空蝉と踏み切り 2
次の日の朝、花屋へ向かう道すがら、踏み切りを渡ったところで、昨日の少女と出会った。静かな予感は合った。
幼いのに早起きだ。時計を見ると六時半になったところだった。セミもまだ鳴いていない。
昨日と同じ位置で棒立ちしている。
「なあ、キミ」
花屋の朝は早い、とはいえ短期アルバイトの僕の出勤時間にはまだまだ余裕がある。
「こんなところで昨日から何をしているの?」
「渡りたい、だけ、です」
小さく蚊の鳴くような声で少女は呟いた。
「一人じゃ怖くて渡れないの?」
カンカンカンと警報音が響き、朝焼けの赤色が点滅に混じる。遮断機が降りて、遠くに電車の警笛の音がした。
少女は小さく頷いた。
「一緒に渡ってあげようか?」
手を差し出す。
少女は目を一度大きく見開くと僕のことをまじまじと見つめた。
「なんで、ですか?」
「困っている人がいたら助ける。それだけだよ」
「おにいさんは、ヒーローみたいですね」
「ヒーローか。なれたらいいな」
ゴォ、という轟音とともに風を引き連れて電車が僕らのすぐ横を通過して行った。八月の中旬、車両には空席が目立った。
「キミ、名前は?」
「四方日菜子です」
「日菜子ちゃん、勇気をだして」
それから数秒して、遮断機が上がり、今日も暑くなりそうな空を指し示した。
「よろしく、お願いします、です」
少女は僕の手のひらに、小さくて冷たい手のひらを重ねた。それをぎゅっと握り、少女の手を引いて、線路を渡ろうとした。
が、少女は頑なに足を前に出さなかった。
「なにも怖くないよ。電車はしばらく来ない」
「ごめん、なさい、やっぱり、いやです」
無理やり僕の手を振りほどくと、少女はその場にしゃがみこんだ。ここだけ見られていたら、人拐いと誤解されてしまいそうな光景だ。
「なにが嫌なの? 電車?」
「いいえ……」
小さく少女は続けた。
「人が嫌です」
「人? なんで?」
「痛くて辛くて泣いてるのに、誰も助けてくれないからです」
「それはきっと気のせいだよ。君が泣いていたら、僕は絶対に君の力になるからさ」
「ほんと?」
涙で潤んだ瞳で僕をじっと見つめて来たので、僕は笑って頷いた。
「もちろん」
「ヒナのこと、助けてくれる、ですか?
「お安いごようさ」
「……うれしい、です」
花咲くような笑顔で少女は笑った。
僕は彼女の手をもう一度強く握り、線路を越えるため歩き出した。
今電車が行ったばかりだ。
しばらく警報が鳴ることはない。
それでも少女の足取りは重かった。鉄枷でもつけられたように、なかなか前に進まない。
なかば引きずるように少女を前に進ませた。線路に躓くこともなく、一歩一歩を薄氷の上を行くように、慎重に少女は足を進ませる。彼女はぎゅっと目をつぶり、口端からは唾が泡のようになっていた。
「がんばれ」
僕は必死に声をかける。
「もう少しだ」
早朝のため人気はない。少女が勇気を振り絞る姿を見るのは僕だけだった。
ようやく線路を渡りきった。たかだか数メートルの移動なのに息も絶え絶えになった少女は背後を振り返り、無事に踏み切りを越えられたことを悟ると手を叩いて喜んだ。
「やった、です。やった、です!」
「うん、よかった」
ぺこりと大げさに少女は頭をさげて、僕に「ありがとう」とお礼を言った。
朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、少女は幸せそうに目を閉じた。
「これで行けます、です」
「どこに行くの?」
「先に進むんです」
「一人で平気?」
「はい、大丈夫です」
手を大きくふって走っていった。小さな背中が見えなくなるまで時間はかからなかった。
ふと横を見ると昨日セミの幼虫を逃がした街路樹があり、同じ位置にそれはいた。
