そのように生まれさせられた ①
三時限目と四時限目の間の十分休み。暁斗は仲のいい男子生徒の席の前に立って雑談をしながら、教室の後ろへそっと視線を向けた。
あくまでも自然な動きで。何の意図もないように。窓際の一番後ろに座る女子生徒を視界に入れる。
頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺める横顔。肩の高さで揃えた焦茶色の髪が、春の風にふわりと揺れる。黒橡色の瞳はどこか眠たげで、目の下にはうっすらと隈がある。
彼女——百目鬼花帆は、どこか不思議な雰囲気の生徒だ。
成績はそこそこで、運動もそれなりにできる。人当たりはいい方で、特定のグループに属しているわけではないが、授業で二人組を作る際に余るようなタイプではない。
しかし、なぜかいつも彼女は一人でいる。話しかけられれば気さくに応えるが、自分から人と関わるようなことはしない。
孤独ではないが、孤立している。そんな印象だ。
「なあ、暁斗。お前のとこにも『山田ジョンからのメール』来た?」
席に座る佐藤が話しかけてきた。暁斗は視線を戻して彼を見る。
「なんだい? それ」
「お前、知らないのかよ。ロアマニアのくせに」
彼は笑いながら携帯電話を取り出すと、ポチポチとボタンを押してから画面をこちらへ向けた。メールが表示されている。
「『僕の彼女がいなくなりました。彼女を捜すためにこのメールを二十人に転送してください。メールを止めた人は犯人と見なして、八日後に殺しに行きます』……これが、山田ジョンからのメール?」
佐藤が「俺、二十人もメール送る相手いねぇよ」とぼやく。その様子に呆れてため息をついた暁斗は、ふと、教室中がこの話題で持ちきりなことに気がついた。
「これって、『山田ジョン』っていう名前のロアがいるってことかな」
「じゃあ、ロアがメールを送ってる……ロアもケータイ持ってんの?」
「例え来たとしても、夜に玄関を開けなければ大丈夫だよね」
そんな会話を聞き流す中、ふと、誰かの言葉が耳に留まる。
「ケータイ画面からロアが出てくるとかだったらどうしよう」
これが、ロアの進化を支えてきた情報だ。その存在を知った人間が思考を巡らせ、その先に想像を膨らませる。時代と共に異類が姿を変えてきたことは、人間の想像力には果てがないことの証明だ。
「暁斗、お前にもこれ送っていい?」
そう尋ねる佐藤は、新学期早々に親戚の忌引きで欠席して以降、なぜか顔色がいい。彼は本当にウサギ塚の呪いを受けていて、それが親戚の死という役目を終えて消滅したのか。
そうだとしたら、後味が悪い。
「いいよ」
暁斗が答えると、佐藤は「お前、本当に怖いもの知らずだよな」と目を見張った。そう言いつつも携帯電話をポチポチいじり、すぐに暁斗のポケットの中の携帯電話が振動する。
暁斗は苦笑し、また自然な動きを装って花帆を視界に入れた。不幸のメールの話題で持ちきりの教室内において、彼女の周りだけは静かだ。
佐藤の親戚の死はウサギ塚の呪いによるものだったのか。それとも全く関係なく、佐藤の呪いは他の理由で消え失せたのか。
(アクラ……)
始業式の日、そう言って足元を見下ろした花帆の姿を思い出す。あの様子は確かに、陰の中の何者かに話しかけていた。
*
夜。夕食と風呂を済ませた暁斗は二階の自室に戻り、ベランダに続く窓を開けた。玄関からこっそり持ってきた靴を履いて出る。
それから頭から髪を一本抜き、顔の前へ掲げた。
「百目鬼さんが今何をしてるのかわからないのが、僕は悔しくて仕方がないよ。クロカミサマ、どうか僕の無念を晴らしてください」
言って、髪をベランダの下へ落とす。びゅっと強い風が吹き、柵の上に女の素足が降り立った。
「……お前なら言うであろうと思ったが、まさか本当に言うとはな」
見た目は二十代半ばの、鉄黒色の髪と瞳の女。その立ち姿は重力の存在を忘れたようで、夜風に靡く真っ白な浴衣は幽霊のよう。
「クロイ、僕は二人にバレないように見に行けないのが無念だよ」
しかし彼女は幽霊ではない。人の望みに応え、『惨たらしい手段』で無念を晴らすと言われるロアだ。
とはいえ、彼女の噂話が流行ったのは数十年前。今はもう、大人が「昔そんな話を聞いたな」と思い出す程度の存在。
「我は『クロイ』ではなく『クロカミサマ』だ。暁斗、何度言えばわかる?」
「『クロイ』の方が呼びやすいし、親しみがあっていいよ」
「我は都市伝説。親しみなど不要」
「でも、君は『クロイ』って呼ばれる方が好きでしょう?」
「……なぜ?」
「顔に書いてあるよ」
クロイはぴたりと動きを止めると、少しの間を置いて小さく嘆息した。
「では、参らん」
次の瞬間、暁斗の視界がクロイの浴衣の白に覆い尽くされた。ビュウビュウと風が擦れる音と浮遊感。それらはすぐに止み、両足が地面に付く。
視界の白が徐々に薄れて、半透明の向こうに公園が見えた。片隅に立つ街灯の下にロアが集まり、山のようになっている。
(なんだ、あれ……)
モゾモゾと蠢く中から焼死体のような腕が伸び、街灯の光に触れようとして弾かれる。通常、複数のロアが集まることはない。それなのに、なぜ。
「クロイ、あのロアたちは何を——」
暁斗は背後に浮かぶクロイを振り返った。その視界の端で光が瞬く。振り向くと、ロアの山がぴたりと動きを止めている。
(?)
一瞬の後、上下に両断されたロアたちが霧散し始めた。その向こう、街灯の下に人影が見える。
(百目鬼さん? それと、あれは……)
黒い着流しに朽葉色の羽織を纏った、二十歳くらいの男。それが抜き身の太刀を肩に乗せ、「おい、花帆」と不機嫌そうに彼女へ話しかける。
「俺は慈善活動家じゃない。バカらしいメールのロアなんざ放って——」
花帆が「来たよ」とその言葉を遮る。彼女の視線の先、鉄棒の横に黒い人影が立っている。
「ハンニン」
よろりと体を揺らし、一歩前へ。その動き方も、陥没した頭部も破れた服も骨が覗く腕も、まるでゾンビだ。
「ハンニン、ハハハハハンニニニンンンン……メール、メメールルル」
男が「ここにいろ」と花帆に囁き、太刀を構えて駆け出す。
「メール! 止メタナアアアアア!」
山田ジョンのロアが叫び、下顎が取れて地面に落ちる。男が「うるせえ」と呟き、ロアを袈裟斬りにした。
風が吹き、ロアが霧散し、男の濡羽色の髪が揺れる。前髪の隙間で何かが月光を反射する様に、暁斗はようやくそこにある二本のツノの存在に気づいた。
男がパッと振り返り、黄金色の瞳がギョロリと動いてこちらを捉える。
「まだいたか」
男の草履が地面を蹴るのと、クロイが「暁斗、下がれ!」と声を上げるのはほとんど同時だった。
視界を覆っていた半透明の膜が消える。目の前にクロイが踏み出す。男が太刀を振り上げ、クロイが「お前はっ」と動揺を呟き、
「亜久良、ストップ!」
花帆の声。男がぴたりと動きを止め、花帆が街灯の下から踏み出し、
「神崎くん?」
彼女が放った疑問符に、呆気に取られた暁斗は「こ、こんばんは」と言うのが限界だった。




