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半身との再会、それから ②

 花帆が中学三年生の冬から、高校二年生のこの夏に至るまで。そこにあった日々をどこか恥ずかしそうに、時折申し訳なさそうな顔になりながら亜久良が話し終えても、花帆がその日々を思い出すことはなかった。


 例えば、小説を読んで思い描いた誰かの物語。あるいはクラスメイトが話す昨日の出来事、ドキュメンタリー番組で見る他人の人生。亜久良の話はそんなものと同じように花帆の中に入り込み、それらよりずっと真ん中に近い場所に落ち着いた。


 日々の事細かな内容を言葉にしていく中、亜久良はコロコロと表情を変えた。きっと、そこにある思いによるものだろう。彼が語る『百目鬼花帆』もまたその時何かを思っていたはずで、それを思い出せないことが少し悲しい。


 だが、思い出せないからこそいいこともある。おそらくそれは、歴史の教科書を捲るようなものだ。


 今に続く感情を伴わないからこそ、そこにいた自分を冷静に俯瞰することができる。自分は何を求めていたのか。何が嫌いで、何を愛していたのか。


 だから今の『百目鬼花帆』は、決して亜久良の脛を蹴らない。


 * * *


 亜久良と再会した翌日、日曜日の朝。目を覚ました花帆が寝室を出ると、キッチンに棒立ちになる亜久良の後ろ姿があった。


「何してんの?」


 尋ねると、今まさにこちらに気づいた様子でびくりと肩を揺らし、「お、起きたのか」と何故か気まずそうな顔をして振り返る。


「うん。おはよう」

「お、おはよう……」

「そんなとこに突っ立って何してんの?」

「あー……これは、その……」

「?」


 亜久良が何かをボソボソと呟きながら体を揺らし、黄金色の瞳が右へ左へと忙しなく動く。落ち着きがない、と言うべきか。昨夜から彼はずっとこの調子だ。


(なんだろう……私と話すと落ち着かない、みたいな……私がなんか変なこと言ってるとか?)


 花帆は内心で仮説を立てるも、現状、それを裏付ける証拠はない。朝起きたら「おはよう」と言うのは普通のことだし、キッチンで何もせずに突っ立っている人を見たら理由が気になるのは自然なことだ。


「朝飯をっ……」


 考えていたら、不意に亜久良がパッとこちらを見て勢いよく口を開き、


「……作ろうかと、思って……」


 何故かその言葉が尻すぼみになる。花帆は彼が何を考えているのか全く想像がつかない。


「ええ、っと……あ、ありがとう……?」


 とりあえず礼を言うと、亜久良が「いや」と首を振った。


「作ろうとしたんだが、どうにも踏ん切りがつかなくて……気づいたらこの時間だ。全然『ありがとう』じゃない」


 そう言う彼はこの世の終わりを目の当たりにするような深刻な顔をしているが、花帆は何が何だかさっぱり分からず、状況からシュールさを感じずにいられない。


「あ、のさ……ちょっとごめん。……どういう話?」


 花帆の問いに亜久良がハッとした顔になり、ぎゅっと口をへの字に曲げ、ガシガシと後ろ頭を掻き、


「……俺は、飯は作ってやりたいが、『母ちゃん』になるのは嫌だ」


 詳細を説明するかのような声色でより一層理解を阻む謎の主張を繰り出した。


(な、何言ってんの……)


 なおも深刻そうな亜久良の姿に花帆は内心で困惑を呟き、しかし、ふと、昨夜彼が語った過去を思い出す。


 亜久良を忘れる前の『百目鬼花帆』は、彼をよく『お母さん呼ばわり』していた。彼はその言葉を文字通りに受け取っていたらしいが、『百目鬼花帆』当人である花帆には当時の自分の心境が手に取るようにわかる。


「あんたは『お母さん属性』じゃないよ」


 花帆は言ってキッチンへ。冷蔵庫から卵を出し、棚からフライパンを取る。


「私がそう言ってたのは、まあ、本当にお母さんみたいなことしてると思ったところはあるけど……お母さんじゃなくて、家族みたいって意味だよ」


 亜久良の前の棚を指して「そこのボウル取って」と言うと、彼が少し遅れて「あ、ああ」とボウルを取る。


「家族みたいで、家族だったらいいなって思った」

「つまり、兄ちゃんってことか?」

「……どうだろ。私一人っ子だからよく知らないけど、兄は妹の制服のスカート丈に文句言わないんじゃないかな」

「じゃあ、父ちゃん?」

「それは違うよ。お父さんはもっと落ち着いてるものだから」


 亜久良が「うーん」と眉間に皺を寄せ、花帆はボウルに卵を割り入れる。軽く手をすすぎ、冷蔵庫から牛乳とバターを取って戻ると、「じゃ、じゃあ」と何故か亜久良がひっくり返った声で、


「おっ、夫……とか?」


 斜め上へ視線を泳がせ、これでもかという顰めっ面で、そわそわと体を揺らし、体の前で合わせた手の指先を高速で動かしながら尋ねた。


(……どういう心境よ、これ)


