そのように生まれさせられた ②
昼休み。花帆は暁斗の姿がいつの間にか消えていることに気づき、盛大なため息をついて席を立った。弁当の袋を片手に教室を出る。
「あんな奴、無視すればいいだろ」
旧校舎の薄暗い廊下に入ったところで、亜久良が足元の陰の中からボソッと話しかけてきた。彼が話すということは周囲に人間がいないということだが、暁斗の件もあり、花帆は一応周囲を見回す。
「……なんか、ここで逃げたら負けな気がするから」
「どういう負けず嫌いだ、そりゃあ」
「変な噂流されても嫌だし」
亜久良が「俺がぶった斬ってやろうか」と言いながら顔を出し、「おっと」と呟いて陰に戻る。花帆がその様子に取り乱さないのは、今日はスパッツを履いているから。
「とりあえず話を聞いて、それから考えるよ」
旧校舎の端。使われていない特別活動室のドアを開ける。部屋の半分は椅子と机が積まれていて、もう半分のスペースに机と椅子が四人分並べられている。
「よかった。てっきり来てくれないのかと思ったよ」
窓の外を見ていた暁斗が振り返り、陰から出てきた亜久良が「俺は来たくなかった」と言いながらドアを閉め、鍵をかける。
「それで、花帆になんの用だ?」
彼が踏み出した瞬間、暁斗の周りに風が吹いた。クロイが現れ、彼の横にピッタリとついて亜久良を睨め付ける。
「暁斗、あのカミの消去を我に請うことを許そう」
その言葉に、暁斗が「亜久良は神様なの?」と尋ね、花帆は「亜久良、あんた神なの!?」と驚愕する。亜久良は居心地が悪そうに頬を掻き、
「……神じゃない。カミだ」
不可思議な反論をすると、疑問符を浮かべる花帆と暁斗を見て面倒くさそうにため息をついた。
*
歴史上、『神』の語源には『上』『鏡』『畏み(カシコミ)』など様々な説が唱えられてきたが、今はどれも否定されている。
語源は不明。大まかな意味は理解できるが、本質はわからない。そんな、今は忘れ去られた『カミ』という語が表す概念——これが亜久良を構成する情報だ。
手短にこのことを語った亜久良は、向かいに座る暁斗とクロイを交互に見やり、「上手いことやったもんだ」と嘲笑を浮かべた。
「『無念を晴らす』って特性に、やって欲しいことを『無念』として当てて、善悪関係なく願いを叶えるってわけか」
暁斗とクロイの関係をつらつらと語り出す辺り、自分の話はこれで終わりということだろう。
亜久良が「不便だなぁ」と嘲笑を浮かべ、クロイが無表情を僅かに歪めて「無礼者が」と吐き捨てる。
「貴様に我らを愚弄する権利はない。今のこの有様は、貴様ら古来の異類が成したものなのだから」
亜久良がグッと顔を顰め、クロイが「考えなしの阿呆共が」と続ける。
「喧嘩を売る前に、自らを顧みるべきであろう」
「うるせぇ」
「貴様らが気まぐれに災厄をもたらしたが故に、人は異類を害悪と認めるに至った。災厄を避けるは生物の生存本能。人が異類の悪の側面に思考を巡らすは自明の理」
「……俺のせいじゃない」
「受け答えまで阿呆のそれじゃな」
「〜〜っ! お前こそなんだその話し方! 昔の貴族の真似事か? バカらしい」
「バカは貴様じゃ」
暁斗が「へえ」と言いながら何やらメモを取り始め、亜久良が悔しげに歯軋りをする。花帆は彼の隣でため息をつき、二段の弁当箱を広げた。
下の段にはギチギチに詰まった白飯と真ん中に梅干し。上の段は唐揚げとコロッケと野菜の煮物の茶色。メモを終えた暁斗が不思議そうな顔でそれを見て、
「……なんか、百目鬼さんのお弁当、野球部みたいだね」
自分の弁当のサンドイッチを取り、「大きさは普通だけど」と付け足す。箸を取った花帆は隣から視線を感じ、「いただきます」と小さく言ってから唐揚げを摘んだ。
「私のセンスじゃないよ。これは亜久良作」
「……異類が、お弁当作りを?」
「そう。うちの異類はお母さん属性だから」
亜久良が「お母さんって言うな!」と叫ぶ声に、クロイの嘲笑が重なる。
「今更、善を成そうとは。愚かしいことよ。時代が変わるより前に奇跡でも起こして回れば良かったろうに」
ふんっと鼻を鳴らすクロイに、暁斗が「クロイ、あんまりトゲトゲ言葉使わないでよ」とため息をつく。亜久良がモゴモゴと口を動かし、「お前は間違ってる」と呟いた。
「脈絡のない奇跡は人を幸せにしない。幸福ってのは、喜びと悲しみの間にあるもんだ」
彼にしては珍しい、どこか迷いを感じさせる所在なげな口調。花帆は何かフォローを入れるべきかと考えるも、気の利いた言葉が浮かばない。
とりあえず唐揚げを食べて、白飯を頬張り、コロッケを、煮物の里芋を。沈黙が流れ、居た堪れない様子で口を開いたのは暁斗だった。
「ご、ごめんね、亜久良。クロイは、その……ちょっと気が強いところがあるというか……昔の異類に憧れてるところもあってさ、だから少し言葉が強くなったのかも」
そこへクロイが間髪入れずに「憧れてなどおらぬ」と否定を差し込む。
「我は彼奴らの振る舞いを否定する。しかし、その在り方は我が望みと認めよう。固定の輪郭をもつ前の異類は、形が定まらぬが故にどこにでも存在できた」
一息置き、「情報の断絶など気にすることもない」と続ける。
「かつて信仰は姿なきものへの畏敬の念であった。未知が未知であり続けたなら、それは存在の永続となり得ただろう。しかし、貴様らが人に近づき過ぎたが故に、それは壊れた」
暁斗が「なるほど」と言って再びメモを取り始め、花帆は横目に亜久良の様子を窺う。グッと顔を顰めて俯く彼の視線の先には、太刀を握るのに適した無骨な両手。
「ところで、神崎くん」
花帆は何となく、さっさとこの場を去りたい気分になった。いつもなら誰も来ない裏庭で、陰の中の亜久良とどうでもいいことを話しながら食事をしている時間だ。
「こんなところでお昼を食べようって言ったのは、クロイと亜久良の会話を記録するため?」
尋ねると、カリカリとボールペンを動かしていた暁斗がぴたりと動きを止め、「ああ、そうだった」と独りごちてノートを閉じ、
「今度の休みに百目鬼さんと一緒に行きたい場所があってさ」
「……私と、休みに?」
「そう。昨日の亜久良の戦闘を見てピンと来たんだよ」
「何に?」
花帆の問いに、暁斗が心底楽しげに「ふふっ」と笑う。花帆は面倒ごとの予感を抱き、やはりここに来るべきではなかったと後悔した。
今になって考えたところで、何もかもが手遅れだけれど。




