後の祭り ⑥
(……ど、どうなってんの、これ)
花帆は内心で独りごちた。亜久良とカキタさまの戦闘が始まって数分が経過したが、目の前で何が起こっているのか理解することができない。
亜久良が太刀を、カキタさまが右手を振っている。その度にガキッと何かがぶつかる硬質な音が響き、彼らの近くの地面が抉れる。
二人の髪や服が揺れる様から風が吹いていることはわかる。恐らくカキタさまの攻撃は空気を介するものなのだが、風音はない。
亜久良が前に振り下ろした太刀が何かに弾かれ、「花帆、伏せろ!」と彼が叫んだ。花帆は訳も分からず反射的に頭を下げる。風が顔に吹き付け、背後の地面が抉れた。
(一時避難結界は向こう……林に入って迂回するしか……)
そう考えて林の暗がりを望む。視界の端に、地面に転がる子供の頭が映り込む。
背中を流れたタール状のものは消え、皮膚に目が開いた跡はない。呼吸によるものだろう、規則的に小さく上下している。
(生きてる。……ここに置いて行くわけにはいかない)
花帆は姿勢を低くしたまま移動し、林の中へ。戦闘状況を注視しながら暗がりを進み、距離を保ったまま子供の側へ向かう。
「くっそ……なんなんだお前は!」
膠着状態に痺れを切らした亜久良が叫び、カキタさまが「ふふっ」と笑う。
「失われゆく自己に気づいておきながら、かつての力がここにあると信じていたのか? ああ、愚かしい。変わりゆく世界を眺めながら、自分だけは変わらないと思っていたのか」
それから、「ああ、違うか」と独りごち、右手を振る。亜久良が眼前に構えた太刀に何かが当たり、後ろに体勢を崩した彼が宙返りをして着地。
「変わらぬことを願っていたのか。祈られる側であるはずのお前が」
カキタさまが右へ左へと手を動かす。亜久良は太刀を振り回してそこから繰り出される攻撃を弾くも、一つが額に当たったのかグシャっと嫌な音がして、頭を大きく仰け反らす。
「亜久良!」
花帆は咄嗟に立ち上がり、踏み出そうとしたところで「来るな!」という彼の声に動きを止める。
「……邪魔だ」
前へ向き直った彼の額から鮮血が流れ落ち、左のツノが崩れて落ちた。カキタさまが「まっこと、哀れなことだ」と嘲笑を浮かべる。
「かつてその身に不可能はなかった。何にでもなることができた。善でも悪でも。それが今は、薄れゆくばかりの半端者。都市伝説ごときにも敵わない」
亜久良がグッと奥歯を噛み締め、額から伝った血が顎から落ちる。
「……俺は、そんな都合のいいものだったことなんか、一度もない」
カキタさまが「ハハッ!」と笑って背筋を伸ばした。
「ならば今からなればいい。教えてやろうか? 私は画期的な方法を編み出した」
悠々と、高らかに。両腕を広げて言い放つ様は恐らく神を模倣しているのだろうが、花帆には陳腐なオペラの大根役者にしか見えない。
(なに、あいつ。うざっ)
内心で悪態をつく。どうにかあの子供を回収できないかと視線を動かしたところで、足元の陰で何かが動いた。
「うわっ!」
驚き、飛び退く。さっき子供の背中から出たタール状のロアだ。表面に並ぶ目は傍らの花帆に気づいていない様子で、じいっとカキタさまを見つめている。
「やっぱ、カキタさま、すげー」
舌足らずで子供のような呟き。それを合図とするように、林の中の至るところで陰が蠢き始めた。グロテスクな造形のロアがあちこちに現れ、皆、カキタさまの姿に注目する。
「カキタさま、カミと互角に戦ってるヨ」
「互角ジャナイ。見ロ。血ガ出テルカラ、カキタサマノ方ガ上ダ」
「ロアががが、カ、カミを、た倒す瞬間んん」
