蛇座す山の熱帯夜 1
夏休みに入って、夜更かしと朝寝坊を繰り返す日々を送っていたら、すっかり曜日感覚を失ってしまった。
用も無いのに外出するのも億劫だし、宿題も七月中に終わらせたので、変わり映えしない毎日に飽きてしまった。こんなことサラリーマンに言ったら怒られるだろうか。
普段遊ぶ男友達は家の手伝いで忙しそうだし、遊び相手もおらず、ずっと部屋にこもってゲームをやっていた。
「お兄ちゃんってほんと毎日暇そうだよね」
コントローラーをガチャガチャやっていたら、いつの間にか後ろに立った妹が冷たい言葉を投げ掛けてきた。
「暇じゃないよ。今だって世界を救うのに忙しいんだから」
「ねぇ、そんなのどうでもいいから、相談乗ってくれない?」
そう言うと僕の背中に足をぽんとつけた。画面では腐ったドラゴンが酸性の吐瀉物を吐き出していた。
「明日花火大会でしょ。よく見える場所知らない?」
「そういやそうだったね。一緒に行く?」
「行くわけないじゃん。バカじゃないの?」
辛辣な言葉に密かに傷つきながらも、ドラゴンに強力な一撃を食らわせる。
クーラーが利いた室内に居たので、気づくのが遅れたが、時間的にはもう夕方だ。中天より西に傾いた太陽が柔らかな日差しを部屋に落としている。
年に一度の花火大会は僕がよく行く珠川の土手で行われる。
「どの位置からなら花火が綺麗か教えてよ」
だから、僕に相談を持ちかけてきたのだろう。
「上流にある橋が一番綺麗に見れるんじゃないかな」
「そんなん知ってるし。てかそこ凄い混むからね。穴場を教えてって言ってんの」
妹は唇を尖らせて僕を睨み付けて来た。
そんなこと言われても困る。僕の趣味はあくまで河川敷の散歩であって、花火を見ることではないのだ。
「なんかないの。廃ビルとか」
「廃ビルなんて危ないよ。そういや、高台が町外れにあったけど、あそこからなら川が見れるし、もしかしたら花火も見えるのかもよ」
「あっ、あの丘のてっぺんって公園になってたよね! すごくいいじゃん!」
地元小学生は遠足で大抵足を運ぶ場所だ。あそこからは町が一望できる。ただ花火がきちんと見れるかは未知数だ。
「ありがとっ! そこにするね!」
「あ、待ってよ。実際に見れるかはわかんないよ」
「うーん、そうだよね。お兄ちゃん下見に行ってきてよ」
「やだよ。自分のことだろ」
「はあ、しょうがない、ちょっと行って確めてくるか」
妹はうきうきとドアを開けて出ていこうとした。
「ちなみに誰と行くの?」
「カ……誰でもいいじゃん、そんなの!」
照れ臭そうにドアを閉めた妹を見て、僕は堪らなく空しくなった。
そのまま夕方までゲームをしていたら、ケータイが着信で震えた。一旦ポーズして、電話に出る。
画面には朽木伽藍と表示されていた。近所に住むオカルト好きの女子中学生だ。ひょんなことで知り合ってから妙になつかれているのだ。
「山田、暇か?」
挨拶もなしに、開口一番伽藍は言った。
「世界を救うのに忙しい」
「いまお前の家の前にいる。出掛けるぞ」
メリーさんだってもっと秩序を重んじたわ。
「嫌だよ。めんどくさい。いまから出かける気かよ」
時計を見ると十八時。夏なので日は高いが、あと一時間もすれば日没だ。
「無論だ。とてつもない噂を仕入れたのだ。降りてこい」
「嫌だ」
チャイムが響く音がした。
玄関で母が伽藍を招き入れる声がして、それから僕の部屋がノックされるまで数分もかからなかった。
「いまお前の部屋の前にいる」
「おい、僕の自由意思を尊重しろよ」
「開けるぞ」
言うや否や返事を待たず伽藍は僕の部屋のドアを開け、手袋をはめた右手の親指をグッとつき立ててから、爽やかな表情で言った。
「肝試しに行こう!」
家にまで上がり込んで僕の日常を脅かす存在になった伽藍はたすき掛けしたポシェットから百均で買えるリングノートを取り出してパラパラと捲った。
