桜は散る、夏の影 1
妹が学校に行かなくなって二週間が過ぎた。連日の真夏日による体調不良などではなく、自室から出ようとすらしないのだ。人生なにがあるかわからないものだ。
兄妹仲は悪くないので、ドアの向こうに声をかけるが、返事は全くもらえなかった。
母や父も突然引きこもりになった真奈に当惑し、カウンセラーを呼んだりしたが、結果は芳しくなかったみたいだ。
本当は家に残って四六時中声をかけたいところだが、僕にも日常があり、生活リズムを崩すわけにはいかなかった。
部活にも出ないで真っ直ぐ帰宅したある日、制服を着た女の子が立っていた。炎天下と蝉時雨のなか、汗も流さず、ジッと家の玄関を見ている。
チャイムを押そうかどうかで悩んでいたらしい。
少女は僕に気づくと、ぺこりと頭を下げてお辞儀した。
「こんにちは。真奈の友達?」
「そんなんじゃ……ないです。私はただ、心配で……」
「ありがとう」
少し考える。
学校には事情を説明しているが、妹が引きこもりになったことを級友には告げていない。僕がこの子を家に上げて、事情を知られたりしたら厄介なことにならないだろうか。
僕の逡巡を知ってか知らずか少女はまたぺこりと頭を下げ、慌てたように走り去ってしまった。
「……」
なんだろう。
妹の交遊関係には詳しくないが、どこかで見たことある気がする。名前は……。まあいいや。
浅くため息をついて、自宅のドアを開けた。
僕の妹は身内の贔屓目を無くしても可愛らしい顔立ちをしていた。髪は常に手入れされていて、昔から活発で笑顔が眩しい良い子だった。
だけど、久しぶりに見た彼女の髪は脂ぎってギドギドしており、上下ダボダボのスウェットを着込んでいた。
「あ」
どうやら一階にお菓子を調達しに来たらしい。熱気がこもったリビングで向かい合う。
顔をまともに合わせるのは、約一ヶ月ぶりだった。
彼女は口をあんぐりと明けたまま、身動きひとつ取らなかった。
「さっき友達が見舞いに来てたよ」
「どいて……」
「久しぶりにレースゲームやらない?」
「……っ」
僕を押し退けるようにして体当たりすると、二階の自分の部屋に戻っていった。
困ったものだ。
軽口も出ない。
妹は一家のムードメーカーだったので、彼女が黙ってしまうと我が家は火を消したように暗くなってしまう。
どうすれば、もう一度心を開いてくれるだろうか。
なんだか、頭が痛くなってきた。
テーブルの上に置きっぱなしのリモコンに手を伸ばし、クーラーのスイッチを入れてから倒れるようにソファにもたれる。
どうしたもんかね。
どうしようもないのかね。
着替えるのも億劫になって、グデーとだらしなく項垂れていたら、母親が帰宅してきた。
「真奈! 先生が来てくれたわよ!」
ただいまもなしに大声を上げた母親は、リビングでくつろぐ僕に気づくと、「あら、居たの」と言わんばかりに鼻をならした。
母さんの後ろには見知らぬ男が立っている。先生と、呼ばれていたか? 真奈が所属する中学の教師陣は知らないが、ずいぶんと派手な身なりである。謎の人物に警戒心たぎらせる僕の視線に気づいてか、母さんは手のひらを皿のようにして紹介してくれた。
「こちらは藤堂さん」
リビングに通じる扉の前で男は軽く頭を下げる。
「藤堂です。真奈さんのケアでやって来ました」
「そ、それはわざわざありがとうございます」
僕は居住まいを正して、頭を下げた。言っちゃ悪いが胡散臭かった。カーキ色のスーツにびっちりとワックスで固められた髪型は、どう見ても教師には見えない。ましてや児童相談所の職員などではないだろう。何者だろうか。
「さっ、藤堂さん。真奈は二階です。遠慮しないで行って下さい」
「それでは失礼」
我が物顔で二階へと続く階段に足をかける藤堂さんに続き、僕も上に行くことにした。
妹の部屋の前についた藤堂さんは軽く扉をノックした。
「真奈ちゃん、藤堂と申します。キミに取りついた悪いものをハライに来ました」
返事はない。藤堂さんは浅く息をついてから、ドアノブに手をかけたが、当然の如く鍵がかけられていた。
ずいぶんと穏やかではない訪問者だ。
「母さん、何事?」
僕は隣でハラハラしながら、事の成り行きを見守っている母親に声をかけた。
「真奈、藤堂さんは霊的なものに詳しいの! きっとあなたの影も治るわ!」
影?
