浮かれ吸血鬼の後悔の日々 2
浮かれ調子の僕は約束をすっかり忘れてしまった。
思い出したのは次の日の放課後だ。
部室に向かう途中で、約束が脳裏によみがえった。
英単語の水底に沈んだ謎の単語、クルースニクを殺すかどうか選ばなきゃいけないんだった。
「……」
まぁ、選択するまでもなく、答えは決まっている。
部長は今日も休みだった。風邪が長引いているらしいが、『明後日には登校できると思う。げほげほ』と元気そうなメールが帰ってきたので、あまり心配はしていない。
定位置について、教科書を開く。今日は現代文をやろうかな。
「菅野平太!」
またしても突然ドアを開けられた。
ノックという文化を覚えてほしい。
「ねぇねぇ、答えは決まった?」
嵐のような人だ。前置きとかは一切ない。相変わらず冬服のシャツを着ている。暑くないのだろうか。
「ああはい。クルースニク殺害予告ですね。当然答えはノーです」
キメ顔で返事をする。
「そっか。んー、一晩考えての答えなら仕方ないのにゃ」
眉間にシワを寄せると黒江さんは残念そうに鼻を鳴らした。
「欲を言うならあなたに手伝ってほしかったよ」
「人を殺す手伝いなんてしませんよ」
「人? 奴は人ではないよー。私を殺すことが目的のバケモノだよ」
「あー、黒江さんはクドラクってやつなんですか?」
「……調べたの?」
「人から聞いただけです」
「そうだねぇん。あくまでちかしい存在なだけだけど」
嬉しそうに目を細めると黒江さんは耳に髪の毛をかけた。
「私の正体に近づけたご褒美をあげるよ。特別だよー」
「ご褒美ですか。なにを……」
「好きな要求を叶えて上げるー。言ってごらんなさいなー。おねぇさん、奮発しちゃうよん」
「好きなもの……」
特にないな。強いていえば平穏だけど、別にそこまで望んでないし。
「うーん」
「なにを悩むことがあるのさー。高校二年生男子なら決まってるじゃないの」
「ん? なんですか」
「私の口から言わせるなんて相当な策士だにゃー。いいよーん。下卑た劣情の捌け口になってあげても」
「……」
なにいってんだ、この人。
「自分、カノジョいるんで」
「知ってるよぉ」
「え?」
「ん?」
「え、なんで知ってるんですか?」
「ど、どうでといいでしょ、そんなこと」
普段は飄々としている黒江さんが珍しく噛んだ。耳まで赤い。なにを焦っているのだろう。
「とにかく、あなたに望みはないのね?」
「そうですね。これといって」
「そっかぁ。それならいいもーん。私はクルースニクを殺すだけだもーん」
ばん、と扉を閉められた。なんだってんだ。いったい。
黒江さんがいなくなってからは昨日の焼き増しだ。
六時まで勉強し、日が沈む前に家に帰ることにした。
中二病の少女と会いたくないなぁ、と 願いながらの下校だったが、僕の望みは神様に断られてしまったらしい。
「あ、ヤマダ」
とりあえず一回無視しよう。
「こら返事をしろ」
「いてっ!」
背中を軽くつつかれたので、跳び跳ねてしまった。
「や、やぁ、伽藍じゃないか。気づかなかった」
「視力大丈夫か?」
両目とも2.0ある。
「あれ、今日は竹槍じゃないんだね」
伽藍が手に木の棒をもっていた。どうした、武器グレードが落ちてるぞ。
「昨日、ヤマダがクルースニクの話をしたからな、なんとなくサンザシを持つことにしたのだ」
「その木の枝のこと?」
どや顔の伽藍が手に持っている枝を指差す。
「そうだ。クドラクの弱点だからな」
「そうなんだ」
ブンブン楽しそうに振りながら答えてくれた。
明日には忘れる、どうでもいい情報をありがとう。
「それにしても聞きそびれたんだが、なぜ急にクルースニクのことを聞いてきたのだ?」
「ん、クルースニクを殺したいって人と知り合いになったからだよ」
「なんだと!」
「急に大声出すなよ。驚くだろ」
「もしかしてそいつがクドラクか!」
「ちかしい存在なんだと」
「全くもって伝承通りではないか!」
瞳を輝かせて伽藍は叫んだ。どこにテンションが上がる瞬間があったのだろうか。
「や、ヤマダ。紹介しろ!」
「いやだ」
正直こいつらを相対させたらどんな化学反応が起こるか見てみたかったが、ろくなことになりそうもないので、やめておくことにした。
「なんで! なんで! 会いたい、吸血鬼にあいたーい! あいたーい!」
なにその駄々のこねかた。J-POPかよ。
見たこともない表情を浮かべ、伽藍は頬を膨らませて腕をぶんぶんと振り回した。ヒュンヒュンと枝が風を切る。危ない。
「会わせてぇ! 紹介して! お願いぃ!」
「いやだ」
「なんでなんでなんでなんで、いいじゃん、いいじゃんかぁ!」
「なんかやだ」
「く、く、くそー……」
「口汚いぞ。女の子なんだから」
「む、むぅ」
「いてっ! 」
夕日に照らされ真っ赤になった伽藍は僕の脛を軽く蹴飛ばすと、
「ヤマダのばーか!」
ほとんど言い逃げに近い言葉を吐き捨て、坂道をかけ上がって行った。
ふと、もしかしたらクルースニクは伽藍なのかもしれないと思った。
夕食後。居間でバラエティーに笑い転げる母と妹を尻目に、僕は自分の部屋で友達から借りた小説を読んでいた。探偵役が視線恐怖症で布を被っていないと推理できないという設定のバカミスだったが、いい時間潰しにはなった。
