蛇座す山の熱帯夜 2
頂上の公園についたとき、辺りはすっかり暗くなっていた。
空には星が浮かび、セミの声も静かになる。一瞬にして異世界に迷い込んだみたいだ。
額に滲む汗を袖口でぬぐい、辺りを見渡す。妹はいなかった。ケータイを見ると、出掛けに送ったメッセージに返信が返ってきていた。
『あそこじゃ花火見えそうにないから、別のとこにするよ』
どうやら徒労だったらしい。
「じゃ、帰ろうか」
ポケットにケータイを仕舞う。
高台からは町が一望できた。川も見えたが、ここからだと位置が悪くて、花火が小さくなりそうだ。穴場スポットとは言いがたい、骸骨みたいな送電鉄塔が薄くなった夕日に照らされていた。
「な、まだ来て五分もたってないぞ」
「妹がここ行くって言ってたから心配で来たけど、もう家にいるみたいだし、長居すると蚊に食われちゃうからね」
蛇ではなく、蚊にだ。
「蚊は刺すもんだろ」
不服そうに伽藍は言った。
「いや、食われるっていうでしょ。あれ、噛まれる、だっけ」
「そんなことはどうでもいい。それよりもう少しだけ見張ろう! お願いだ! エクソシストの血が騒ぐんだ!」
そんな血は蚊に吸われてしまえ。
それから伽藍と天体観測をした。ペルセウス座流星群の時期が近いからか、流れ星を数年ぶりに見た。見つけることが出来なかった伽藍は唇を尖らせて不満そうに夜空を睨み付けていた。
何だかんだで楽しかったが、やっぱり蚊が多くて煩わしいので、さすがに限界だと伽藍に文句を言ったら、「しっ!」と唇に人差し指を当てて僕に目で合図してきた。
誰かやって来たのだ。
公園内には申し訳程度の外灯が一基と、公衆トイレがあるくらいだ。特別な用事で訪れるとは考えづらい。それもたった一人きりで。
不気味としか言いようがなかった。
頼りない灯りに照らされた人影はやせ形の男性のようだった。
男は沈んだ顔のまま、公園内のトイレに入っていった。
「……」
僕らは草影に隠れてそれをじっと見ていた。
怪しさ満点だ。
「な、なんだ、あの人、こんな時間に……」
散歩ではなさそうだ。リュックを背負っていた。仮に散歩だとしてもこんな暗い山道を歩いてまでここに来る理由が見つからなかった。
熱帯夜が汗をかかせる。
「まさか、蛇神とコンタクトを取ってるじゃないだろうか」
「コンタクトってなんだよ」
「蛇は昔から畏敬の念を抱かれると同時に災厄をもたらすともされてきた。四国や中国地方にはトウビョウという蛇に似た呪法があるくらいだ」
「おい、もしかして」
「あの男は誰かを呪い殺そうとしているのかもしれない。蛇が獲物を呑み込むように人を呪う。だから『食われる』と表現されているのかもしれないな……」
「帰ろう」
少なくともそうだとしたら、あまり積極的に絡むべきではない。なにも見なかったことにして、すぐに帰るべきだ。
「うむ、……しかし」
こんなとこにいる僕らも充分不審者だが、誰かを呪い殺そうとするやつよりはよっぽど健全だ。
立ち上がろうとした時だった。
「あ」
また誰かやって来た。今度は二人、どちらも男性だ。そのあと遅れるように一人続いている。
位置が遠くて会話が聞こえなかったが、野太い笑い声をあげながら、トイレに入っていった。
「……こんな時間に、なんでこんなに人が来るんだ……」
携帯を光らせてみると20時前だった。不気味だ。怖くなってきた。
「……私たちも行ってみよう」
「いやまて。危ない」
僕が静止すると同時に伽藍は飛び出していた。
唯一灯る外灯には蛾が群がっていた。
トイレの壁に「このトイレの清掃は火曜と金曜です」と張り紙がされていた。週二回しか掃除がされていないトイレはお世辞にも綺麗とはいえない。少し潔癖症の気があるので、本当は近付きたくなかったが、伽藍が先走ってしまったから仕方ない。
僕らはそっと壁から中を伺い見てみた。
タイルが広がる空間に小便器が等間隔に並んでいる。
内部は思ったよりも清潔で、安心感を抱かせるような白い蛍光灯が煌々と輝いていた。
男性四人が談笑している。わけがわからなかった。
体格も年齢もバラバラだ。繋がりは見えない。この人たちは何者なのだろう。
観察しても答えは見えてこなかった。
漏れ聞こえる会話から察するに、彼らは初対面のようだった。出身地を語り合っている。
わけがわからない。
「あっ!」
突如として伽藍は大声をあげた。かんしゃく玉が弾けるような声だ。
一斉に視線が襲いかかる。
「なに見てやがんだ!」
一番奥の窓辺にもたれ掛かっていた、ガタイのいい男が怒鳴り付ける。
