待ち合わせは街灯の下 ②
コンビニに入り、何も考えずにカップ麺の棚へ向かう。
(ああ、違う。お弁当)
ふと気づいてチルドの棚へ向かい、狭苦しそうに並ぶ弁当を見下ろしたところで疑問に思う。
(あれ? なんで私、お弁当食べなきゃなんて思ったんだろ)
思い返してみると不思議だ。いつもカップ麺ばかり食べていたはずなのに、いつの間にかおにぎりや弁当を選ぶようになっていた。いつから、どうして。
(まあ、いっか)
蓋に『一日分の野菜が摂れる』と書いたシールが貼ってある弁当を選び、レジへ。「お箸は要りますか?」と聞かれて反射的に「はい」と答え、
(あれ? 要らないよ。家で食べるのにゴミが増えるだけだからっていつも……)
もらっていないはずなのに。そう思った時にはすでに袋に割り箸が入っていて、返すのもなんだと思ってそのまま受け取ってコンビニを出る。
夕焼けの中。歩いていると防災無線が鳴った。
『日没予定時刻まで、残り五分となりました。帰宅が困難な方は、最寄りの一時避難結界の利用をご検討ください』
(やばっ、急がなきゃ!)
花帆は慌てて駆け出した。近道の細い路地を抜け、少し広い道に出て、徐々に勢いを失う夕日の景色に街灯がぽつりぽつりと立つ景色を望み、ふと足を止める。
「街灯の下なら、大丈夫」
それは屋外で夜を迎えてしまった人間が、一時避難結界を見つけられない場合に最後に取る手段。この国では小学校に入学してすぐ、生活科の授業で皆が教わる。
街灯は夜を切り取る。その光の中にロアが入ることはできない。どうしても逃げる場所がない場合は街灯の下で朝が来るのを待ちなさい、と。
しかし、この選択肢は救いと呼ぶにはあまりに過酷だ。何せ、ロアに見つかってしまった場合、それと至近距離で相対し、恐怖の中で一夜を過ごさなければならないのだから。
ゆえに、街灯は夜を切り取るが、その光の下は安心できる場所ではない。しかし、
(なんだろう。あそこにいれば、会える気がする)
誰に——それを考えるより早く、いや、考えようともせず、花帆は街灯の下に入った。ポールに寄りかかり、西の空を仰ぐ。
日が落ちていく。周囲が静まり返っているのは、人々が無事に帰宅を済ませた証明だ。夕焼け空が色褪せていく。宇宙の色彩が天蓋を染める。
チラチラと音を立てて街灯が点いた。花帆は無意識に足元の陰を見下ろす。夕日がはたと消え、周囲に暗闇が満ちた。
「……何やってんだろ、私」
何となく足元の陰を蹴ってみる。当然のことだが、何も起こらない。また蹴る。砂利が擦れる音がするだけ。
(何が足りないんだろう)
夏頃からずっと、日々のそこかしこに何かが足りない気がしている。母がいない生活にはとっくに慣れて、他に失ったものなど何もないはずなのに。
いつも何かを探している。それは例えば朝のキッチンに。朝食の席の向かいに。夜、寝る前に振り返るリビングに。
それから、いつも足元にある陰に。
過去の景色を脳内で再生し、日常の中に今ないものを探す。栞との会話、暁斗との会話、クラスメイトとの、先生との——
「もーいーかい」
ぐるぐると回る思考の中の声に声を聞いて、頭の中で「もういーよ」と答えた。――つもりで、自分の口から発せられた声を耳で聞いて驚愕する。
「あっ……」
思考がぴたりと停止して、今この瞬間を知覚する。花帆はノロノロと顔を上げた。街灯のライトの傘の上に、モゾモゾと動く小さな影。
ひょこっと顔を覗かせたそれは、頭の上半分を占める巨大な目をつけている。
「ヤッタァ!」
人間の子供を模倣する、無邪気でグロテスクな声。花帆はいつだったか暁斗に聞いたロアの話を思い出す。
『もういいかい』は、その声に答えると家だろうとどこだろうと襲ってくる。
街灯の左右から二本の腕が飛び出した。枯れ枝を何本も不規則に繋ぎ合わせたような黒い腕。それが真っ直ぐこちらへ伸ばされる。
花帆は反射的に頭を抱え、その場に蹲った。次の瞬間にその行動を後悔し、逃げるべきだと気づき、顔を上げようとした瞬間。
傍らにザリっとコンクリートを踏む音がした。頭上で「ギャッ!」と悲鳴のような声。また足音がして、かちゃっと金属が触れるような硬質な音。
「?」
花帆は恐る恐る顔を上げる。それでいて、胸の中では喜びに似た何かが湧き上がりつつある。
街灯の光の外側。夜闇の中に、朽葉色の羽織を纏う男が立っている。呆れ顔でこちらを見下ろす瞳は黄金色。硬い皮膚の手のひらが光に入り、こちらに差し出される。
「帰るぞ」
街灯がジジッと小さな音を立てた。
彼は異類。頭に黒いツノがあるから。それなのになぜ光の中に手を入れられるのか。常識的に考えると不思議なことだが、花帆は不思議に思わない。
「アクラ」
暁斗が、栞が、夏の盛りに口にした言葉。それが何を表す言葉か知らないし、今もわからないけれど、しかし彼をこの音で呼ぶべきだと思う。
「アクラ」
花帆はなぜか懐かしいその音を口ずさんで男の手を握った。男はぎゅっと顔に力を入れ、嬉しそうな、泣き出しそうな表情を浮かべ、
「お前は諦めが悪いな」
そっと花帆の手を引き、暗い夜道を歩き出した。




