遠き西国よりの使者
志耀は、自分だけの仕事部屋に籠っていた。
此処は、志耀が思索に耽ったり、様々な道具を考案する時に使う部屋で、志耀が出入りを許した数人の側近以外は立ち入る事が出来なかった。
そんな部屋に、王平が血相を変えて駆け込んできた。
「帝...。大変です。西の国境砦から急使です。異国からの人物が、国境砦を訪れて来たそうです。その使者は、遥か西方の国からやって来たとの事で…羅馬という国の使者と名乗っているそうです。」
王平の報告を聞いた志耀は、直ぐに華真を呼び出した。
直ぐに伺候して来た華真は、『羅馬』という国名を聞いて、思い当たったように顔を挙げた。
「その国の事、司馬炎殿から伺った事があります。波斯国(はしこく=ペルシャ)の更に西方に広大な領土を持つ帝国だそうです…。その規模は、我が暁にも匹敵するとか…。それと飛仙の父も、その国について語っていた記憶があります。我が国の絹を大量に欲しがっている大国が遠い西域にあると。」
「ほぅ。そんな国があるのか。世界は広いのだな。しかし外国との商いに聡い飛仙の御当主はともかく、司馬炎殿がなぜそのような事をご存知なのでしょうね。それについて華真の兄様は、何か聞いておりますか?」
「司馬炎殿の館に、あの徐庶殿の御子息が滞在されているそうです。その方は遠く西国まで旅をされて、羅馬の西領にまで足を延ばされたそうです。」
志耀は記憶を探る表情になり、軈て華真を見た。
「徐庶殿と言えば、最初は三国の蜀に参謀として仕えながら、自身の母者の安寧の為にやむなく魏に降った方ではなかったでしょうか? 途轍もなく思慮深く、また豪勇の人でもあったと聞いた覚えがあります…」
「その通りです。魏に降った後も、蜀を陥れる策謀にだけは一切手を貸さぬと、曹操帝に言い放った人物です。その後、一切表舞台には出る事はありませんでした。」
志耀が膝を乗り出して、華真に向き合った。
「その徐庶殿の御子息が、司馬炎殿の館におられるのか。しかも羅馬に行かれた事があると…。徐庶殿の御子息ともなれば、父君の叡智を引き継いだ俊才である筈。華真の兄様。その方を直ぐに成都に招く事は出来るでしょうか? 帝の勅命という形は取りたくはないのです。あくまでご自身の意志で赴いて来て頂きたいのです…」
こうして徐庶の息子の徐苑は、志耀の元に参内して来た。
志耀は徐苑と顔を合わせると、直ぐに深く頭を下げた。
「お父上の事、誠に申し訳ございませんでした。もっと早く父の劉備が気づいていれば、お父上に不本意な生き方を強いるような事にはならなかった筈です。」
志耀からいきなり頭を下げられた徐苑は驚き、そして恐縮した。
「帝、何を仰るのです…。父は自ら選んだ道で、志を全うしたのです。死の間際に暁の誕生を見届けた父は、本当に喜んでいました。そして私に言ったのです。『徐苑、これでお前に託すべきものが出来たぞ。暁は今後、志耀様の下で平和を築くだろう。だが、世界は広い。暁を脅かす他の国が出てくる事を考えねばならぬ。暁の平和を保つ為にも、そのような国と戦はしたくない。今後の暁に必要なのは、そうした国との外交だ。それに備えて、お前は早々に旅に出よ。暁の脅威となる国を探し、その情勢を見極めるのだ。』」
志耀の横で控えていた華真が、感嘆の表情になった。
「お父上が、そのような事を。しかも徐苑殿は、お父上の言葉に従って、遠く羅馬にまで旅をして来られたのですね。」
それを聞いた徐苑は、華真に向き直り拝礼した。
「今回、成都へのお召しを頂いて、父の言っていた事が真実であると改めて悟りました。もしや、羅馬から侵攻の気配があるのですか?」
「いや…。未だそこまでは。ただ西の砦に羅馬からの使者が訪れ、帝への謁見を願い出ているのです。その謁見を受けるにしても、向こうの国の情勢が分からなければ対応のしようがありません。徐苑殿に来て頂いたのは、そう言う事情があるのです。」
侵攻ではなく、使者の到来と聞いて、徐苑の緊張が緩んだ。
「成程。喫緊に必要なのは、羅馬の現状についての情報と言う事ですね。」
