5-3.記述外の聖域
セーフハウスの薄暗い部屋に、スラムの立体ホログラムが青白く浮かび上がった。それは管理局の地図には決して記されることのない、継ぎ接ぎだらけの迷宮。反乱軍「ガロング」の聖域であり、世界のゴミ捨て場だ。
「いいか、リュウ。管理局がここを放置してるのは、単に片付けるのが面倒だからじゃねえ」
サカキがナイフの先で、ホログラムの一点を指した。そこは、スラムを縦断する巨大な高圧ケーブルが複雑に絡み合うジャンクションだ。
「ここには管理局が制御しきれない『野良』のエネルギーが流れてる。あいつらがジンから搾り取った力の、いわば吹き溜まりだ。俺たちはそこを叩いて、連中の物流ルートを一時的に麻痺させる」
「麻痺させるって……爆破でもするのか? そんなことをしたら、すぐに管理局の軍隊が飛んでくるんじゃ……」
リュウの懸念に、サカキは鼻で笑って腰のポーチから黒いチップを取り出した。
「ハッ、爆弾なんて原始的なもんは使わねえよ。こいつは『バグ・パッチ』。ジンのエネルギーに特定のノイズを混ぜて逆流させるプログラムだ。こいつをメインケーブルに噛ませると、システムは損傷がないのに『データが矛盾している』と誤認してパニックを起こす。……再起動して『記述』を修復しようとするその数分間、この一帯のセキュリティは完全に沈黙するのさ」
「……システムに毒を盛るってことか」
リュウは納得しかけたが、ふと根本的な疑問を口にした。
「……でも、そんな場所に俺まで行く必要があるのか? データの書き換えなら、リリスだけでできるんじゃないのか」
その問いに、今まで沈黙していたオッドが微動だにせず答えた。灰色の右瞳が、リュウの左腕を射抜く。
「リリスというAIがどれほど優秀でも、それは管理局から見れば『部外者』の侵入に過ぎない。瞬時に検知され、消去される。……だが、君は違う。君の体には今、エナ管理官が発行した『特別な許可証』が刻まれているのだ」
「許可証……?」
『肯定します』
リリスの電子音が、リュウの聴覚神経に直接響く。
『リュウ、あなたの痣……そこに馴染んだジンの波形は、エナの個人サーバーを開くための生体鍵として機能します。彼女があなたを秘匿管理するために設けた専用バイパスを逆手に取るのです。あなたは、彼女の裏をかくための「トロイの木馬」になれる唯一の存在です』
「俺自身が、鍵だってことか……」
「そうだ。エナが君を手放さなかった理由が、今、彼女自身を追い詰める刃になる。皮肉な話だな」
オッドが静かに口角を上げる。
サカキが、部屋の隅で無言のまま武器を点検していた三人の男たちに視線を送った。
「理屈は分かったろ、リュウ。さあ、ローガン、ブラッド、アル! 出るぞ。持ち場を忘れるな」
「了解だ、リーダー」
サカキの呼びかけに応えたのは、年齢こそリュウとそう変わらないはずだが、過酷なスラムを生き抜いてきた若き精鋭たちだった。重機関銃を担ぐ重装甲の巨漢ローガン。カモフラージュ・ジャケットを纏った狙撃手ブラッド。そして、腰に無数のツールを下げ、毒々しいケミカル・グリーンの髪を揺らした技術担当のアル。
「サカキ、彼らを頼むぞ。」
オッドの静かな見送りにサカキが短く応え、重厚なシャッターが開いた。
一行は、廃材と鉄屑が積み上がったスラムへと足を踏み入れた。オイルと煤の混じった重い大気が喉を焼く。先頭をサカキ、殿をローガンが固め、ブラッドは既に頭上のパイプラインへと消えている。リュウを中央に挟み込むその陣形は、彼を仲間としてではなく「壊してはならない鍵」として扱っていることを無言で告げていた。
廃墟の影を縫うように進む中、リュウは隣を歩くアルに、抑えきれない問いを投げかけた。
「……アル、と言ったか。君たちは、ずっとここで暮らしているのか? 管理局の保護を受けようとは思わなかったのか」
アルは前髪を払い、吐き捨てるように笑った。
「保護? 冗談じゃねえ。俺の親父は、システムの『記述ミス』一つで存在を抹消された。生きてるのに、IDが消えた瞬間に人間じゃなくなったんだ。……あいつらにとって、俺たちはただのゴミデータなんだよ」
「……ゴミデータ……」
リュウはその言葉の重さに息を呑んだ。管理局が謳う「最適化」という言葉の裏で、血の通った人間が、ただの記述エラーとして処理されている。アルの瞳に宿る冷ややかな怒りは、彼がどれほどの絶望を越えてきたかを物語っていた。
(エナは……知っていたんだろうか)
研究室の中で、いつも穏やかに微笑んでいた彼女。彼女がリュウに与えてくれた平和で清潔な生活は、アルのような人々を切り捨てることで成り立つ「秩序」の上に、薄氷のように浮かんでいたものだったのだ。
エナが献身的に尽くしていた仕事は、結局、この残酷なシステムを守ることだったのではないか。その疑念が胸に刺さった瞬間、見慣れたはずの彼女の微笑みが、ひどく遠いものに感じられた。同時に、リュウの腕の痣が、アルの憤りに共鳴するかのように熱く疼いた。
やがて部隊は、ターゲットである「ジャンクション」へと到着した。巨大な廃ビルの壁面に、無数のケーブルが血管のようにのたうち回り、巨大なトランスが唸りを上げている。
「よし、配置につけ! クリーナーが嗅ぎつける前に終わらせるぞ。ブラッド、隣のビルから射線を通せ! ローガン、装甲板をこじ開けろ。アル、パッチを設置しろ!」
三人が一斉に散る。ローガンが分厚い鉄板を力任せに引き剥がし、その隙間にアルが素早い手つきでバグ・パッチを滑り込ませた。
一瞬の静寂の後、ジャンクション全体が激しく震動し、周囲を巡回していた警備ドローンたちが混乱したように空中で円を描き始めた。
「……防壁が落ちたぞ! リュウ、今だ、左腕を突っ込め!」
サカキの怒声に背中を押され、リュウは震える手でケーブルの基部へ触れた。ここをこじ開ければ、もう戻ることはできない。
「リリス、準備はいいか」
『いつでも。……リンクを開始します。リュウ、意識を左腕の深部へ』
リュウが左腕を差し込んだ瞬間、消えかかっていた痣が、皮膚の内側で激しく脈動し始めた。




