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黄昏せまれば  作者: 上葵
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浮かれ吸血鬼の後悔の日々 3


 黒江さんはすでに待っていた。蔵書がぎっしりとつまった本棚の中心で、端正な顔を歪ませ、イタズラな笑みを浮かべていた。

 薄い茶色の光彩が蛍光灯を写し、少女の瞳を輝かせている。

「来てくれてよかったぁ。ブッチされたかと思ったよ」

 腰かけていた机から腰を浮かすと、僕の正面に立った。

 古書と埃の匂いに混じってシャンプーの香りがした。

 後ろ手にドアを閉める。放課後の喧騒が遮断され、室内に静寂が満ちた。

「返事は?」

 笑みはなかった。決意に満ちた力強い瞳。

 僕は小さく息を吐き、真っ正面に彼女を見つめた。

「その前に一つ良いですか?」

「なぁに?」

「吸血鬼というのは人に仇なす存在という認識で間違いないんですよね」

「そぉーだけど……」

 僕はこれから彼女のアイデンティティを奪おうとしている。

 それくらいしか思い付かなかったのだ。だが、もし、本物だとしたら、僕に命はないのかもしれない。

「ちなみにどうやって殺すつもりなんですか?」

「方法なんていくらでもあるよ。心臓にカッターを突きつけてやってもいいし、血を啜ってやってもいい」

「黒江さんは本当に吸血鬼なんですよね」

「しつこいなぁ。なんなの? もう」

「なら……」

「え」

「僕の血を吸って下さい」

 シャツのボタンを外し、肩を露出させる。どこから血を吸うのかわからなかったが、映画やマンガだと大抵首筋から吸血しているので、ここで間違いないだろう。

「菅野、平太……?」

 突然のことに混乱しているのだろう。唇を青くして震わせている。

「なにを考えて……」

「もし本物なら僕は大切な人を守るためにあなたを殺そうと思います」

「……そっかー。あなたもそうやって生きていくのね」

「だけど僕は黒江さんを殺したくはありません」

「どういう?」

 戸惑いのなかに僅かに照れがあるのが見えたが、気にせずに僕は言葉続けた。

「だから、もしあなたが本当に吸血鬼なら、ここで僕を殺してください。正当防衛で他者を殺すのなら、躊躇うことはないでしょ?」

「い、意味がわからない、よぉー。頭おかしいんじゃない?」

 お互い様だ。

「だから、言ってるじゃないですか」

 肩を掴んで僕はなかば怒鳴るように叫んだ、

「あんたが本物の吸血鬼なら僕の血を吸って殺してみろ!」


「っ」

 黒江さんはなにも言えず潤いのある唇を結んだまま困ったように僕を見つめた。

「認めてくださいよ」

「な、なにを」

「あんたは普通の人間だ。吸血鬼じゃない。冗談でも言っていいことと悪いことがある」

「違うッ、私は……っ」

「本物だというのなら、証明して見せろ」

「私は……」

 黒江さんはうつむいた。彼女の瞳は涙でにじみ、滴が床にポタリと落ちた。

「私は吸血鬼、だもん……」

 震えていた。自分を守るように黒江さんは腕を交差させた。

「憎しみをぶつける、闇に捕らわれた鬼だよ……」

「なら、やってみろよ」

「でも、吸えるわけ、ないよ……」

「ただの人間だと認めるのなら、二度と僕らに近づくな」

「……うるさい……うるさい……でも、約束はしてあげる」

 言葉に覇気はない。落ち込んでいるのが丸わかりだ。

 僕は僕は勝ったのか?