玄関チャイムが鳴った音がしたが、僕は無視してページを捲り続けた。
しつこくならされたチャイムの追撃に妹が苛立った声で返事をしながら応対する音がした。
妹の声が響く。いつも冷静な彼女にしては珍しく声を荒らげているのが二階からでもわかった。
数分後、
「お兄ちゃん、お客さん」
妹がノックをしながら、僕に声をかけてくれた。話し込んでいたので、妹のお客さんだと思ったが違ったらしい。
「誰?」
「……知らない」
いつになく不機嫌そうに妹は吐き捨てた。気のせいか、顔が青い。体調が悪いのだろうか。
しおりを挟んで本を閉じる。
来訪者の想像をしながら玄関ドアを開けた僕は、相手が黒江美織だったので、すっとんきょうな声をあげてしまった。
「こんばんみー」
ドアの前に制服を着た黒江美織が立っていた。着替えてないってことは、家に帰ってないのだろうか。
もう夜の八時だ。
「こ、こんばんは。あの、ご用件は」
どうしても警戒してしまう。だって相手は吸血鬼を名乗る狂人だ。
「一応報告しておこうと思ってにゃ」
「報告、ですか」
「そうそう。せっかく仲良くなったからね」
仲良くなったって、なにをいっているのだろうか、この人。
玄関の灯りに照らされた黒江さんは続けた。
「クルースニクを見つけたの」
ニタァとねちっこい笑みを浮かべる。テレビの雑音が遠くに聞こえた。
「そうですか」
自分の声が喉に張り付く感じがした。
クルースニクを見つけた、ということは、殺害相手を見つけたと言うことだ。
どこまで本気なのかわからない。
目の前の女子高生はだいぶイカれていると思うが、まさかここまでのレベルだとは思わなかった。
「ターゲットを見つけたんですね」
「うん。一応、その報告」
「黒江さん……本気ですか?」
「ん、なにがぁ?」
「今年三年生ですよね。受験生ですよ。そんなことやってる暇あるんですか?」
進路に悶々と思い悩む人生の大事な時期の一つだ。そんな時に痛々しい言動で人生を棒に降るなんて馬鹿げている。
「卒業後は事務所の専属モデルになる予定だから別にどうでもいいんだよね。勉強なんて 」
「そういうことを言っているんじゃなくて」
「もぉう。なんなの、菅野平太、あなた、私の親なの?」
「違いますけど、黒江さんが呼ぶクルースニクだって生きてるんですし、なにも殺さなくても」
「だって、殺さないと私が殺されちゃうんだよ」
「そんなの被害妄想ですよ。戦国時代じゃあるまいし」
「ふん。もういいよ。わざわざ報告に来てやったのにさ」
黒江さんは不機嫌そうに眉間にシワを寄せるとそのままきびすを返した。
僕はあわてて突っ掛けをはいて彼女の後を追う。
街灯の下で右手を掴むことに成功した。
「待ってください」
「なに、離してよ」
「本気なんですか?」
「クルースニクを殺すこと? 本気だよ。命はともかく決着はつけないといけない、そう思ってるよ」
「やめてください」
夜虫の鳴き声を切り裂くように犬の遠吠えが響いた。
「なに? やつをかばうの?」
黒江さんの瞳はどこまでも冷たい。
「そうじゃないけど、……クルースニクって結局誰だったんですか?」
初夏の夜風が黒江さんの髪を撫でる。
まるで、その言葉を待っていたように彼女はニタリと微笑んだ。
「二年四組、高石凛子」
「……え」
まさかの名前に、口が開きっぱなしになってしまった。
「離して」
掴んだ右手を振りほどかれる。
僕が握っていた手首を擦りながら、黒江さんは僕を見た。
「付き合ってるんでしょ?」
「……なんで」
「高石凛子のこと、好きなんでしょ?」
「……」
「あなたも大切な人を失う痛みを知ってみるべきだよ」
混乱していた。
この女は何を言っているんだろう。
「二人の愛は本物なの?」
「なにを考えてるんだ。あんたは!」
思わず怒鳴ってしまった。
閑静な住宅街に僕の怒号が響く。
「私はただ職務を全うするだけ」
スカートのポケットから図画工作用のゴツいカッターを取り出すとチキチキチキと音を立てて刃をむき出しにした。
「もし、高石凛子を守りたいなら私を殺して」
「なにをふざけたことを」
「もし、私の味方なら高石凛子を殺させて」
「いい加減にしろよ……あんた」
「返事は今じゃなくていい」
冗談めかした声音ではない。真剣な眼差しのまま真っ直ぐ僕を見つめる。
深い黒い瞳に街灯の灯りを宿した黒江美織はカッターの刃をしまい、小さく呟いた。
「明日の四時、郷土資料室で」
耳元で囁かれた声に反応が遅れてしまった。
僕が我にかえって辺りを見渡したとき、彼女の姿はなく、ゴーストタウンの闇が広がるだけだった。
狂人相手に常識は通じないし、嫌なことは体感的に早く訪れる。
どうすればいいかなんて思い付くはずもなく、無情にも時計の針は進み続け、気づけば約束の時間が訪れていた。
逆に考えよう。
逆に考えれば、四時までは命は保証されているんだ。
あとは直接会って怒鳴り付けてやればいい。簡単だ。
カノジョにメールを送ってから、郷土資料室に向かう。
『私は元気です。菅野さん、突然どうしたんですか?(笑)』
携帯の持ち込みは禁止されているので、きっとトイレとかで返信してくれたに違いない。小学生の時候の挨拶みたいな文章に返信してくれたカノジョに感謝しながら郷土資料室の扉を開けた。