「その通りです。羅馬に赴いて知った彼の地の諸情勢、是非お聞かせください。」
徐苑は一度息を吐き、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「今、羅馬という帝国を統治しているのは、コンスタンティヌスという人物です。」
横にいた王平が、きょとんとした表情になった。
「コンスタン…、テ…。舌を噛みそうな名前だな…」
「羅馬という国は、一時期は遠き西国の地域全てを支配下に収めていました。ところがその後内乱が没発して、帝国は東と西に二分されました。その後それぞれの国に正帝と副帝が置かれて、その四者による権力争いが行われて来たのです。」
それを聞いた王平が眼を見開き、溜め息をついた。
「我が国でも三国の抗争があったが、四者拮抗とは…。大変な状況だな。」
「それを統一へと導いたのが、コンスタンティヌスなのです。この皇帝によって、羅馬は東西の併合を果たして、昔の羅馬を取り戻したのです。」
華真は興味深げに頷くと、徐苑に尋ねた。
「ふうむ、なかなかの人物なのですね。しかし何故、その皇帝が今になって暁に使者など寄越したのでしょうか?徐苑殿に思い当たる事はお有りですか?」
華真に問われた徐苑は、少し考える仕草を見せた後に顔を挙げた。
「統一されたとは言え、未だ羅馬は一枚岩ではありません。嘗て正帝や副帝を務めた者達が、虎視眈眈と復権を狙っています。今回の使者。それらの者達を抑え込む為の、皇帝の遠謀と考えます。」
「ほぅ。その遠謀とは、どのようなものなのです。」
「東方にある暁の存在を、皇帝が知ったからこその考えと思います。羅馬の権力争いは、未だに帝国内で燻っております。皇帝としては、そんな相手達から突出するものが欲しいのでしょう。そこで暁に眼を付けたのだと推察します。」
志耀は黙ったまま、じっと徐苑の話に耳を傾けていた。
「東西が統一され、領土が拡張されれば、何より問題となるのは今後の帝国の防衛。その為には、自国戦力の強化だけではなく、強大な力を持つ他国との同盟が有効と考えたのではないでしょうか。それを真っ先に提案できれば、帝位を狙う他の者達に対しての強い牽制の手段となりますから…」
その時、初めて志耀が口を開いた。
「しかし、それほど大きな帝国が防衛を考えなくてはならない他国など、存在するのですか?」
「波斯国です。羅馬の西に国境を接する国です。度度羅馬と戦を構えて来ており、羅馬を打ち破った戦いも多いと聞いております。」
徐苑の話に、志耀は納得顔になった。
「ふぅむ、あの波斯国か…。成程、そういう経緯があるのか。徐苑殿。知らせて頂いた事感謝致します。」
「そのような御言葉、とんでもない事です。今になって父の予見の凄まじさを、改めて感じております。」
志耀は、その場にいる全員の顔を見回した。
「そうなれば、その羅馬の使者、空手で追い返す訳には行きませんね。。戦ではなく、同盟を求めているのであれば、こちらとしても考えねばなりませんね。。先ずは成都に迎えるのが良いですかね?」
志耀の問いに、華真が同意した。
「それがよろしゅう御座いましょう。徐苑殿のお考え、私も得心致しました。ただし、その真贋は、使者の口から出る言葉によって判ずるべきでしょう。」
こうしてローマからの使者は、成都へと迎えられる事になった。
「このような遠方まで、ようも来られた。暁への旅の途中には、御国とは刃を交わす波斯国があるというのに。」
王宮の謁見の間に通された使者は三人だった。
いずれも髪は金髪、そして青い瞳をしていた。
徐苑が志耀の言葉を通訳して伝えると、三人の顔に驚きが浮かんだ。
「我が帝国とペルシャの今の関係をご存知なのですね。そのような事まで把握しておられるとは…」
そのような事は当然とばかりの表情を見せなら、志耀が尋ねた。
「羅馬が強大な帝国である事は承知しています。暁から遥かに離れたその帝国から、貴方達は何を求めてここまでいらっしゃったのですか?」
