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後の祭り ⑦

 言うなれば、遺伝子に刻まれた恐怖。


 古来語られる神話は虚構であり、天候の変化は物理現象に過ぎず、田畑の実りは豊穣の神が齎すものではない。それを確信していてなお、花帆は恐怖に背筋を震わせた。


 死を予感している。しかし、この恐怖はそれに由来するものではない。未知に対する思考が意図せずぐるぐる回り、カキタさまの「ふうむ」という声を合図に停止した。


「なっ、何を、したの……」


 動かない亜久良を抱きしめたまましゃがみ込む。浅葱色の瞳が何かを考えるように宙を動き、こちらを向く。


「お前は、神を信じているのか?」


 花帆が問いの意味がわからず戸惑う中、ぞろぞろとロアが集まってきた。


「おかしいな。人間の『未知』への解釈は、都市伝説の形成に収束したはずだ」


 周りを囲うロアの群れから、人間の赤子サイズの人影がひょろりと歩み出た。全身が灰色で、やけに頭が大きなアンバランスな造形で、二つの真っ黒な目が頭部の上半分を占めている。


「もーいーかい」


 その造形から、花帆は瞬時に暁斗のブログの『もういいかい』の記事を思い出した。


「まーだだよ」


 答えると、灰色のロアは踵を返して群れの中へ戻っていく。カキタさまが「やはりなぁ」と独りごちた。


「なぜお前は、それと私を異なる存在として認識している?」


 指先で顎をさする。こちらを向く視線は、まるで奇妙なものでも見るかのよう。


「あ……当たり前じゃん。あんたは私のお母さんを殺した。……あのロアは、どうやったら帰ってくれるかわかる」

「そういう意味ではない。根本の話だ」

「はあ?」

「お前は私を『ロア』と捉えていないだろう」


 それから胸に手を置き、「懐かしいな」と呟く。何かをしみじみ感じるように目を閉じ、「なるほどなぁ」と言って開く。


「ゆえにそのカミはお前といるのか」

「何、さっきから……意味わかんない」

「よし、こうしよう。お前がそれを捨てて私と共に来るのなら、私はお前を生かしてやる」


 カキタさまが軽く左手を上げる。徐々に距離を詰めていたロアたちがぴたりと止まった。


「お前が私の言うことを聞くなら、もう怖いことはしない。母を殺したことを謝って欲しいならそうしよう。どうだ?」


 言って、お手本のような笑みを浮かべる。花帆はその言動の白々しさに憤怒を覚えたが、深呼吸をして収め、腕の中の亜久良を見下ろした。


「あ……亜久良のことも、殺さない?」


 カキタさまは笑顔を一切動かさず、


「いいや、それは滅する」


 冷たい視線を亜久良へ落とした。


「それは存在していてはならぬ。ゆえに見逃すことはできない」

「な、なんでよ」

「私がそれの存在を不愉快に思うからだ」

「はあ? そんな田舎のヤンキーみたいなこと——」


 花帆の言葉を、「百目鬼花帆」とカキタさまの声が遮る。


「それはカミだ。姿なく現象だけであればよかったものを、慈悲なのか承認欲求なのか、神域に迷い込んだ人間を、その姿を見た人間を、隠しも殺しもせずに村へ帰した。それがこの歴史の始まりだ。私たちの終わりと変質の引き金だ」

「そんなの……亜久良だけの問題じゃないでしょ。他にもどっかにこいつと同じような異類はいるんじゃないの?」

「ああ。いる」

「だったら何。あんたはそいつらを皆殺しにしようっての?」

「そのような無意味はせん。深い森の奥、洞窟の行き止まり、泉の底……そこらで誰にも知られず消えゆくだけの存在に、私は何ら興味を有さない」

「じゃあなんで亜久良だけ——」


 カキタさまは一歩踏み出し、「強欲ゆえ」と答えた。


「自らの大罪を差し置いて、自ら望むものになろうなど……胸糞が悪い。反吐が出る。存在そのものが許し難い」

「あんたに許可出す権利なんかないでしょ!」

「それは私の怒りを買った」

「何それ、神様みたいなこと言って……あんたはロアでしょ!」

「百目鬼花帆」

「偉そうに、何言ってんの!」


 花帆が腹の底から叫ぶと、カキタさまがぴたりと動きを止めた。少しの沈黙が流れ、「面倒だ」と首を回す。


「ひとまず、それを滅してから話をしようか」


 ひたり、ひたり、とこちらへ近づいてくる。花帆は薄寒い恐怖が背筋を這い上がるのを感じ、停止しそうな思考を頭を振って再起動する。


(どうしよう、何か……)


 打開策を探して周囲に視線を巡らせ、傍らに転がる太刀を見た。亜久良をそっと地面に横たえ、少し血がついた柄を握る。


「ほお」


 カキタさまが感心するようにため息をつき、足を止めた。花帆は太刀を掴んで立ち上がる。ものすごく重くて持ち上げることができない。やはりこれでは無理かと思いつつ、しかし他に方法も見当たらず、


「来ないで!」


 途方に暮れて叫び、柄を力一杯引き、地面を滑る刃先がざらざらと音を立てた。


「ハハッ、素晴らしい!」


 カキタさまがなぜか手を叩く。


「まさかそれに触れられるとは。持てるとは! お前はそれほどまでに夜に踏み入っているということか。いやあ、実に都合がいい」

「なにっ、意味わかんないこと!」

「それは異類の持ち物だ。人間と我らが昼と夜で分たれた今、昼の側のお前が使えるものではない」


 言いながらこちらへ一歩。


「いいな。素晴らしい。こんなものをカミの残骸に与えておくなど勿体無い!」


 また一歩。さらに一歩。周囲のロアがカキタさまを讃える声を上げる。


(……やっぱり筋トレしとけばよかった)


 重みで手からずり落ちそうな柄を強く握り締める。硬い柄糸のほつれた部分が手のひらに食い込んで鋭い痛みを伝える。


(いや、違う。そもそも私が復讐なんて言わなければ……)


 自分はこんなにも弱いのに。ロアを殺せる亜久良と出会って、身の丈に合わない望みを抱いた。


 復讐が無意味なことなど知っている。それでも望むのをけじめと自分に言い聞かせ、その実、ただ自分の罪から目を逸らしているだけだった。


 自分のせいで母は死んだ。しかし自分は今、その死を悼むために勇敢にも危険に立ち向かっているのだと。


 勇敢なのも、立ち向かっているのも、自分ではなく亜久良なのに。


「もうっ、来ないでって言って——」


 力一杯両足を踏み締め、どうにか柄を腰の高さまで持ち上げる。一気に体をひねれば振れないかと思って右足を前に踏み込んだところで、手の甲に何かが触れた。


「悪い。寝てた」


 耳元に亜久良の声。腹に彼の腕が回り、背中に温かな体温が触れ、


「ダメだな。俺はいつだって、決断するのはやらかした後だ」


 硬い皮膚の手のひらが、花帆の手をそっと握る。瞬間、周囲に透明な光が満ちた。



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