しがみつく幼虫の背中はぱっくりと割れ、白い成虫がぶら下がっていた。黒江さんはアブラゼミの幼虫と言っていたが、とても信じられなかった。緑色の筋が白い体に這っていて、朝日を浴びてキラキラしていた。まるで妖精のように美しい。
僕の手のひらには確かに少女の温もりが残されていた。
いい気分で職場に行くも、アルバイト最終日もなかなかヘビーだった。
花束の作成や水やりなどの通常業務は元からいる社員がやるので、僕の業務はもっぱら接客応対なのだが、これがまた厄介極まりなかった。
よくわからない専門用語で声かけられても、笑って誤魔化すしかない。
接客も一段落してきた頃、配達に回ることになった。自転車で、近くの霊園にお供え花を持っていく、単純な仕事だ。
門を潜ると、広い敷地いっぱいに墓石が建ち並んでいるのが見えた。本堂で住職に挨拶して、花を境内に置く。お代をもらい、貼り付いた笑顔でお礼を告げる。
帰りがけ、枯れかけた花の処分を依頼されたので、奥の倉庫横に置いてある花束を回収し、足早にその場を後にする。
通りすがったお墓に『四方家ノ墓』とあったので、思わず足を止めてしまった。
四方日菜子。先程の少女の笑顔がよみがえる。よくある名字とは思えないが。
こめかみから汗が垂れてきた。
嫌な予感がする。
ポケットで携帯が震えた。住吉からのメールだった。
『配達終わったら帰っていいぞ。こっちはもう大丈夫だ。今日はサンキューな』
住吉らしい端的な連絡だ。僕はそれに「エプロンはどうしたらいい?」と返事を打って送信する。
「日菜子の友達?」
「え?」
声かけられたので振り替えると、痩せこけた女性が立っていた。手には柄杓と水桶を持っている。お墓参りに来た人らしい。
「日菜子、さんのお墓なんですか?」
そんなバカな、という混乱が脳内を渦巻く。
「そうよ。そうだけど、あなたは誰なの?」
目がくぼみ、やつれているように見えたが、女性には日菜子ちゃんの面影があった。
線香の匂いがした。
四方日菜子。踏み切りの前で立ち尽くしていた少女。
「僕は、えっと、ただ通りがかっただけです」
「もしかして、あの子が死ぬところを見てたの?」
「え?」
穏やかな表情をしていたのが、一転にして、鬼のような形相に変わる。
「あんたたちがすぐに救急車を呼んでくれたら、あの子は助かったのに!」
「ちょ、ちょっと待ってください、なんの話ですか」
「ふざけないで! うちの子は見せ物じゃない! 仕舞え!」
桶を落として、女性は僕に向かって手を突き出した。水しぶきが上がり、石畳を黒く染め上げる。
「ちょ、ちょっと、なんの」
「お前らが悪いんだ、お前らが」
骨ばった手が伸びて、僕の肩を勢いよくつかんだ。つり上がった目は般若のようで、完全に僕を憎んでいるようだった。
静かな霊園で騒いでいたのだから、すぐに住職さんがやって来て僕らを引き剥がした。おばさんの職員さんが僕に襲いかかってきた女性を連れて建物に入っていった。
女性の罵詈雑言が耳の穴に滞留する。
「なにがあったんですか?」
と、お坊さんに訊かれたので、ありのままを報告する。
「そうですか……それはご面倒をお掛け致しました。代わりに謝ります」
「いえ、僕も人の家のお墓の前で無遠慮でした。あの、それであの人は……日菜子さんと言ってましたが、それは誰なんですか?」
「あの方の娘さんです。愛らしい良い子でした」
「亡くなったんですか……」
「ええ。娘さんを亡くされてから、少し心を病まれてしまっているのです。どうか、恨まないであげてください」
女性に強く握られた肩がずきりと痛んだ。
「あの、日菜子さんは電車事故で死んだんですか?」
少しだけバツの悪そうな表情を浮かべてお坊さんは困ったように呟いた。
「あまり詳しく申し上げることはできないんです。檀家さんの個人情報ですから……」
