこか寂しげな、それでいて全てを見透かすような眼差しでおれを見つめていた。
「あんた……誰だ?」
予想だにしなかった光景に、リュウは激しく動揺する。ただのシステムエラーの根源を突き止めるはずが、目の前にいる理知的な男がどうしても結びつかない。
そんなリュウの混乱を煽るように、男は口角を上げ、低く、皮肉めいた声で応じた。
「わからないのも無理はないな……相変わらず、ひどい面だな、二等執行官。また寿命を縮めたか?」
「っ……!」
その響き、その呼び名を聞いた瞬間、リュウの背筋に電流が走った。
「あんた……まさか、ジンなのか? なんで、そんな人間の姿をしてるんだ」
「ここにいる私は、私の『心』の残骸だ。……現実世界にいる私の肉体は、バグの負荷で狂い、ただの破壊の獣と化してしまったようだがな」
その男、ジンは自嘲気味に、だが穏やかに言った。
その言葉が、リュウの脳裏に現実世界で暴れるあの恐るべき「ジン本体」の姿を呼び起こす。目の前の男は、あの化け物の、失われたはずの『心』そのものなのだ。
「ジン……。お前がおれの中にいたのか。おれを壊そうとしてるのは、お前なのか」
「逆だ。お前がその力を引き出そうとするたび、私の欠片はお前の器を守ろうと必死に抗っている。……まだ思い出せないか。数年前、お前が『境界』の底で、死を待っていたあの日のことを」
ジンがゆっくりと近づき、その大きな手をリュウの額にかざした。
「……っ!」
触れられた瞬間、リュウの脳内に「本当の記憶」が、濁流となって流れ込んできた。
管理局の実験の失敗。異世界の底で、怪物に囲まれて震えていた自分。その時、絶望の淵にいたおれの前に立ちふさがり、圧倒的な力でおれを守り抜いてくれた、山のように巨大な背中。
管理局が助けてくれたのだと信じ込まされていた。けれど、あの日、自分を削って道を作り、おれを現実世界へ送り返してくれた手の温もりは、今、額に触れているこの男の手の感覚と完全に一致した。
「あの時……おれを助けてくれたのは、管理局の連中じゃなかった。……お前だったんだな」
ジンの正体。それは異世界のシステムにおける「バグ(イレギュラー)」そのものであり、管理者たちが恐れる混沌の力だった。
「管理局はお前を欺いた。私をお前という『器』に閉じ込め、いつでも使い潰せる便利なバッテリーに仕立て上げようとしたのだ。……だが、私はお前を救いたかった。だから、お前の腕に私の魂の欠片を託した。いつかお前が、誰にも支配されず、自分の力で歩けるようにとな」
「……そうか。これが、おれに遺された力なんだな」
エナたち管理局が自分に施した「処置」の真実――それは救済などではなく、都合のいい兵器にするための呪縛だったのだ。
リュウは逃げることなく、その巨大なエネルギーの奔流を真正面から受け止めた。意識を融合させ、ジンの「バグとしての力」を自らのものとして再定義していく。左腕の痣が白熱し、黒紫の光が鮮やかな青へと塗り替えられていく。
「お前たち管理局が、おれを縛るために植え付けた呪いじゃない。ジンがくれた、生きるための力だ。……もう、誰の言いなりにもならない」
ジンの影が満足そうに口角を上げたように見えた。次の瞬間、眩しい青い光が視界を染め上げる。
『――精神同調率、臨界点を突破。精神空間を閉じ、現実への帰還シークエンスに移行します』
リリスの音声が、遠くで響いた。
***
「……リュウ! おい、目を開けろリュウ!」
サカキの悲痛な叫びが、地下基地のサーバー室に響いていた。
カプセルの中で横たわるリュウの左腕は、激しい脈動を止め、静かな青い燐光を微かに放っている。しかし、その呼吸は深く、意識が戻る気配はまったくない。脳への莫大な演算負荷により、肉体が強制的なスリープ状態に陥っているのだ。
「強制覚醒プロトコル、反応なし! リリスがリソースを完全にリュウの脳内保護に割いてるせいで、現実側の制御が……! クソッ、おれが組んだセーフティじゃこれが限界か……!」
アルが嫌な汗を流しながら、猛スピードでキーボードを叩いた、その時だった。
――ウゥゥゥゥン、と、基地全体を震わせる重低音の警報が鳴り響いた。
照明が赤く染まり、サーバー室のモニターが一斉にノイズを吐き出す。
「チッ、このタイミングでか……!」
オッドが鋭い目を剥く。メインモニターに映し出されたのは、地下基地の防衛隔壁を次々と爆破し、容赦なく侵入してくる管理局の防衛特務部隊――エナの放った刺客たちの姿だった。
「ボス、どうする!? リュウはカプセルから出せない!」
サカキがカプセルの前に立ちはだかり、アサルトライフルのボルトを引く。
オッドは昏睡したままのリュウと、迫り来る赤ランプのモニターを交互に見つめ、獰猛に口角を上げた。
「奴が目覚めるのが先か、俺たちがここで全滅するのが先か……。面白い。
――全員、武器を取れ! 主役が起きるまで、死んでも防衛線を死守しろ!」