僕の質問を無視して母さんは扉の向こうの真奈に声をかけた。
「出て来て話を聞きなさい」
「お母さん! 他の人に話したの!?」
真奈がドアの向こうで声を荒らげた。
うぅむ、話の筋が見えない。なによりこの藤堂さんは何者なのだろう。
「ええ。でも安心して。藤堂さんは何人も真奈みたいな子を救ってきた実績があるの」
「信じられない! なんで勝手なことするの! 誰にも言わないでって言ったのに!」
妹の感情が爆発するところを久しぶりに見て僕は密かに安堵していた。心まで死んでしまったわけではないらしい。
「うぅむ、埒があきませんね」
藤堂さんはこれ見よがしなため息をついた。
「ドアを開けてもよろしいですかな」
「ああ、はい、構いません……けど、どうやって」
「失礼、真奈ちゃん、少し放てて」
藤堂さんは大きく息を吸って、ドアを蹴飛ばした。
バダンと大きな音がたった。それは明確な破壊音だった。
蝶番が弾け飛ぶことはなかったが、変わりにドアには穴が空いた。木製の質素なドアだ。あまり頑丈ではない。
「な、なんてことするのよ!」
妹が金切り声をあげた。隙間から戸惑っている顔が見えた。
藤堂さんは空いた穴から腕を突っ込んで内側の鍵をはずし、事も無げにドアを開けて見せた。
そういう強引さは嫌いじゃない。
「さて」
強烈な蹴りにより、蝶番は歪んでしまったらしい。ギィィという耳障りな音をたて真奈の部屋の扉が開かれる。
「く、くんな、ばかっ!」
だが、依然として真奈の心の扉は閉じたままである、どうするのだろう。
「カーテンを開けてもらえるかな。ついでに窓も。暗いし、空気が悪いよ。清潔な空間がキミには必要だ」
たしかに、妹の部屋は薄暗かった。窓もカーテンも閉められているが、クーラーが稼働しているので暑くはなかった。
時刻は五時を回ったくらいだ。夕方とはいえ季節は夏、外はまだ明るい。
「な、なによあんた! オカルトマニア? 気持ち悪いんだけど!」
「オカルトとは心外だな。心外だが、キミもわかっているんだろう」
藤堂さんは許可もないのに敷居を跨ぎ、部屋に足を踏み入れた。
「キミはもはや飲み込まれてしまっているんだよ」
「な、なに、こないで!」
妹がベッドの枕を藤堂さんに投げつける。事も無げに手で払うと藤堂さんは妹の目の前に立った。
「うっ……」
「見せてごらん」
「お、おかぁさん……」
妹は弱った声をあげ、母さんの方を向く。母さんはなにも答えず、成り行きを見守っている。
相も変わらず話は見えないが、妹に暴力を振るう気ならば、僕は容赦はしない。
「それにしても暗いな。カーテン、開けるよ」
「や、やめろ!」
妹の制止を振り切り、藤堂さんはカーテンを開け放った。
室内が白に包まれる。
眩しさに一瞬目がくらんだ。
「見るな!」
妹の怒鳴り声。
「あ」
思わずすっとんきょうな声が出てしまった。青空から窓ガラスを透過して、日の光が室内に注がれる。
妹の……、真奈には影がなかった。
「ほう」
藤堂さんが感嘆するような息をはく。
それを廊下から眺める僕は、密かに納得していた。
あれだけ活発だった妹が、引きこもりになった背景に、影の消滅があったのか。
超常現象を目の当たりにして驚愕するよりも、何だか妙に得心してしまった。
「なるほど。たしかに影がない。薄いとかそういうのではなく、単純に影がない。日の光の強さを測るとき、太陽に目をやるよりも、足元の影を見ればよい、と言うが、キミにはその影さえないのか」
藤堂さんはニヤニヤ笑って妹の華奢な肩に手を当てた。
「影は幽体に近い、それを失ったのならキミの死期は近いということだ。わかるかい? もうすぐ死んでしまうのだよ」
「や、やめ……」
「どんな死が訪れるんだろうね。キミもまだ死にたくはないだろう。せっかく若くて美人なんだ。まだまだ生きていたいだろう。なんでこんなのことになったのか知りたくはないか? 私はとっても知りたいねぇ」
