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認識は善悪の固定 ②

 古来、『神隠し』はその字面そのまま、『神によって人間が隠されること』を指した。現在は『異類に遭遇してその神域に拉致されること』と『神域の使用の有無を問わず異類に危害を加えられること』を指す。


 これが最初に辞書に載ったのは、高度経済成長期に入ってからのことことだ。


 * * *


 花帆が制服に着替えて玄関へ向かう途中、亜久良が陰の中から「おい、スカートが短すぎだ」と声をかけてきた。


「これくらい、高校生なら普通だよ」

「春休み前はもっと長かっただろ」

「それはまあ、一年だったからさ。上級生の目があるから、念のため規定通りにしてただけ」

「腰の丸めてるとこ、元に戻せ」

「嫌」

「こんな短いんじゃ、ちょっと風が吹いたらすぐパンツ見えるぞ」

「そんなヘマはしな……」


 ローファーを履いたところで花帆はふと気づき、足元の陰を見下ろす。


「……ねえ。考えてみたらさ、その位置からだとスカートの中、丸見えだよね」

「言っておくが、俺はお前のパンツなんかに興味はないし、見てもいない」

「じゃあスカートの丈はどこから見たの」

「横から」


 花帆が疑問符を浮かべると、亜久良が「人間は誤解している」と説明を始めた。


「陰は出入り口ではないし、陰の中に神域があるわけでもない」

「いや、出入り口でしょ。現にあんたもロアも陰から出てくるし」

「出入りをする場所が出入り口とは限らない」

「……何それ」


 ドアを開けて外へ。鍵をかけ、周囲に人影がないことを確認し、錆の浮いた外階段を降りる。


「神域はお前たちの世界の隣にあるものではない。重なって、同じ場所にあるものだ。だから陰は出入り口ではなく、繋がりの目印に近い」

「……じゃあ、あんたは今、私の隣を歩いてるかもしれないってこと?」

「ああ。現に今、歩いてる」


 道に出たところで花帆は隣を見た。右、左、また右。亜久良の姿はないし、そもそも寂れた路地の景色には人っ子ひとりいない。


「ふうん」


 花帆は実感を得ないまま適当な相槌を打ち、学校へ向かって歩き出した。


 新学期に相応しい春の晴天。鳥の群れが頭上を飛び去り、道の端のコンクリートの割れ目から伸びたタンポポが黄色い花を咲かせている。


「ねえ、亜久良」


 呼ぶと、「なんだ?」と彼の声。言われてみると、彼の声は足元から聞こえることもあれば、隣から聞こえることもある。今は後者だ。


「どうして、栞の前では陽の下でしゃべれないフリしてんの?」


 夜が異類たちの領域であるのと対照に、空に太陽がある時間帯は人間の領域だ。曇りの日も、雨の日も、まるで異類たちの存在が夢幻であったかのように、陰は動かず沈黙している。


 亜久良は日中を花帆の陰の中——自らの神域で過ごすが、さっきのように体の一部を覗かせることがあるし、話しかければ概ね応える。


「栞のばあちゃんが言ってたよ。ばあちゃんのばあちゃんが生きてた時代の異類は夜の存在じゃなくて、『そのルールの中の存在』だったって」


 少しの間を置いて、亜久良が「なんだそれ」と退屈そうな声で言う。言葉通りのことを思っているのか、とぼけているだけかはわからない。


「昼も夜も関係ない。山にいる異類はずっと山にいるし、川底にいる異類が川から出てくることはなかったって」

「……まあ、昔はそうだったな」

「あんたもそうなんじゃないの?」


 向こうから自転車が走ってくる。花帆は道の脇に避け、すれ違い、しばらく。


「昼は人間の領域だ」亜久良はそこで一度言葉を切り、「人間が、異類を恐れずに暮らせる唯一の時間だ」どこか諭すような口ぶりで続けた。


 花帆は向こうに見えてきた大通りを眺め、その言葉の意味を考える。


 つまり、亜久良は異類が昼に姿を現すべきではないと考えている。自分は昼間、まるで存在しないもののように振る舞うべきだと。


「じゃあ、本当は昼間も出歩けるってこと?」


 尋ねると、しばし沈黙が流れた。花帆は大通りに出る前に会話を完結したくて「ねえ」と呼びかける。人気のある場所で不可視の彼と話すことはできない。


「亜久良、なんで急に黙って——」


 花帆が大通りを前に立ち止まったところで、「ほお」と亜久良が声を上げた。


「今日のパンツは花柄か。春らしくていいな」


 その声は、花帆の足元の陰の方から。


「〜〜っ!」

「意外だな。お前にも服装に季節感を取り入れるような感覚があったとは」

「ちょっと! 何見てんの!」

「どうせやるなら見えるとこにしろよ。地味なジャージばっかり着てないで」

「見るなバカ!」


 花帆は怒りと羞恥心に任せて陰を踏みつける。「そう怒るなよ」と笑う亜久良の声は、陰ではなく隣から聞こえた。


 *


 新しいクラスでホームルームを済ませ、始業式と一時限目の授業が終わった休み時間。


 教室のそこかしこにできたグループの中で交わされる会話のほとんどが、本日欠席の佐藤についてだ。


「親戚が神隠しに遭ったんだってさ」


 花帆は廊下側の席に集まる女子生徒の話し声を聞き流しつつ、購買で買ったパックの紅茶にストローを差す。


「手足が潰れた死体で発見されて、今日お葬式なんだって」

「それ、どこ情報よ」

「ってことは、ロアの神隠しかぁ……せめて古い異類だったら、記憶喪失で済んだのにね」

「ねえ、知ってる? その神隠し、佐藤が校舎裏のウサギ塚に近づいて呪いを受けたからかもしれない、って噂」


 女子生徒たちが「何それ」と口々に声を上げる。噂を口にした生徒が声を顰め、


「春休み前に佐藤が騒いでたんだよ。『白っぽい髪の頭があの近くの地面から生えてた』って」

「それでなんで、佐藤じゃなくて親戚が神隠しに遭うの?」

「うーん……呪いが感染したとか?」


 花帆は何となくそちらへ視線を向け、聞き耳を立てる。女子生徒たちに歩み寄る男子生徒の姿が目に留まった。


「ねえ。その話、詳しく聞かせてよ」


 柔らかそうなアッシュグリーンの髪の、ひょろっとした男子生徒。同じクラスになるのは初めてだが、花帆は彼を知っている。


 神崎暁斗かんざきあきと。異類マニアで、そこかしこの噂話に首を突っ込むと噂の、少し変わった生徒だ。


 女子生徒が「変人神崎の登場だ」と笑い、「座りなよ」と近くの椅子を引き寄せる。彼が変人呼ばわりされながらも平穏な高校生活を送れているのは、その見目の良さと人懐っこい性格によるものが大きい。


「ほら、あの塚って、ここが小学校だった頃に飼育小屋のウサギが——」


 生徒たちが会話を再開する。花帆の頭の中では、さっき聞いた『白っぽい髪の頭』が反芻されている。


 母を殺したロアは、鉛白色の髪の人型だった。



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