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認識は善悪の固定 ①

 情報が質量に変換可能である事実が判明したのは二十年前のこと。中性子星の観測波から遠い過去の宇宙の情報が引き出されたことがきっかけだ。


 これを元に人類は、古くから存在する異類の正体を理解した。


 人間が想像したそのままの姿で存在する彼らは、多くの人間が『認識』によって生み出した情報が実体を得たもの。一度流れた噂話を意図的に消すことができないのと同じく、人の手で異類を消すことはできない。


 * * *


 春。新年度初日の朝。目を覚ました花帆がリビングへ行くと、テーブルの上に朝食が用意されていた。


 おにぎりと卵焼き、それから焼いたソーセージ。コンロの上の鍋の蓋を取ると、わかめと豆腐の味噌汁が入っている。


「これ、栄養的にプロテイン入りのカップ麺と同じじゃない?」


 言うと、足元の陰から男の手が伸び出て、足首をゴツッと叩いて戻って行った。


「なんであんた、ここでも陰の中にいるの?」


 夜闇は異類の領域。ここで言う『夜闇』は、夜間の屋外の暗がりを指す。異類は光の中に存在できないのではなく、許された場所にしか存在できない。


 家の中は人間の領域だ。故に異類は侵入できず、夜までに家に帰らなければならないのはそのためだが、許された異類は違う。


 花帆はここに亜久良がいることを許している。故に彼はこの部屋の中なら昼夜問わず存在できるはずだが、なぜか夜にしか出て来ない。


「せっかく作ってくれるなら、出来立ての熱々を食べたいんだけど」


 味噌汁はぬるくなっていて、ラップをかけてあるおにぎりはすっかり冷めている。彼が夜明け前に作ったからだ。


「それに、狭いアパートだからさ、寝てる間に動かれるとなんか落ち着かないよ」


 言いながらコンロの火をつける。味噌汁から湯気が立ち始めたところで、「音は立ててない」と亜久良の声。


 足元の陰から、彼の頭の天辺だけが覗いている。


「……今のあんた、なかなかにホラーなビジュアルしてるよ」

「当たり前だ。俺は異類だからな」

「怖がられるのは嫌なんじゃないの?」

「…………」

「だからあんたは『異類=悪』ってイメージの元になってるロアを消したいんじゃなかったっけ?」

「……早く火ぃ消せ。沸騰すんぞ」


 むくれた彼の声に花帆はため息をつき、コンロの火を止めた。味噌汁をお椀によそってテーブルへ。ラップを外しておにぎりを取る。齧ろうとしたところで足元から「おい。『いただきます』は?」と亜久良の不機嫌そうな声がした。


「いーたーだーきーます」

「召し上がれ」

「……亜久良さ、なんか日に日に『お母さん化』が進んでない?」

「なんだよ、『お母さん化』って」

「そうやって細かいことグチグチ言うやつ」

「グチグチって……じゃあ何か。お前の母親もグチグチだったのか?」


 亜久良が不満全開の声色で尋ねる。花帆はおにぎりを齧った。少し強めの塩が振られたツナマヨおにぎり。


 食べながら母のことを思い出す。


 花帆が幼かった頃——まだこのボロアパートではなく父も一緒に新しい一軒家で暮らしていた頃の母は、亜久良と同じようなことをしていた気がする。


 食事を作り、掃除・洗濯をして、幼い花帆に箸の使い方を根気よく教え、『口にものが入っている時はしゃべらない』とか、『テーブルに肘をついてはならない』とか言っていた。


 両親が離婚し、母と二人でこのアパートに引っ越してからは、そういうこともなくなった。


(もしもあの日、私がここを飛び出したりしなかったら……)


 考えていたら、「まあ、なんだ」と亜久良の声。見下ろすと、足元に彼の顔だけが出ている。まるでお面が落ちているような状態だ。


「俺はお前の母親なんかに興味はない。だから別に、言いたくなければ言わなくていい」

「……あ、のさ……配慮してくれてる感じの真面目雰囲気の中で言うのもアレだけど、絵面が完全にギャグだよ」

「なんでだよ。普通は怖がるとこだぞ」

「全然怖くない。バカみたいで笑える」

「お前……」

「さっきから何、あんた私を怖がらせたいの?」


 花帆は不思議に思いつつ卵焼きを一口。少しの間を置いて、亜久良が「そうかもな」と答える。


「お前は全然怖がらないから」


 それは彼に対してのことか。それとも、毎夜出会うロアに対してのことを言っているのか。花帆は考えながら味噌汁を啜った。お椀を置いたところで、不意に来客を告げるチャイムが鳴る。


「朝っぱらからなんだあいつは」


 亜久良が吐き捨てて陰の中に消える。その言葉で来客が誰か察した花帆は、箸を置いて立ち上がった。


「おはよう、花帆」


 玄関ドアを開けたところで微笑んだのは、このアパートの大家のおばあちゃんの孫、森井栞もりいしおり。美大生で、鮮やかな深緑に染めたボブヘアが特徴だ。


 栞の祖母は、花帆の『曽祖母の姉の夫の妹の娘』だ。身内なのか何なのかよくわからないほど遠い存在だが、花帆の母親と小さい頃から交流があった。


 その繋がりで、栞の祖母は花帆の『異類遺児後見人』を担っている。母と離婚した父がロアの被害に遭って他界していたことは、母が死んでしばらくしてからわかったことだ。


「これ、ばあちゃんが昨日作りすぎた煮物。よかったら食べて」


 栞がタッパーを出し出す。花帆が「ありがとう」と言って受け取ると、「あんた、昨日の夜も出てたでしょ」と片眉を上げた。


「ばあちゃんがあんたのGPSを見て心配してたよ」


 グローバル()ポジショニング・()システム()の開発以降、多くの国で国民のGPS端末の携帯が義務化された。神隠しと通常の行方不明事件を区別し、捜査活動のコストを削減するために。


「いくら亜久良がついてるからってさ、危ないよ」


 栞がため息混じりに言うのは、言ったところで無意味とわかっているからだろう。


「大丈夫だよ。近くの一時避難結界を調べた上で動いてるから」

「そんなこと言ったってさ……そもそもあんた、お母さんと仲悪かったじゃん。復讐なんかやめてさ、安全に暮らしなよ」


 花帆が「考えとく」と答えると、栞はため息をついて彼女の足元の陰を見た。


「亜久良もなんか言ってやってよ」


 呆れ顔で言うも、陰は陰の形をしたままで何も応えない。


「……って、今言っても無駄か。お天道様の下じゃ、異類は出て来れないし、喋れもしない」


 やれやれと言った様子で独りごちた栞は、「まあ、ほどほどにしなよ」と言って家へ戻って行った。



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