後の祭り ③
「お、お腹、苦しい……」
参道脇の林の横。花帆は腹を押さえて木の幹に寄りかかった。暁斗が「どこか座れる場所……」と呟きながら周囲を見回す。
二人を見ていた亜久良が、花帆を見下ろして「食い過ぎだ」と盛大なため息をついた。
「いつもの倍は食ってたぞ」
「だって、屋台グルメ久々に食べたら美味しくて……」
「塩分過多だ」
「それ以前に、なんか、炭水化物過多かも」
花帆が「うーん」と唸ったところに、「帯緩めてやるから、後ろ向け」と亜久良の声がかかる。彼女が背中を向けたところで、「お母さんみたいだね」と暁斗が笑った。
「お母さん言うな」
亜久良はすかさず不機嫌声で言い放つ。暁斗がじいっと彼を見つめ、
「お母さんじゃないなら、なに?」
普段は底抜けに明るい彼の、妙に含みのある声色。亜久良は閉口し、花帆の帯に向き直る。
「なんでもない。俺たちはただ、互いに互いが有用だから手を組んでるだけだ」
「君はロアを狩りたくて、ロアが寄ってくる百目鬼さんの印を利用してる、だったね。そもそも、どうしてロアを狩りたいんだい?」
「あいつらがいて神隠しをするから、人間がそれを恐れて、恐怖の存在の情報を生み出す。ロアがいなくなれば恐怖は消える」
「卵が先か、鶏が先か……卵を全て割ってしまえば、自然と鶏はいなくなるって?」
「ああ」
「そんなことをして、君に一体どんな利益があるんだい? 異類が恐怖の対象じゃなくなったとして、その先にあるのは異類そのものの存在が否定される世界だと思うけど」
亜久良が少しの間を置いて「そんなことはどうでもいい」といやに淡々とした声で言う。
「俺は怖がられるのが嫌いだ。だからロアと一緒にされるのは胸糞悪いし、ロアの存在が気に入らない。だからあいつらを消して恐怖も消す」
「それで君が居場所を取り戻すわけでも、誰かが感謝するわけでもないのに?」
「だから、言ってんだろ。利益なんかどうでもいい」
暁斗が「本当に?」と彼を見つめ、花帆が「それ、私も気になってたんだよね」と振り返る。亜久良は彼女の帯を緩めて、
「ほら、できたぞ」
彼女の背中を軽く叩き、「少し緩めにしたから、たこ焼き一パックくらいなら入るだろ」と付け足す。
「いや、流石にもう食べないよ」
花帆は腹をさすりながら「ふうっ」と一息つき、「それでさ」と話を戻そうとしたが、
「お母さぁん……」
ふと聞こえてきた子供の啜り泣く声に言葉を切った。見ると、向こうのベンチで五歳くらいの男の子がポロポロと涙を流し、終わりに近づく夏祭りの景色に視線を走らせている。
「迷子かな」
花帆は子供の方へ歩き出した。「おい、花帆」と亜久良の制止に近い声を聞くが、そのまま進んで「お母さんとはぐれちゃったの?」と男の子の前へしゃがみ込む。
「う、うん……」
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒に探しに行こう」
「で、でもぉ」
「?」
「おっ、お母さんがっ……知らない人についてったら、ダメって……」
「ぼ、防犯教育が徹底されてる……」
立ち上がる様子のない子供を前に、花帆は感心と呆れの境目のような心境になる。どうしたものかと考えながら人波を振り返ったところで頭上から陰が落ち、顔を上げた子供が「ひっ」と引き攣った悲鳴を溢した。
「なんだ、母ちゃんとはぐれたくらいでピーピー泣きやがって。情けない男だな」
亜久良がこちらを見下ろして言う。傾いた太陽はちょうど彼の背後にあって、逆光になった表情はよく見えない。
「うわぁ!」
その怪しげな光加減か、それとも彼の図体の大きさが理由か。悲鳴を上げた子供が弾かれたように立ち上がり、そのまま駆け出した。あっという間に人波に紛れて見えなくなる。
「…………」
亜久良がポカンとした顔でそれを見送り、暁斗が引き攣った笑みを浮かべ、花帆は盛大なため息をついて立ち上がった。
「……亜久良、あんな小さい子にあの言い方はないよ」
暁斗が「言い方じゃなくて見た目じゃない?」と疑問符を浮かべ、亜久良が「はあ?」と眉を顰める。
「俺は何も間違ったこと言ってないぞ。子供だろうとなんだろうと、男があんなピーピー鳴くもんじゃない」
「何言ってんの。今時、男も女も関係ないし、子供は普通、お母さんとはぐれたら泣くものだよ」
花帆は再びため息をつき、「探した方がいいかな」と人波を見た。暁斗が「手分けする?」と近づいてくる。
「そうだね。もうお祭りは十分楽しんだし、残り時間も少ないし……とりあえず腹ごなしも兼ねて探してみよう」
「じゃあ、僕はあっちに行ってみるよ」
「うん。私は亜久良とあっちに行く。お祭りの片付けが始まったら、鳥居で合流しよう」
「わかった」
暁斗が軽く手を振って歩き出し、人波の中へ。「私たちも行こう」と亜久良を見上げた花帆は、そこでようやく彼の不機嫌顔に気がついた。
「……なに?」
花帆をじっと見つめていた黄金色の瞳が、ふっと動いて人波を映す。
「お前は泣かなかったくせに」
彼が口の中で呟いた言葉は、誰に聞かれるでもなく祭りの喧騒に溶けて消えた。




