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認識は善悪の固定 ③

『神隠し』という言葉が『死』の意味を含むようになったのは、戦後復興の最中のこと。神仏と隣にあった人々の生活が、科学の灯火に照らされた頃。


 それまで、『神隠し』は人間が前触れもなく忽然と姿を消す現象を指した。消えた人間は二度と戻らないこともあれば、ある日突然帰ってくることもある。


 消えたきりの人間の行方はわからない。ただ、帰ってきた人間は記憶の欠落があるものの、五体満足で傷ひとつない。


『神隠し』とは元々、そういうものだった。


 * * *


 放課後。花帆は誰もいない教室の自席に座り、地平線に近づく太陽を眺めていた。校内は静まり返っていて、眼下に見える校庭に人の姿はない。


「ウサギは流石に違うんじゃないか?」


 前の席から亜久良の声。今、彼はここではないがここにある空間で、この席に座っていたりするのだろうか。


「でも白っぽい髪だって言ってたし、ウサギ塚ができたのは戦前だって聞いたことがあるから、可能性はある」

「お前の母親を殺したロアと戦前にどう関係が?」

「お母さんを神域に連れ込んだロアは、着物の上に洋風のコートを着てた」

「……で?」

「戦前によくある服装だよ。なんかこう……和洋折衷?みたいな」


 亜久良が「ほう」と相槌を打ち、校内放送が流れ出す。


『日没まで残り一時間となりました。校内に残っている生徒は、速やかに下校してください』


 花帆は鞄を持って立ち上がった。そこへちょうど巡回の教師が通りかかる。


「百目鬼? 何やってんだこんな時間まで。早く帰れ。もう玄関閉めるぞ」


 教師はギョッとした顔で言い、そのまま廊下を去っていく。花帆は教室を出て、その反対方向へ歩き出した。


 頭の中で、昼間聞いた『ウサギの呪い』の噂を整理する。


 戦前、ここに尋常小学校があった頃、飼育小屋でウサギが飼われていた。校舎が空襲に遭った際に小屋は瓦礫に埋もれ、戦後まで放置された。


 復興期、瓦礫の片付けに入った作業員が、ウサギの死体でいっぱいになった飼育小屋を見つける。小屋は傷ひとつなく、忘れ去られたウサギたちは繁殖を繰り返し、やがて共食いを始めて皆死んだ。


 校舎裏にある岩——通称『ウサギ塚』は、このウサギたちを弔うために建てられたとか。


(繁殖より餓死が先だろうから、話としては嘘くさいけど……)


 ロアの存在を語る上で、その逸話の信憑性はさしたる問題ではない。重要なのは、それを信じている人間の数。この噂話は何十年も前からこの学校で語り継がれてきたらしい。


 ロアが生成されるのに十分な情報が蓄積しているだろう。


「お前に他人の服装を見る力があるとはなぁ」


 階段を降り始めたところで、亜久良が含みのある声色で言った。花帆が「人じゃなくてロアね」と返すと、「どっちでもいい」と一刀両断。


「お前はあらゆる服を『体を隠すための布』と認識してると思ってた」

「どういう話?」

「まさか『着物』と『コート』の区別がついて、そこからロアの時代背景まで推測するとはな」

「……ねえ。なんかバカにしてる?」

「してない。ただ、それならジャージ以外も着ればいいのに、とは思ってる」

「着てるじゃん。今は制服だし、寝る時はスウェットだし」

「そういうことじゃなくてだな……」


 実際のところ、花帆はため息混じりに話す亜久良の意図を理解している。


 彼は普段から『お前くらいの年頃の娘』のやることを花帆に求める。食生活とか、服装とか、休日の過ごし方とか、交友関係とか。


 まるで、『普通の女子高生』の道から外れてしまった花帆を、元の道に戻そうとするかのように。彼女を慮っているように。


(勘違いしちゃダメだ。亜久良は異類。人間と同じ言動の裏に、人間と同じ倫理はない)


 そう自分に言い聞かせていても、ふとした瞬間に期待してしまう自分がいる。彼は自分を心配してくれているのかと思い、昼の道を一緒に歩けないことを残念にさえ思う。


 しかしこれは寂しさが抱かせる錯覚だ。自分が求めているのは、彼と一緒に歩くことではない。


「私は動きやすくて便利だから、ジャージを選んで着てる。それ以外の理由はないし、女子が全員可愛い服を着なきゃいけないなんてルールはないよ」


 一階に着き、生徒用玄関に向かって廊下を進む。言い含めるように言うも、亜久良の返事はない。


「亜久良?」


 不思議に思って足元の陰を見下ろしたところで、「百目鬼さん?」と男の声がした。顔を上げると、下駄箱横のスノコに男子生徒が立っている。


「神崎くん……」


 花帆は亜久良が黙った理由に思い至り、面倒ごとを予感する。


「あれ? 百目鬼さんひとり?」


 予感的中。


「ひとりだよ」花帆は手短に答え、「神崎くんはこんな時間までどうして学校に? 早く帰らないと日が暮れちゃうよ」早口で話題を彼の方へ。


 暁斗はキョトンとした顔で持っていたスニーカーを床に放り、「それは百目鬼さんも同じでしょ」言いながら足を入れる。


「私は家が近いから。徒歩十五分くらい」

「へえ、いいなぁ。僕はバスを乗り継いで四十分くらいかかるんだよ」


 暁斗が「だから毎朝早起きしなきゃならなくて」とのんびりした調子で続ける。花帆は彼の様子に困惑し、


「じゃあ、急がなきゃヤバいじゃん」


 暁斗が無事に帰れるか心配になってきた。しかし彼はどこ吹く風で、「大丈夫、大丈夫」とひらひら手を振る。


 その様子があまりに呑気でバカらしく、花帆の中に苛立ちが湧く。


 異類が好きだか何だか知らないが、それと危機管理は話が別だ。神隠しに遭った人間の末路を、現代を生きる彼が知らないはずはない。


 ナメているのか。生きることを。死ぬことを。


「神崎くんは死にたいの?」


 考えていたら、思わず侮蔑を纏う問いが転び出た。花帆は内心で「やってしまった!」と叫ぶも、暁斗はヘラっと笑い、


「死にたいわけじゃないよ。僕は知りたいだけ」


『死にたい』と『知りたい』——韻を踏んで上手いことを言ったつもりか。


「……何それ」


 悪い意味でブレない彼に、花帆は苛立っている自分がバカらしくなってきた。足音を荒げて下駄箱に向かい、上履きを突っ込んでローファーを床に投げる。


「百目鬼さんは、どうしてロアが人を殺すか考えたことある?」


 ローファーに踵が上手く入らず苛ついていると、頭の後ろに暁斗の能天気な問いがかかった。


「……ロアは人間が想像した情報でできてる。『人に害を与えるもの』の情報が集まれば、害を与えるものができるのは当然でしょ」

「でも、彼らには自我がある。全てのロアが、人間を殺したいと思ってそうしてるのかな」


 ようやくローファーを履いた花帆が「何が言いたいの?」と顔を上げると、暁斗は「いや、何」と赤く染まり始めた太陽を振り返り、


「『そういうふうに生まれた』っていうのは、大変だと思って」


 意味ありげなことを言うと、「じゃあ、また明日」と手を振って歩き出す。花帆はその背中を見送り、門柱の陰に消えたところで舌打ちをした。



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