使節団を迎える準備
成都では、羅馬の使節団を迎える準備に取り掛かった。
【使者達を羅馬に送り届ける際に、船には百名の文官を同乗させています。出航を待つ間、そして航海期間中でも、彼らには羅馬の言葉を学ばせるようにしています。大勢の使節団を迎えるのに、通訳を務められるのが私一人ではどうしようもないですから…。】
徐苑の言葉に同意した志耀は、次に王平を呼び出した。
【潘誕殿の店に至急使いに行って欲しいのですが…。頼まれてくれますか?】
突然の志耀の命に、王平は眼を瞬いた。
【潘誕の店?それはまた、どうして…?】
【あの店の五人、何れも此度の使節団接遇に必要だからです。先ず接遇に料理は欠かせません。私は潘誕殿以上の料理人を知りません。それと文化交流となれば、耀春にはその画才を大いに発揮して貰いたいと思います。そして華鳥殿、胡蝶殿、炎翔殿。この組合せは、暁の医術の最高峰です。。遠き地からやって来るとなれば、我らの知らぬ病を持って来るやもしれません。それが王宮医療処の手に余る場合でも、あの三人が側にいれば安心出来るでしょう。】
王平が馬を駆って潘誕の店にやってきた時、店には耀春がやって来ていた。
耀春の顔を見た王平は、満面の笑みを見せた。
【今日は、家に戻って来ていたのだな。これは好都合だ。】
耀春は、自身が描いた絵を帝の志耀に献上して、その画才を認められた事で、実家に戻る事を何恭から許可されていた。
これで絵画処へは店からの通いになると潘誕は喜んだが、耀春は通いの提案を拒否した。
【未だ私は修行の途中です。ですから住み込みは、これからも続けたいと思います。】
耀春の言葉に、潘誕はがっくりと肩を落とし、華鳥はそれで良いのよという表情で耀春を見詰めた。
気落ちする潘誕に向かって、耀春が言葉を掛けた。
【父様。今までみたいに、ずっと家に帰って来れない訳ではありませんから…。週に一度、お店の定休日には戻って来ます。そうすれば、ちゃんと父様母様とはお会い出来ますし、父様が私にお弁当を届けて下さる手間もなくなります。】
王平が店を訪ねて来た日は、耀春が家に戻って来る、週に一度の定休日だった。
王平は、目当ての五人が店に揃っているのを確認した後、皆に向かって声を掛けた。
【帝からの勅命を伝えます。今度、羅馬という遥か西国から、使節団がやって来ることになりました。皆様には使節団の接遇にご協力を頂きたいとの仰です。】
王宮からの依頼を受けて、潘誕は頭を抱えた。
【全く、志耀様も無茶な事を仰る。遥か西方から来る使節団を持て成す料理を考えろなどと…。俺は羅馬という国で、どの様な料理が食べられているかなど、全く知らぬのに。】
難しい顔をして考え込む潘誕に、華鳥が声を掛けた。
【あちらの国の料理など、気にせずとも良いのではありませんか。暁迄、遥々(はるばる)やって来るのです。暁ならではの珍しい料理を食べたいと思う人の方が多いのではありませんか?それに帝が、これほどに貴方の料理の腕を買って下さっているのです。光栄な事ではありませんか。】
【そうは言っても…。五百を越える大人数の宴を仕切るなど、気が重い。志耀様も、よりによって、この様な時に帝の権力を使うなど…。本当は勘弁して欲しい。しかし帝からの勅命だからなぁ。この店の休みも増やさねば、とても期日迄には間に合わぬだろうし。あぁ胃が痛くなって来た。】
煩悶する潘誕を見て、華鳥は小さく笑いを浮かべると耀春に眼を移した
【それで、耀春への依頼は、やはり絵を描く事?】
【はい。その様に言われましたが、只絵を描いて、それを飾るだけでは能がないと思っているのです。】
それを聞いた華鳥は、耀春の顔を覗き込んだ。
【だけど、貴女は絵師でしょう。絵を描く以外に何が出来るというの?】
【それはそうなんですが…。絵の題材を考えるだけでなく、何か新しいものに挑んでみたいと思っているのです。未だ何も思い浮かばないんですが…】
その時、耀春の言葉を聞いた潘誕が、何かを思い出した様子で立ち上がった。