 後味の悪い勝利だ。いや、そもそも勝利だったのかすらわからないけど。

「菅野平太なんてキライ……!!」

 黒江さんは最期に瞳を燃えるようにたぎらせ、僕を押し退けて去っていった。

「おっ、と」

 押された衝撃でよろけて、本棚にぶつかってしまった。廊下をパタパタと走っていく音がする。

 黒江美織と、言葉を交わすことはもう、ないだろう。

「さてと……」

 部活に行こうかな。

 精神的にどっと疲れた。ひぐらしの声が本の森に響く。

 ふらつく頭に手を当て少し休憩してから部室に向かうことにした。


 部室のドアを開ける。

 部長が気だるそうに顔をあげる。

 切れ長の目を細くして入り口に立つ僕を見つめた。

「遅いぞ。病み上がりの私を労うサプライズの準備でもしてたのかい?」

「いえ、そういうのは特に。風邪はもう大丈夫なんですか?」

「少しダメでもテスト前だからな。無理してでも来なくちゃ」

 部長は赤い半透明の下敷きを団扇代わりにしながら、英単語帳を捲っていた。ほわんほわんと間抜けな音が響く。

「それはそうと三年の黒江が迷惑をかけたみたいだね」

「あれ、なんで知ってるんですか?」

「あいつとは昔馴染みだ」

「部長の友達にしては珍しいタイプですよね。明るくてハキハキしてて」

「明るい……?」

 部長は単語帳から顔をあげて首を捻りながら僕を見た。

「黒江美織は無口でネクラで、自己主張しない女だぞ」

「ん、僕が知ってる感じとは違いますね」

 アレが暗い性格だとしたら世の中全員明るすぎて夜も来なくなるだろう。

「ふぅん。君の前ではどんな感じだったんだ?」

「僕の前では自らを吸血鬼だと……」

「吸血鬼? はっ、皮肉屋だな」

「どういう意味ですか?」

「あいつは嗜血症だ」

 聞き覚えのない単語が脳内をバウンドする。

「しけつしょう?」

「ヘマトフィリア。血液に対して性的欲求を持つフェテシズムだ。体育のとき擦りむいた傷を舐められたときはぶん殴ってやったが」

 昔を懐かしむように部長は遠い目をした。

「世の中には変わった人がいるんですね」

「メンヘラだから多目にみてやれ」

「メンヘラってなんです?」

 また新しい単語が脳内を跳ね回る。さながらピンボールみたいだった。

「えっと、具体的な定義はないが、なんだろう。病んでるというか、まあ、精神的に弱い人のことだよ。特定意識薄弱児童というか。まあ、ネットスラングだよ」

 部長は単語帳を閉じて、机の上にぽんと放った。

「依存癖があるんだ。精神的に弱ってるアピールをして、かまってもらおうとする。それが叶わないと自傷して傷口を啜り、一人で自分を慰めたりしてる。見せびらかしたりしないだけマシかも知れないが、傷の浅さがアイツの人間の浅さを物語っているようだよ」

 リストカット。単語が頭の裏側で弾けた。

 僕の前で彼女は常に長袖だった。

 モデルの仕事をしてる時はどうなのだろう。

「そんな感じしませんでしたけど。モデルの仕事してるらしいし、社交的だし」

 部長は眠そうにあくびをしてから、続けた。

「異性に対してのアピールがど下手なんだ。好きな人に対してはそうなんだと」

「好き?」

「言ったろ? かまってちゃんだって」

「ふぅん。そうなんですか」

「どうしたら相手に気にかけてもらえるか、印象に残るか、思ってもらえるか。それだけがヤツの行動原則なんだよ」

「部長、ひょっとして、黒江さんは僕が好きって言いたいんですか?」

「ん、そうだよ」

 あっけらかんと言ってのけた。知りもしないくせに。

「まさか、あり得ないですよ。だって、僕と黒江さんが見知った仲になったのは二日前ですし」

「君はそうかも知れないが、向こうは違う。私と君が知り合う前から、黒江美織は菅野平太が好きだったんだ」

「とんだ憶測ですよ。珍しいですね、部長が冗談言うなんて」

「真実だよ。本人から相談されてたし」

「へ」

 部長と黒江さんは昔馴染み。

 そんな、まさかだろ。

「ただいかんせん奥手な女だからな。異性に対してのアピールの仕方がわからないんだ。うかうかしているうちに別の女に奪われ、黒江は枕を涙で濡らした。アホの極みだ」

「憶測ですよね」

「いいや」

 部長は気だるそうに立ち上がって、カーテンを開けた。夕闇が広がる。薄紫色の空の向こうでコウモリが数体ジグザグに滑空していた。

 何が、吸血鬼だ。そんなものこの世にいるはずがない。


「二日前も、恋愛相談を受ける予定になっていてね。ま、風邪をひいて行けなかったんだが。待ち合わせに来なかった私を咎めるために、はからず愛しのキミに会ってしまったわけだ」