「お前らが悪いと言って、あの人は僕に掴みかかって来ました。日菜子さんは誰かに殺されたんですか?」
「あ、いえ、そういうわけではありません。あくまで事故です」
すっ頓狂な声をあげ、お坊さんは首を横に振った。
「誰が悪いとかはありません」
「それなら、なんであの人はあんな……」
浅くため息をついてお坊さんは続けた。観念したらしい。
「日菜子さんは駅前の踏み切りで電車に轢かれました。即死です。
ただ、めずらしがってスマートフォンというんですかね、あれで動画や写真を撮ったりする野次馬が多かったらしいんですよ。嫌な時代になりましたね」
ポケットで携帯が震えた。住吉からの返信が来たらしかったが、出られなかった。
自転車を返して、僕は自宅に帰ることにした。考えてみれば、線路の向こう側にこの霊園はある。日菜子ちゃんが進むといっていたのは、もしかして霊園を目指していたのだろうか。
いや、偶然だろう。
「おろー、ヘータくんじゃないか。昨日ぶりだねぇん、よく会うねー」
能天気な調子で黒江さんに声をかけられた。
正直言葉を交わす元気は無かったが、無視するわけにも行かないで「こんにちは」と挨拶する。
「あっ、昨日のセミ、孵ったんだね」
黒江さんはにこにこと街路樹の脱け殻をひょいとつまんで太陽に掲げた。
「うーん、素晴らしい空蝉だ。失敗しないでよかったよかった」
「うつせみ、ですか?」
「脱け殻のことをそう呼ぶんだよ。もぬけともいうけどね。古典で習わなかった?」
「いえ、でもなんか聞いたことがあります、うつせみ」
「うん。もともとは現身と言って「この世を生きる人」という意味があったんだけど、空蝉という字を当てたことによって儚いもののイメージになっちゃたんだってさ。もののあはれ、というやつだよん。ほら、蝉ってそういうイメージじゃん?」
「そうですね。黒江さんは古典が好きなんですか?」
「うん。古典博士とは私のことだよん」
虫博士との二足の草鞋はさそがし大変だろう。
少し落ち込んだ気持ちが黒江さんとの会話で救われていくのがわかった。
「でも一番好きなのは詩かなぁ」
間延びするように言ってから、微笑む。
「ああ。僕もすきですよ。古池や蛙飛び込む水の音、とか」
「松尾芭蕉? それなら私は……」
黒江さんは僕に松尾芭蕉の一句を教えてくれ、住吉フローリストに予約していたお供え花を取りに行った。
一人きりになった僕はなんとなしに青空を見上げ、蝉の声に耳を傾ける。
無常迅速。
深く考えるのはやめよう。
一人の女の子が救われた、それでいいじゃないか。
「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」
踏み切りの音が聞こえ始めた。
サードシーズンでございます。
暇潰しに思い付いたことを綴るに丁度よいのが「黄昏せまれば」の良いところ。
以下、各話の後書きになります。
『桜は散る、夏の影』
少し暗い感じの話になんで地の分を明るくしました。将来的に後悔するとわかっているのなら、加害者なんてならない方がいい、と個人的には思います。まあ、難しいか。
『蛇座す山の熱帯夜』
部活で使っていた競技場の公衆トイレがそういう場所だったと大人になってから知りました。知らない世界は恐ろしいものです。
『空蝉と踏み切り』
さすがに数年ぶりの更新、かつ最終話が「蛇座す山の熱帯夜」だと締まらないな、と思って急遽作りました。最近のニュースで流れる視聴者提供は見ててモヤモヤします。
4話ごとに後書き書いてるで、あと1話ぶんなんか書くかもしれません。わかりません。
よろしくお願いします。
↓
空蝉と踏み切りの前に一話追加しました。
『碧緑、空を舞う』
友達がインコ見たってはしゃいでました。それだけです。
ご一読有り難うございました。