そして、急ぎ足で厨房の倉庫に向かうと、平たい木の箱を一つ抱えて戻って来た。
【父様、それは何ですか?】
【これは、知り合いの陶芸師が持って来てくれたものだ。その方には、店の料理を盛り付ける器を、何時も作って貰っている。先日耀春の絵が帝にお褒めを頂いた事への祝いだと言って持って来てくれた。】
耀春は、木箱の蓋を取り、中を改めるなり眼を見張った。
【何て美しい大皿。皿全体が琥珀色に輝いている。しかもこの表面の艶。ザラザラした感じが一切なく、指が滑る様な触感ですね。】
【そうなんだ。この大皿を見た時、耀春だったらこの皿にどの様な絵を描くのだろう、そう思った。お前が店に顔を出した時に見せようと思い、仕舞い込んだまま忘れていた。】
耀春は、大皿に眼を釘付けにしたまま、潘誕に言った。
【父様、これを作られた方にお会いしたいのですが…】
店にやって来たその人物は、白い総髪に長い白髭という仙人を思わせる風貌だった。
その老人は、迎えに出た耀春に対して、田楽と名乗った。
店の卓に腰を下ろした田楽老人は、目の前に座る耀春を興味深げに見つめた。
【ほぅ、貴女が潘誕殿の娘御ですか。幼くして帝をも唸らせる絵を描くというので、どんな恐ろしげな人物かと思っていたのですが、想像とはまるで違いましたな。何とも見目麗しい少女だ。特にその澄んだ瞳が眩しい。】
田楽の褒め言葉に照れた様に下を向いた耀春だったが、直ぐに顔を挙げると、傍の木箱から大皿を取り出した。
【この美しい瑠璃色のお皿は、田楽様が作られたのですよね。どうしたら、この様に美しい色合いと滑らかな手触りが生み出せるのですか?】
田楽は、目の前の耀春に微笑を見せると、穏やかな声音で答えた。
【釉薬の効果です。陶器を焼く前に釉薬を施すのですが、釉薬の原料となる灰に鉄を混ぜると、焼いた時に青く発色します。その釉薬に更に特殊な金属粉を混ぜ込むと、その様な瑠璃色となります。但し焼きの加減が難しく、滅多にそこまでの色は出す事は出来ません。】
耀春は、改めて皿の琥珀色に眼をやった。
【すると、この大皿は物凄く貴重な物なのですね。その様な品を贈って頂き、本当に有難う御座います。】
【いやいや、日頃儂の窯から沢山の品を買い求めて頂いている潘誕殿ですから。娘御の貴女が素晴らしい快挙を成し遂げたと聞きましたので、それへの祝いです。儂を呼ばれたのは、その事が聞きたかったのですか?】
すると耀春は、一枚の絵を取り出して、大皿の横に広げた。
【お教え頂きたい事が御座います。この大皿に、この様な絵を描いて焼き付ける事は可能でしょうか?】
耀春が田楽に示したのは、色鮮やかな絵具を使って描かれた花鳥図だった。
田楽は、ほぅと小さく息を吐いて絵を覗き込んだ。
【何とも美しい絵ですな。花の香りと鳥の囀りまでが感じられるような…】
暫く絵を眺めた後、田楽は耀春の顔に眼を移して尋ねた。
【貴女が作りたいと思っているのは、この絵を描いた皿ですか?】
【いえ、実は全て異なった絵を描いた皿を、千枚作りたいのですが…】
それを聞いた田楽の眉間に皺が寄った。
【ほぅ…千枚も。それで製作に期限はあるのですか?】
【半年です。絵は、私だけでなく絵画処の絵師達全員で描く積もりです。】
それを聞いた田楽は、首を横に振った。
【無理ですな。先程申し上げた通り、この様な瑠璃色の皿は極めて歩留まりが悪いのです。その上、それにこのような絵を付けようとすると、更に難題が増します。】
耀春は、真剣な表情で田楽の言葉に耳を傾けた。
【この皿に絵付をしようとすると、先ず琥珀の皿を高温で焼き、その上に絵を描いて、もう一度低温で焼くという手順をとります。しかしこれほど多くの色を使おうとすると、焼き付けた時の発色には必ずムラが出ます。一人の絵師でも難しいのに、複数の絵師が絵を描くとなると…。出来上がった絵皿に統一性を求める事は不可能でしょうな。】
田楽の説明を最後まで聞いた耀春は、肩を落とした。
【やはり無理なご相談だったのですね…】
項垂れる耀春に暫く眼を遣った田楽が、少し考えた後に声を発した。
