浮かれ吸血鬼の後悔の日々 1
至極どうでもいいことかも知れないが、山奥や洞穴じゃなくてもコウモリはいる。
夕方の空を眺めていると、明らかに鳥とは違うシルエットが、羽虫を補食するために滑空している姿を確認することができるだろう。都会の明るい空とは違い、まさしく郊外とカテゴライズされる僕が住む町は、コウモリにも人気の高い立地らしい。
授業が終わり、穏やかな放課後がやって来る。
黄昏時。久々にいい集中がキープできていた。英単語が脳にスッと入ってくる感じ。このペースが維持できれば高得点を期待できるだろう。
部長が強引に確保した部室で自習を進める。
元は物置として使われていた部屋で、四畳ほどの狭い空間には、ロッカーや竹箒など、昔の名残が放置されている。そこにソファーと机を置いたのでスペース的に余裕は一切なかったが、狭い方がかえって勉強に集中できるというものだ。
冷房はないが、扇風機があるので、暑さに困ることもない。
「るもぉい!」
はりつめた集中を切断するかのように、ノックもなしにいきなり扉を開けられた。
「あっ!」
もし如何わしいことをしていたら気まずくてしょうがない瞬間だったが、幸いにして期末テストの勉強をしていたところだったので助かった。
「ど、どちら様でしょうか」
いきなり現れた女性は目を細めて部室を見渡すと静かに僕の方を向いて口を開いた。
「私のこと知らないの?」
「いや、えーと。あれですよね。読者モデルをされてる三年生の」
「ふふーん、正解だにゃー。じゃあ名前を言ってみてー」
ジャギかよ。
「こー、喉まででかかってるんですが、えーと」
敷居の前に立つ少女は少なからず有名人だった。ひとつ上の学年で中学の時からドクモ(よくわからんが)をしている人らしい。
「えーと」
「もういいやー、あきたー」
「ヒント。ヒントください」
「……黒江」
「え?」
「黒江美織だよ。よろしくー」
正面からはっきり見るのははじめてだったが、噂の通りの美人だった。六月も下旬だというのに、長袖のシャツを着込んでいる。汗一つかかず、なんとも涼しい表情だ。
「あなたの名前はー?」
背が高く、すらりとしている。まあ、付き合ってるカノジョのほうが可愛いと思うが。
「あ、僕は菅野平太といいます。二年生です」
「どうもー」
「ああ、はい。よろしくお願いします」
これで条件はイーブンだが、目の前にデスノートがあったら、字画数の差でギリギリ負けてしまいそうだ。
「部員だよね?」
「一応そうですね」
恥ずかしながら奇譚倶楽部とかいうふざけた部活に所属している僕は首肯した。
「部長の、……留萌テルはいないのぉー?」
「あーなんでも夏風邪ひいたらしく。部長に用でしたら僕から取り次いでおきますよ」
いつかのお礼にお見舞いに行こかと考えていたところだ。
「えー。そーなんだ。ふーん。事は急をようするんだけど……」
黒江さんは言葉を飲み込むと考え込むように、顎に人差し指を当てた。
「菅野平太」
「……はい?」
少しだけ深呼吸したあとで、彼女は胸を張り、偉そうに僕を見た。
「あなたでいいや。あなたを留萌の代わりに任命するね」
「はあ」
言ってのけると同時に鞄を床に落とし、僕を指差す。
「拒否権はあたえない」
「そうですか」
「私は吸血鬼だよ」
「そうなんですか」
「……あれあれ、驚かないの?」
「いや、だいぶ驚いてますよ。まさか黒江さんが吸血鬼だっただなんて」
まあ、最近暑いししょうがないね。
「まあいいや。私、うるさいのは嫌いなの。その点あなたは合格」
「どうも」
「今日ここに来た理由は一つ!」
「はぁ」
「血を吸わせてちょうだいな!」
「嫌です」
開口一番なに言ってんだ。この人。頭わいてんのか?
「即答か。まあ、予想はしてたよん」
「絶対痛いですし。それに吸血鬼になりたくないし」
「噛まれたからといって吸血鬼になるわけではないよ。痛くしないから、先っぽだけ、先っぽだけだから」
援交なら駅前に行け。
「嫌です。絶対に嫌だ。トマトジュース奢るからそれで勘弁してください」
「ふふふーん。それなら仕方ないにゃー」
「いいんだ」
「サンキュー。助かったよーん。お腹がすいて死んでしまうかと思ってたとこなのだ」
学食の前にある自動販売機でトマトジュースを購入して、黒江さんに渡す。
「血液の代わり、トマトジュースで大丈夫なんですね」
「代替だよーん。とりあえず赤くてドロッとしてれば脳を騙すことができるのだ」
プス、っとストローを紙パックにさす黒江さん。なんとなく蚊が血を吸うところを連想した。
「いただきまぁす」
赤い唇を尖らせて黒江さんはトマトジュースを啜った。彼女のファンなら万歳三唱で讃えるキス顔を披露してくれたが、あいにく僕は興味ないので、窓の向こうで羽ばたくカラスをぼんやりと眺めることにした。
時間にして十秒。
ズッズズズッ、と百年の恋も冷めるような音をたててトマトジュースを飲み干した黒江さんは、「ぷはっ」と気持ちいい息をはき、人差し指で下唇を撫でながら言葉を続けた。
「さあてとん。渇きが潤ったところでもうひとつお願いがあるのさー」
「なんですか?」
「クルースニクを殺してよ」
「……ん?」
ちょっとなに言ってるのかわからなかったので僕は思わず間抜け面になって聞き返してしまった。
「殺す、って、っえ?」