 花帆は内心でツッコミを入れつつ、卵のボウルに砂糖を入れる。よく解きほぐし、牛乳を加えて混ぜる。


 それを見ていた亜久良が、棚から食パンを持ってきた。「フレンチトーストだろ?」と言ってまな板に出し、四等分に切っていく。


「夫じゃなくて、弟って感じかも」


 ふと花帆が思ったことを口に出した瞬間、スラスラと動いていた亜久良の手がぴたりと止まった。


「……おとう、と?」


 ギコギコと効果音が聞こえてきそうな動きでこちらを向く。


「……お、俺の方が年上だぞ」

「少しだけね」

「見た目じゃなくて、これまで過ごした時間の話だ」

「でも、動きとか言うこととか、なんか少し年下っぽいよ」

「〜〜っ! おっ、俺がガキくさいって言いたいのか!?」

「ほら、そういうとこ」


 亜久良がぐぬぬ、と苦い顔をする。その様子が何だかおかしくて花帆は少しだけ笑った。


「兄とか弟とか、歳とか、そんなのどうでもいいよ」


 亜久良が切った食パンを卵液に浸す。「もっと切って」と言うと「朝から食い過ぎじゃないか?」と黄金色の瞳が細められ、「私じゃなくてあんたの分」と返すと亜久良は一瞬呆けた顔になり、それからくすぐったそうな笑みを溢した。


「そういう属性に当てはまらなくても、家族は家族だよ。だから朝ごはんは一緒に作って、一緒に食べよ」


 言うと、亜久良がふと黙り込み、彼が袋から食パンを取り出す音と包丁の音だけがしばらく続いた。


「ダメ?」


 花帆の問いに、亜久良は「いいや」と言って手を止め、


「……お前はいつも、俺の予想の斜め上を行くな」


 しみじみと、何かを噛み締めるように呟き、それからフッと柔らかい微笑みを浮かべた。


 *


 二人で朝食を済ませ、食休み後。花帆は亜久良のツノを見上げて腕組みをした。


 一緒に買い出しへ行きたいが、彼のツノを隠す方法がない。猫耳をつけてスーパーに入るわけにはいかないし、左のツノが欠けた今の状態はツノのリアル度が増していて、『コスプレ』で通すには無理がある。


「亜久良、服は変えられないの?」

「変えられない」

「着替えは?」

「そういえば、これ脱いだことないな……」


 亜久良が独りごち、羽織を脱ぐ。「おっ」と彼は表情を明るくするも、持っていた羽織をテーブルに置いた瞬間、それはパッと消えると同時に彼の肩に戻った。


「…………」亜久良が口をへの字に曲げ、

「……なんか、めんどい仕様だね」花帆はため息をつく。彼は『服を脱ぐ』という動作はできるが、『着替える』はできないようだ。


「着替えられたら、どうするつもりだったんだ?」

「パーカーのフードを被ればツノ隠せるかなって」


 亜久良が「ふむ」と顎をさする。ふと何かに気づいた様子で手を止め、屈んで花帆に頭を向けて、


()()()()()くれ」


 当たり前のように言った。


「……何、もぎ取るって」

「お前が夏祭りの時に言ってた。俺がロアだと疑われたら、ツノをもぎ取って『つけツノ』だってことを証明するって」

「それは……言ったのかもしれないけどさ、嫌だよ」

「なぜだ?」

「だって、あんたを傷つけるってことじゃん」

「傷じゃない。取るだけだ」


 亜久良が「早く」と花帆の手を掴む。花帆は「嫌だってば!」と言って手を引くがびくともしない。


「取りたいなら自分でやりなよ!」花帆は苛立ちを覚えたが、

「前に何度もやったが、すぐに元に戻るんだ」返ってきた言葉に、心が萎む。


(『何度も』って……)


 その言葉に脳裏を過ったのは、空想上の亜久良の姿。一人寂しく暮らす廃村で、繰り返し自身のツノを割り、血が流れ、やがて元に戻ったツノを見て落胆する彼の顔。


「こっちの……カキタさまに割られた方は、どうして元に戻らないんだろうね」


 花帆は空いた方の手を彼の額へ伸ばす。砕けたツノはそのままで、付け根の部分が鱗のようになって残っている。


「わからん」

「この理由を調べれば、あんたが自分でツノを取る方法もわかるんじゃない?」

「面倒だ。お前がやった方が早い」

「いや……そもそもさ、なんで私が取ったら元に戻らないってわかるの?」

「勘だ」

「か、勘……じゃあヤダ。絶対やらない!」

「なんでだよ!」

「だって、それでまた生えてきたら、ただあんたを傷つけただけに――」


 花帆が力一杯踏ん張って手を引き、亜久良が掴んだ彼女の手を引く。押し問答を経て二人の声は徐々に大きくなり、


「手ぇ離して!」


 花帆が声を荒げたところで、ふと来客を告げるチャイムが鳴った。



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