三人の中から、真ん中にいた一人が進み出て拝礼をした。
「御国との同盟を結びたいと、我が国の皇帝陛下が望んでおられます。東と西の大国同士。両国の今後の為にも望ましい事と考えます。是非、ご一考願いたく…」
使者の言葉に対して、志耀は難しい顔を見せた。
「それは、御国と波斯国の緊張関係を意識しての申し出ですか?我が暁は、波斯国とは険悪な関係にはないのですが…。むしろ東西の交易を結ぶ道の開発について、話し合いを始めようとしているところなのです。」
志耀の言葉を徐苑が伝えると、三人の使者の顔色が変わった。
「そ、そのような話が進んでいるのですか。」
「我々は、近隣の国と戦を構える気は毛頭ないのです。むしろ互いに利を得る方向で話合いを進めるのは当然の事と考えています。」
使者達の表情に、焦りの色が浮かんだ。
「それでは、ローマとの同盟をお考え頂く余地は無いと…」
使者達の顔を見据えながら、志耀は薄く笑った。
「御国と友好的関係を結ぶ事は歓迎です。。不戦協定ならば喜んで受け入れます。我々は、どんな事があっても、戦は望みませんからね。同盟など結べば、御国は直ぐに我が国に対して、波斯国への侵攻支援を求めかねませんからね。それは御免蒙ります。」
使者達は、返答に窮したように互いの顔を見合わせた。
暫くの沈黙の後、中央の使者が意を決して顔を挙げた。
「分かりました。では、せめて我が帝国からの使節団の受け入れを了承頂けないでしょうか。先ずは互いの意思疎通を図るという事で…」
使者の申し出に、志耀は額に手を遣った。
「ふうむ。使節団ですか…。その申し出は、検討して数日中にご返事致しましょう。」
「同盟から転じて、使節団派遣か…。今度は搦手から来る気なのだな。」
そう言って、志耀は重臣達を見回した。
「帝。使節団と言っても、波斯国を越えて来なければならないのです。今回の使者のように少数ではなく、それなりの大人数となれば、警護の兵団も必要となります。そうなれば、波斯国も直ぐに気付きましょう。本当に暁まで辿り着けるのでしょうか?」
そう言う王平の言葉に、志耀は片手を振った。
「それは、あちらの考える事だ。此方が考えるべき事は、その使節団を受け入れるかどうかだ。」
すると華真が、場の全員を見回しながら意見を述べた。
「向こうが来ると言うのであれば、受け入れるのが宜しいでしょう。外交の道を開いておければ、将来いざこざが起こるやもしれぬ芽を事前に摘む事も出来ます。」
華真の言葉に、志耀も同意した。
「うむ、華真の兄様の言う通りだな。」
「それと今一つ。呉郡で建造が進んでいる最新鋭の大型船。その内の一艘で、使者達を羅馬へと送り届けては如何でしょう?」
華真の言葉に王平が首を傾げた。
「何の為にそのような事を?」
「使者達が陸路で羅馬に戻るとなれば、再び波斯国を通らねばなりません。それよりも海路を通った方が遥かに安全です。更に此方の方が重要な事柄ですが、羅馬が使節団派遣を正式に決定した場合には、その船を使って暁に来て貰うように申し入れをするのが良いでしょう。あの船に乗れるのは、最大五百名。暁から送迎に派遣する人数を差し引けば、羅馬からやって来る護衛の軍勢を最小限に抑える事が出来ます。いかに使節団と言っても、数多くの兵士が一緒に成都に入って来るのは避けたいですからね。」
華真の言葉に、王平が納得顔になった。
「成程、分かりました。呉の新鋭艦は、海を越えて遠い他国と交易を結ぶ事を視野に入れて開発されたものです。羅馬への往復となれば、試験航海としても都合が良いですな。」
華真と王平を見比べながら、志耀が決定を下した。
「それでは、そのように使者に申し入れる事としよう。」
こうして、使者達は、暁が誇る最新鋭艦に乗船してローマへと戻って行った。
そして一月後、使節団派遣決定を告げる文を括り付けられた鳩が、成都へと戻って来た。
「羅馬が使節団派遣を決定したとの事です。準備に時間を要するのと、海の荒れる時期を外して出港するので、暁にやって来るのは、半年後になると思われます。」