【貴女の言われた事は、難しい事に更に難しい事を重ねようとしているのです。しかも半年しか期限がないと伺(うかがったので、不可能と申し上げました。しかし、方法が無い訳ではありません。】
田楽にそう言われて、耀春は顔を挙げた。
【先ずは、どうしても琥珀の皿でなくては駄目なのでしょうか?】
【それは、どう言う意味ですか? 他に何か手立てがあるのでしょうか?】
田楽は、傍に置いた葛籠を開けて、木箱を幾つか取り出した。
そして次々と木箱の蓋を開けて、中に収めた小皿を耀春の前に並べた。
【それぞれ、青、薄青、白の皿です。釉薬の調合を変える事で、この様に異なる色の皿を作り出す事が出来ます。白に近づくほどに、歩留まりは良くなります。もう一つ、絵画については多色使いを止めて、使う色をある一色だけに絞れば、大人数でも統一性のある絵皿が作れます。】
それを聞いた耀春の顔に興奮の色が浮かんだ。
【その色とは、何なのですか?】
【青です。青の色材が、焼いた時に一番ムラが出難いのです。しかも青の色材は、濃淡を最も安定して焼き付ける出来る事ができます。多くの絵師が一斉に取り組んでも、統一した作品を生み出す事が出来るでしょう。青の絵具に相性の良い基本の皿ですが、この薄青をお勧めします。絵具を乗せてもう一度焼いた時の発色が、一番安定します。】
【素晴らしい。ぜひ田楽様の教えに従いたいと思います。それで、田楽様にお願いがあるのですが…】
【はて、何でしょうか?】
首を(かし)傾げる田楽に向かって、耀春は頭を下げた。
【私だけではなく、絵画処の絵師全員に、陶器への絵付の手法をご教授願えませんか?それと、絵付前の薄青の皿の焼成、そして絵付後の最後の焼き上げを、田楽様の窯でお願いしたいのですが…】
田楽は、耀春の言葉を聞きながら長い白髭を弄った。
【ほぅ。それは大仕事ですな。当然、それに見合った報酬は頂けるのでしょうな?】
【ほ、報酬ですか…。申し訳ありません。私にはその事は全く分かりませんので…。それが判断出来る方に相談しないと…。】
焦って口籠る耀春に、田楽は笑い顔を見せた。
【王宮に確認など取る必要はありません。その仕事を請け負う報酬として、此処にある貴女の絵を頂戴したい。】
田楽の言葉に、耀春はぽかんと口を開けた。
【私の様な者が描いた絵など、報酬になる筈がないではありませんか…】
【いや、この絵を頂戴したい。将来、純金何袋にも化ける絵ですからね。それにこの仕事は、王宮が絡んでいるのでしょう。そうでなければ、この様な大掛かりな仕事などあり得ない。そんな大仕事となれば、是非一枚噛ませて頂きたいのです。】
田楽を見送った後、潘誕が不安気な表情で耀春に尋ねた。
【あの様な事、お前が勝手に決めて良いのか? 何恭様から不興を買う事にならんのか?】
【分かりません。でも何恭様からは、今回の帝からの御下命については私の好きなようにせよ、と言って頂いています。でも絵画処の皆さんを巻き込むまでは了承を頂いてはいないんで…。直ぐにお話する様に致します。】
耀春が、炎翔が操る馬の背に同乗して王宮に向かうのを見送った後、潘誕は厨房横の倉庫に潜りこんだ。
【何を探しているのですか?】
華鳥に問われた潘誕が、乾燥した赤い植物の実が詰まった壺を手にして倉庫から出てきた。
潘誕が手にしている壺を見て、華鳥が言った。
【その赤い実は、以前に飛仙の蔵から貰って来たものですよね。確かトウガラシとか言う…。もしや今度の饗応に使うのですか…】
【未だ分からん。しかし確か番頭殿は、これは遥か西域から渡来した香辛料と言われていた。ずっと仕舞い込んでいたが、今回使い方を試してみる価値はある。】
壺の中の匂いを確認した華鳥の顔が歪んだ。
【何です、此れは…。口にする迄もなく、強烈な辛味が鼻を刺します。この様なもの、料理に使えるのですか?】
潘誕は、壺から立ち上がる辛香に鼻を寄せながら、考えを巡らせた。
【ふうむ。確かにこれ単独では使うのは難しいな。だが上手く使えば、これまでにない料理が出来るかもしれない。】