「うぅ……」
「キミにはなぜ影ができないのか、ちゃんと考えたことはあるかい? 影が出来なくなるのは、キミの影よりも濃い陰に包まれているからだよ。それは呪いだ。死を伴う呪い……このまま魂が戻ってこなければ、キミは……」
妹は顔を青くして震えていた。その表情には恐怖が宿っていた。
自分の身近な人が脅されているのを黙って見ていられるほど、僕は我慢強くなかった。
気づいたとき、ほとんどなにも考えずに、握りしめていたスマートフォンを藤堂に向かって投げつけていた。
「あぎゃ」
妹に意識を向けていた藤堂は僕の一撃を避けることができずに側頭部にダメージを負い、痛みに負けて、しゃがみこんだ。
「いてぇ……」
「あ、すみません」
思った以上に痛そうなので謝りながらこそこそと床に転がるスマートフォンを回収する。
「キミは真奈さんのお兄さんか……」
「あっはい、そうです、一応」
「はぁ、お母さん、ちゃんと言っといてくださいよ。やれやれ興が削がれてしまったな」
藤堂は痛みをごまかすように、セットされた髪を撫でつけた。
「妹思いのいい子みたいだが、私はキミのお母さんの依頼で真奈さんを助けに来たんだ。わかるかい?」
「わからないです」
スマフォをポケットにしまう。
「正直インチキ霊能力者にしか見えません」
僕の言葉に藤堂は不機嫌そうに眉をしかめた。
「やれやれ口の減らない小僧だな。まあいい。私が居なくなって困るのは真奈さんだ。放っておけば冗談抜きに死ぬかもしれない、それでいいのかい?」
「真奈はこのおっさんに治療をお願いするのと帰ってもらうの、どっちがいい?」
藤堂の横から妹に声をかける。
「帰って欲しい」
「だ、そうです」
「ふん」
つまらなそうに鼻をならし、藤堂はドアに向かって歩き出した。
「一度引き受けたことだ。また後日様子を伺う。だけどその時取り返しのつかないことになってても、私は知らない。歓迎されてないのは嫌いなんでね。私は帰る」
二度と来るな、ばーか。
「お気をつけてお帰りください」
軽く手をあげる。
「ま、待ってください、藤堂さん!」
母さんは追いすがるが、藤堂は振り返ることなく 階段を下り、玄関から出ていった。
「平太! ばかっ! なにしたかわかってんの!?」
藤堂の姿が見えなくなると同時に母さんに思いっきりビンタされた。
何だかよくわからないが、家族仲が悪化してしまった。
母親は僕のことを叱りつけ、「あんたの夕飯カップラーメン!」と極刑を言い渡した。ちきしょう。
妹はというと、少しは僕に心を開いてくれたらしい。そこら辺は藤堂に感謝したのほうがいいのかもしれない。
昔二人で仲良く横並びでやったテレビゲームのように、夕方の下らないバラエティー番組を見るともなしに眺めながら語り合った。
「影が無くなったのは、一ヶ月前。学期末試験の時だった。テスト中、いろいろと考えすぎて頭が痛くなって、なんとか試験は受けたけど、放課後通学路で倒れちゃったの」
室内ならば、真奈の影に気付く人は少ないだろう。だが、屋外の太陽の下においては、悲しいくらいに目立ってしまう。不思議なのが、彼女が身に付けている衣服なども影が無くなってしまうという点だ。
「原因は? なんか心当たることないの? どこか心霊スポットに行ったとか、あとは風邪かなんかを引いたとか」
昔部長が言っていた。原因は結果に先んじらない。なにかしらの物事が起こるには、それなりの理由があるということだ。
「……わかんない。気付いたら……」
「そっか」
僕は立ち上がって妹に微笑みかけた。
「安心しろよ。僕がどうにかしてやるから」
「……ほんとに?」
「僕が嘘ついたことある?」
「わりかし」
「はは、嘘つくなよ。まあ、任せておいてくれ。直ぐに影を取り戻してみせるから」
「ありがとう、おにいちゃん」
いつもの元気な笑顔じゃない、どことなく儚さを感じさせる笑顔だった。