「だって、僕、黒江さんのこと、よく知りませんし」

 部長はこめかみに指をあてて、浅く息をはいた。

「黒江桜はアイツの妹だ」

「……?」

「もっといえば、キミをこの部活に無理矢理いれたのも、黒江美織からキミを守るためでもあった。吸血鬼、はっ、復讐鬼の間違いだろ」

「どういうことですか?」

「だから、どーのこーの言うわけではないが、君は自分が思うほどモテないわけじゃないみたいだね」

「ちょっと待ってください。意味が、意味がまったく、わかりません!」

 聞き覚えのない名前を出されても困るし、なにより僕のモテ期は胎児、小児、幼児の時に終わっている。

 部長は僕を見た。

「たとえば身内が自殺して、原因がイジメにあったとしたら、家族は復讐を考えるかもしれない。過度のストレスから手首を切るようになるかもな。そんなこんなで主犯各の兄弟が自分と同じ学校には通っていたら、当然こいつについても調べるだろう。同じ苦しみを味わせてやろうと企むかもしれないが、調べるうちに恋に落ちる、なんて間抜けなミイラ取りがこの世界のどこかにはいるかもしれない」

 部長の例え話は半ば早口すぎてよく聞き取れなかった。

「私は止めたんだ。絡むなと。アドバイスにしたがって必死に自分を抑えるアイツの前に君は間抜け面で現れた」

「そんなこと言ったって……」

「必死に思いを殺すが、殺しきれなかった嫉妬が恋人である高石凛子に向いたのも、哀れな乙女の恋慕だと察してやれ」

 そう言われたって僕だって人間だ。

「いや、いくらなんでも。殺害予告ですもん。笑えません」

「ほんとに殺したいのは自分の方だったんだと。まあ、そこら辺に興味ないし首を突っ込む気もしない。なにより巻き込まないでくれ」

「部長?」

 部長は机の下に置いてあったカバンに単語帳と下敷きをしまうとジッパーを閉め、立ち上がった。

「帰る」

「え、今日部活は?」

「試験一週間前は部活動禁止だし、なによりこれ以上巻き込まれるのはごめんだ。あとは当人同士で勝手に話し合ってくれ」

「話し合いっていったって……」

 すたすたと僕の前を通りすぎ、入り口の取っ手に手をかけ部長は振り向き様に僕を見た。

「いつまで、うじうじしてるんだ。引きこもってちゃなにも始まらないぞ。友達になりたいんだろ」

「なんのことですか」

「……ふん、また明日な」

 バンと音をたてて扉が閉められる。

 取り残された僕は突拍子のない部長の行動に唖然としながら、次にすべき事を考えていた。

 部長は話し合えと言ったが、黒江さんの連絡先なんて知らないのだ。

「どうしようもないだろ」

 と、一人ごちた瞬間、

 ギィィィと蝶番を軋ませて、部室の端にある古いロッカーが開いた。自動ドアかと思ったが、中にあったのはホウキでもルンバでもなく、黒江美織だった。

 僕より一つ年上の少女は瞳を涙で潤わせている。

「友達に、なって……」

 耳まで赤くして僕に手をさしのべる少女よりも、独り言を聞かれた僕の方が恥ずかしかった。




とりあえず、一回終了します。ご一読ありがとうございました。

前半とは少し毛色を変えました。以下各話のあとがきになります。


『地球の黄昏』

誰もいない世界と世界が滅びる理由について書きたかっただけです。


『伽藍の正しい殺しかた』

年末から年始にかけて投稿した作品をいい機会なんで纏めてみました。しつけ、というのは一種の呪縛だと個人的には考えています。


『トンネルに生まれる』

伽藍を纏めるに当たってそれだけだと物足りないので急遽作ったやつです。名前はいうまでもなく重用な要素だと思います。


『浮かれ吸血鬼の後悔の日々』

ブレッブレな話でしたが、他者の二面性について書こうと思ってやってみました。


なんだかんだで思春期を描くなら中学生くらいがちょうどよかった気がするな、と思いつつ終了します。ご意見ご感想あればよろしくお願いします。

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