「コンナコトハジメテダ」
ロアが口々にカキタさまを讃え、林がざわめき出す。どこかで「ねえ、知ってる?」と幼児のような声。
「カキタさま、人間の家の形にもなれるんだよ」
それに誰かが「家って、人間が夜に隠れるとこ?」と尋ねる。花帆は声の方を見た。向こうの木の幹の陰から、頭が三つついた巨大な赤子が顔を覗かせていて、それぞれが順番に口を開く。
「じゃあ、人間、隠れても意味ないね」
「じゃあ、昼にいる人間も殺せるかな」
「じゃあ、僕らもいつか昼に出られるかな」
周囲のロアが「カキタさまならできるよ」と呼応する。
「カキタさまに行けない場所なんかないんだ」
「カキタさまはすごいから」
「人間を夜に連れてきた」
彼らの言葉に、花帆は母が神隠しに遭った夜を思い出した。赤ん坊のロアが言った『家』は、一時避難結界を指す。
そのことに気づいた瞬間、花帆の中で全ての疑問が一つに合わさった。
なぜ、カキタさまは一時避難結界を模すなどという回りくどいことをしたのか。
なぜ、恐怖の情報で作られるロアである彼が、恐怖の元である自分を消そうとするのか。
なぜ、暁斗でさえ情報が掴めないロアが、今に存在を続けているのか。
「もしかして……」
花帆が無意識に呟くと同時に、カキタさまがぐるりとこちらを向いた。ぞんざいに右手を振り、亜久良が「ぐっ」と唸って攻撃をいなす。
「人間は特異な生物だ」
カキタさまがニンマリと口角を持ち上げる。
「彼らはそこにないものを語る言語を有する。空想を創造することができる。この言語を有するのは人間のみ。ゆえに他の動物の思考からロアが生まれることはない」
タール状のロアが「カキタさま、誰に話しかけて——」と言いながらこちらを向き、「あっ、人間だ!」と声を上げる。
「したがって、我々の形を規定するのは人間であり、私たちの在り方は人間が生み出す情報に縛られている……と、信じられてきた」
林の中のロアたちが口々に「人間だ」「人間だ」と言い出して、ズルズルとこちらへ集まってくる。花帆は慌てて林を飛び出した。
「盲信だった。私はそのことに気づき、実践した。つまり、人間同様に『ここにないもの』を語るロアの言葉にもまた、我々を形成する力があるのではないかと」
カキタさまが右手の指をパチっと弾いた。風が夜空へ舞い上がり、花帆は顔に吹き付ける砂粒に目を瞑り、
「うっ……」
亜久良の呻き声に目を開けると、彼の体が膝から崩れ、傍らに太刀が落ちるのが見えた。
「亜久良!?」
花帆は咄嗟に駆け出し、倒れる彼を抱き止めた。両手に生ぬるい粘性の感触。見ると血がベッタリとついていて、血が染みた羽織がどす黒く変色している。
「なっ、なに、が……」
状況が理解できない。——いや、理解できるが受け入れられない。ぐったりと肩に寄りかかる濡羽色の頭はぴくりとも動かず、足元に血溜まりが広がっていく。
「私の仮定は正しかった。ロアのコミュニティにおける情報生成の内循環……人間なしに自己を規定することは可能だ」
花帆がノロノロと振り返ると、カキタさまが「ゆえに、お前たちは邪魔なのだ」と仰々しい口振りで続ける。
「人間も、懐古主義のカミの残骸も。不要な情報を成す知性は全て消し去る。私は、私の思い描く私を造る」
古の時代、白は神聖な色とされ、人々は白い蛇や狐を神の遣いと崇めた。しかし今、それらは『白化個体』と呼ばれ、その存在説明に神の存在仮定を必要としない。
その価値観の元に生まれた花帆にさえ、高らかに語るカキタさまの姿は科学を超える神秘に思えた。