僕はあわてて伽藍の首根っこを掴んで走り出した。
怒声とともに男たちが僕らを追いかけてトイレを出たのがわかったが、脇目も振らず一心不乱で出口を目指す。
もとより本気で追いかけては来ていなかったのだろう。問題なく振りきれたが、息が酷く上がってしまった。
熱気がこもった二酸化炭素を吐き出しながら、倒木に腰かけて、息を落ち着かせる。
「す、すまない、山田」
珍しく殊勝に謝ってきたので、手だけで、気にするな、と合図してから僕は「なにがあったの?」と訊ねた。
「床にな、……血痕があったんだ」
「……」
ますます分からなくなってきた。
結局、彼らの正体はわからないが、少なくとも生きた人間なのは確かだ。だからこそ、より一層不気味なのである。
超常現象の類いなら、思考を放棄して諦めることができるのに。
頭がぐるぐると回りだす。
怪しい取引か、はたまた伽藍の言うとおり、呪術を施そうとしているのか。
答えはきっと闇の中だ。
灯りがない遊歩道は真っ暗闇だ。目を開けているのか、閉じているのかわからない山道を頼りないケータイのライトで照らして、僕らは下山した。
自転車を停めた入り口に着いたとき、ようやく人心地がついて、僕らは先ほどの恐ろしい光景に対しての各々の考えをぶつけ合った。
「一つ思い付いたんだ。あの人たちはスマホのゲームをしてたんだよ。GPSで楽しむ位置ゲーさ。きっとレアモンスターがわく場所だったんだよ」
「いや、そんな雰囲気ではなかっただろ。もっとこう、殺伐とした……それに、それじゃ、床の血痕は説明できないし。やっぱりあいつらは誰かを呪い殺そうとしてるんだ。蛇籠神社の伝説に『アヤメ』という少女が出てくるんだ。植物の菖蒲だと思っていたが、『殺める』の語感が変化したものじゃないだろうか」
「なんでそうオカルトに持ってこうするんだよ……」
ほとほと呆れてため息をついた瞬間、キッと悲鳴のような音が響いた。
音がした方をみると、青年が一人、自転車を押しながら、こちらに歩いてきていた。どうやらブレーキの音だったらしい。男のシルエットがぼんやりとした外灯に照らされた。
「よぉ、こんなとこでなにしてんだ」
友達の住吉だった。
深緑色のエプロンをつけていた。彼の実家は生花店を営んでいるので、手伝いをしていたのだろう。
「逢い引きかー、こんなとこで、お前も悪いやつだなぁ」
ニタニタと下品の笑みを浮かべて住吉は自転車のスタンドをたてた。
「そんなわけあるか。近所に住む友達だよ」
「おい、山田、誰だこいつ」
蚊帳の外の伽藍が声を潜めて訊いてきた。
「ああ、ごめん、こいつは友達の住吉。家が花屋さんなんだ。そんでもってこっちは朽木伽藍。オカルト好きの中学生だ」
「よろしくな、伽藍ちゃん」
「……よろしく」
思ったより、伽藍は人見知りらしい。ぼそりと呟いてから頭を微かに下げた。
「いま配達の帰り?」
「ああ、この時期は忙しくて困るよ。盆だからな。菊の需要高騰中」
「そうなんだ。家業があると大変だな」
「まあ、お小遣いというなのバイト代がでるからいいけどさ。それより、お前、こんな時間にこんなとこいるとあぶねーぞ」
へらへらと笑いながら、住吉はサドルに股がった。
「まあ、そうだよね。暗いし。野性動物なんかもいそうだしな」
実際遊歩道を歩いていたとき看板に『アブ・ハチ注意』とか『蛇に注意!』といった看板が多くあった。さすがに熊は無かったが、夜行性の危険生物がいないとも言い切れない。
「そうじゃねぇよ。食われるぞ、ってこと」
住吉はいつもの冗談を言う調子で呟いた。
「食われる……、なぁ、それってどういう意味だよ」
「あれ……知らないのか。えーと……」
僕の反応を見て、住吉はあからさまに戸惑った。冗談が通じなくて困っているみたいだ。ちらりと伽藍の方を見て、たどたどしく彼は続けた。
「食われるっていうか、掘られるっていうか……」
「?」
どちらにせよ、意味がわからない。僕と伽藍は二人一緒に大きいクエスチョンを飛ばした。
その様子に困ったように住吉は後頭部をかきながら、僕の耳元でそっと囁いた。
「この頂上さ、有名なハッテン場なんだよ」
「……ん? あっ……」
「じゃあな!」
微妙な空気から逃げるように、住吉はペダルに足をかけた。油がないのか、チェーンを軋ませながら、夜の闇に住吉は溶けていった。
「……」
答えを知って、微妙な気持ちになる僕に伽藍は「なんだ、あいつは何て言ったんだ?」と興味津々といった風に瞳を輝かせて聞いてきたが、なんて説明したらいいのか答えは見えなかった。