「目的地は蛇籠神社だ。神社といっても移設してるので、鎮守の森だけが残った小高い丘だがな」
「どこだよ、そこ」
「県境のとこだよ。いまじゃ切り崩されて団地とかになってるけど、昔は円錐形していて、それがとぐろを巻いた蛇に似てるから、蛇籠神社の神体山だったんだ」
「神体山?」
「神道の山岳信仰における神が宿る山のことだ。まあ、そんな文化も廃れてるみたいだけどな」
「ん……もしかして遊歩道とかあったりする?」
「うむ。上りきったさきが公園になってるんだ。遊具はないけど」
妹に進めた高台だ。話というのは重なるものである。
「あそこ、神社だったの?」
「ほー、興味津々ではないか。良い機会だから教えてやろう。あそこが奉っていたのは蛇神だ」
「へびがみ?」
「珠川がよく荒れたからな。そこを鎮めるための水神として蛇が選ばれたんだ。ヤマタノオロチしかり、川の濁流とうねりは蛇を想起させるからな。昔は生け贄を捧げて川を鎮めた、なんて伝説もあるそうだぞ」
あんまり聞きたくなかった。
「そんなこんなでな、今日塾の男子から聞いたんだが、夜にあそこに行くと、食べられてしまうらしいんだ」
「食べられる? なにそれ。神様じゃないの?」
「詳しくは教えてくれなかったが、ともかく食われるらしい。私はきっと蛇の化け物じゃないかと考えている」
妹に薦めるべきではなかった。いまはそれだけがはっきりしている。
僕はゲームをセーブして、立ち上がった。そのまま壁にかけられた自転車の鍵を持って、伽藍とともに家を出る。
出掛けに母親から夕飯の有無を訊ねられたが、答えは「いる」に決まっていた。妹の真奈に会ったらすぐ帰るようにいうだけである。
しきりに二人乗りをせがむので、伽藍をサドルの後ろの荷台に乗せて走り出す。車体が重たいので少し走ったらすぐに汗が吹き出した。
警察官にバレたら大目玉くらうから、やりたくなかったが、夏の夕暮れの夜気を含んだ空気を裂いて進むのは心地がよかった。坂道を一気に下るとき、風でシャツが膨らむのを伽藍の小さな手のひらが押さえつけていた。
セミの声がいくつもぶつかり合う雑木林についたのは、家を出てから二十分ほどしてからだった。県境は地味に遠い。僕は自転車のスタンドを遊歩道の入り口に止めて、土がむき出しの地面を歩き始める。噎せ返るような草いきれに少し頭がふらついた。オレンジ色の夕日が眩しく木々の隙間を縫っている。
「ふふふ、黄昏、おうまが時、ドキドキしてくるな」
「外灯ないから夜はまっくらだな」
緩やかな上り坂の遊歩道だ。自然の散歩道なんて入り口の看板には書いてあった。子供が遠足で上るような丘で、よほどのバカじゃない限り迷うことはない。道なりにまっすぐ進む。
今日は天気がよくて、空気が澄んでいるからだろう。遠くの空に富士山が見えた。
「あ! 見ろ山田!」
ふいに伽藍が道端を指差した。白いプラスチックのゴミが落ちている。
「蛇の脱け殻だ!」
「いや、ゴミだろ。よく見ろよ」
「いいや、違う。クチナワだよ。朽ちた縄が蛇に似てるからそう言うんだ。やはり蛇はいるんだな」
「そりゃ、こんだけ山だったらな」
小さい頃、蛇が這っているのを見たことある。珍しい動物を見てテンション上がったが、「小学生男子はすぐに蛇に手を出して病院送りになる」と里山を守る会のおっさんが嘆いたのを見て、反省した記憶がある。
伽藍はうきうきとソレを拾おうと屈み込んだ。小学生以下か。
「汚いぞ」
「ゴミじゃないぞ。ほら見ろ、脱け殻……」
つまんで見せたのはデパートの入り口なんかに置いてある傘を入れるビニールの袋だった。つまりゴミ。
「ちっ」
舌打ちをして、伽藍はそれを元の場所に戻した。「一度拾ったゴミをまたポイ捨てすると、自分は悪くないのに微妙に罪悪感が痛むよね」と言ったら「意味わからん」と返された。