「聞きそびれたのならもう一度言ってあげる。クルースニクを探して殺して燃やして埋めて無くしてほしいんだよ」
「あの……」
「なぁに」
「嫌です」
当たり前だ。了承するやつがいたら頭のネジが緩んでるとしか言いようがない。というか、洒落にならない。
「凡庸な高校生に殺人の依頼するなんてどうかしてますよ。そういうのは札束もって暗殺者にお願いしてください」
「えー、一緒に探そうよー。菅野平太ー」
「嫌です」
「わかったよぉ。それならあなたは探してくれるだけでいいからさぁ。殺すのは私がやるからさあ」
「そういう問題じゃないでしょ。そもそもクルースニクって誰ですか」
「怨敵だよ」
黒江さんは鼻をすんと鳴らすとトマトジュースの紙パックを手のひらでギュッと握りつぶし、横のゴミ箱に捨てた。
「協力してくれるかどうか。返事は明日ちょーだいな」
「いま断りますよ」
「一晩は考えてよー。それからちゃんと返事をしてにゃん。明日部室にいくからさぁ」
「はあ……」
無理やり押しきられてしまった。
「じゃあ、またまたねー」
夕日に照らされた黒江さんは手を軽く挙げて、にっこりと微笑んだ。
蠱惑的な笑顔だった。
色んな考え方があっていいと思うが、それを他人に強要するのは間違っていると僕は思う。
六月下旬の帰り道。夕方とはいえ、気温は高く、少し歩くだけで酷く汗ばんだ。
ヒグラシが鳴いている。まだシーズンには遠いのに気が早いやつがいたもんだ。
期末テスト対策を脳内でやりながら歩いていたら、竹槍を持った女の子とすれ違った。
「……」
朽木伽藍だった。知り合いだった。見なかったことにしよう。
「あ、ヤマダ」
話しかけられた。無視だ無視。
「なにしてんだ。帰り道か」
がっつり正面に立たれた。畜生。
「やあ、伽藍じゃないか。気づかなかった」
いい加減、名前を覚えてほしい。夕日に影を長くして伽藍は小さくため息をついた。
「どんな目してるんだ、お前」
竹槍を突きつけられる。めっちゃとがってる。僕が先端恐怖症だったら泣き叫びながら逃げ回っているところだ。
「伽藍は何してるんだ?」
「パトロール」
おかしいな、知ってる言葉のはずなのに意味がわからない。
「魔のものが悪さしないように巡回してるんだ」
「そっか。偉いな。がんばれよ!」
思考を放棄することにした。
「うむ。治安維持もエクソシストの務めだからな。頑張らなくては」
秩序を乱す拗らせ中学生。
ふんぞり返る彼女に、さっきお仲間に会ったよ、と報告しようか悩む。ついでに吸血鬼退治もお願いしようかな。
「あ、そうだ、伽藍、聞きたいことがあるんだけど」
「ん? カレシならいないぞ。告白はよくされるが、好きな人がいるって断ってる」
「いや、ちがう。そんなこと聞きたいんじゃない」
「なんだよ。つまんないな」
唇を尖らせて端正な顔を歪ませる伽藍に僕は訊ねた。
「クルースニクって知ってる?」
「クルースニク?」
さすがに、知るわけないか。
「スロベニアやハンガリーに伝わる吸血鬼ハンターのことだな」
知ってんのかよ。
「有名人なの?」
「有名というか、民間伝承だぞ。白い羊膜に包まれて生まれ、動物に変身してクドラクと戦うとされている」
また電波系の登場かよ。勘弁してくれ。
「クドラクって?」
「うーん、伽藍もよく知らないけど、クルースニクの対、赤い羊膜に包まれて生まれる、悪の魔法使い……病魔とか人狼とか、たぶん有り体にいえば吸血鬼だな」
頭が痛くなってきた。
イキイキとする伽藍と別れ、帰宅の途につく。早く帰れと忠告はしたが、聞く耳持ってくれなかった。警察官が彼女を補導する日は違いだろう。それはきっと魔のものと会うよりもずっと高確率だ。
「ただいまー」
ドアを開け、ローファーを脱いだところで気がついた。色々ありすぎて部長の見舞いに行きそびれてしまった。
ふぅむ、どうしようか。
いまから出かけるのも無駄に時間かかるし、この時刻だとかえって迷惑かもしれない。
よし、メールで済ますことにしよう。
ひとまず自分の部屋に行き着替える。鞄を机の上に置き、ベッドに倒れこんで思いっきり足を伸ばした。至福。この瞬間が堪らなく好きなのだ。一息ついてから、携帯のメールアプリを起動した。
「ん?」
新着メッセージが届いていた。
受信フォルダを確認するとカノジョからだった。
『こんにちは。もうすぐテストですね。進捗はどうですか? お忙しい時にメールしてしまって申し訳ありません。菅野さんが知っての通り、正面からだとうまく話せないので、文章にします。』
カノジョと知り合って三年になるというのに、相変わらず僕のことを名字プラスさん付けで呼ぶ。
『もうすぐ付き合いだして一年が経ちますね。菅野さんは優しくて私はいつもドキドキします。すみません、うまく言葉がまとめられません。
それで、もし、よかったらなんですが、一周年のお祝いをしませんか?』
言われるまでもなかった。プレゼントがしまってある机の引き出しを見てから続きを読む。
『場所なんですが、私の家はどうでしょうか。当日、おじさんは家を留守にするらしいです。』
「!」
『もしお暇ならいっしょにケーキを作りましょう。お返事待ってます。 高石凛子』
「いえす! はっ」
思わず独り言を呟いていたことに気付いて一人恥ずかしくなった。




