5-5.崩壊する世界
「……リリス、やるぞ。 奴らの『記述』を、俺の意志で塗り替えろ……っ!」
リュウの咆哮とともに、左腕の痣が黒紫色の光を放ち、周囲の空間を歪ませた。
リリスを通じて流し込まれる逆転のコード。それは、これまで一方的に「記述」されるがままだったリュウが、初めて世界の形を自らの手で定義し直す、決定的な瞬間だった。
『全基幹記述へのノイズ混入を確認。……都市の「秩序」が瓦解していきます』
ジャンクションを中心に、不可視の衝撃波が広がった。
空を覆っていた巨大な送電網がショートし、激しい火花が雨のようにスラムへ降り注ぐ。空中で静止していた三機のクリーナーは、制御信号を失って狂ったように回転し、自ら廃ビルへと激突して爆発した。
「やったのか……!?」
アルが目を見開く。
だが、事態はそれだけでは終わらなかった。ハッキングの影響は遥か上空にそびえる管理局のセントラルタワーへと波及していた。完璧な秩序で守られていたはずの都市の照明が、まるで断末魔の叫びを上げるように点滅し、次々と消えていく。
「リュウ、離れろ! ここがもたねえぞ!」
サカキの叫びと同時に、ジャンクションの巨大なトランスが爆散した。崩れ落ちるケーブルの隙間から、リュウは「見た」。街の輪郭がデジタルノイズのようにひび割れ、その裂け目から「ジン」のどろりとした黒い奔流が、自由を求めて溢れ出していく様を。
『リュウ、意識を戻してください! これ以上はリンクが耐えられません!』
リュウは歯を食いしばり、焼けるような痛みに耐えながら、強引に左腕を端子から引き抜いた。
「はぁ、はぁ、……っ!!」
膝をつくリュウを、サカキとローガンが両脇から抱え上げる。その時、上空からスラムを圧するような重低音が響き渡った。
『――緊急事態。エラー領域を確認。これより物理領域の再構成を開始します』
都市全体を震わせる無機質なシステム音声。同時に、スラムの境界線に沿って巨大な光の壁が立ち上がり、バグを焼き払うような青白い燐光が廃墟の端から迫り始めた。
「クソッ、仕事が早えな! 全員、退収だ! 集合地点Z-4へ急げ!」
サカキが怒鳴る。意識が遠のく中、リュウの視界には、サーバーから強制切断される直前のシステムログが乱れて表示されていた。
【システム警告】個体識別番号:L-015 異常。廃棄シークエンスを開始――
だが、その無機質な赤い文字を塗りつぶすように、青いノイズが走り、新たな文字列が上書きされていく。
【上書き】廃棄を中断。……対象の『回収』を最優先。
それは、管理局の冷徹なルールを捻じ曲げてでも、リュウを自分の手元に留めようとするエナの、異常なまでの執着の痕跡だった。そして、ログの末尾に、震えるような彼女の声が直接脳に響く。
(……待っていてね、リュウ。すぐに、やり直させてあげるから)
「…………っ」
喉の奥で、乾いた引きつけが起きた。怒りよりも先に、総毛立つような戦慄が全身を駆け抜けた。どれほど遠くへ逃げようとも、彼女の指先一つで自分という存在を「修復」し、都合の良い形に書き換えられてしまう。逃げ場のない呪縛。自分が人間ではなく、彼女の完璧な箱庭を構成する「部品」でしかないという現実が、冷たい刃のように心に突き刺さっていた。
リュウは震える手で、自らの左腕を強く抱え込んだ。それは親しかった女性への拒絶であり、自分という存在を侵食しようとする巨大な影から、必死に自分自身を繋ぎ止めようとする抗いだった。
「行くぞ、リュウ! 立ち止まれば死ぬぞ!」
サカキに腕を引かれ、リュウは縋るように走り出した。
背後では、かつて「聖域」と呼ばれた場所が、管理局の強行再起動による青白い光に飲み込まれようとしていた。




