後の祭り ②
祭り会場へ向かう道中。
「まさか下駄が合わないとはなぁ」
歩きながら、亜久良が呆れ声で言って視線を落とした。黄金色の瞳に映るのは、いつものビーチサンダルを履いた花帆の足。
「お前がチビなばっかりに」
「私は普通だよ。お母さんが大きかったの!」
「よく考えたらお前、そんなちっこい足でよくあんな速力出せるな」
「小さくないってば!」
「かなりお端折り取ったからなぁ。ここ、少しごわついてるか」
「触んないで!」
亜久良が花帆の浴衣の帯に手を伸ばし、花帆がそれを叩き落とす。彼は悪戯っ子のように笑ったが、ふと、向こうから歩いてくる人影に気づくと顔を強張らせた。
中年の夫婦と思しき男女。早朝から祭りに行った帰りなのか、屋台料理の袋を手にぶら下げている。
すれ違い、しばらく。亜久良が深いため息をついて顔の力を抜く。「なあ」と言って花帆を見下ろし、
「やっぱり俺は陰の中に」と言いかけ、「いや、でもそうなるとお前と暁斗が二人に」と腕組みをして、「『でーと』はダメだ」と悩ましげに空を仰ぎ、
「……今から暁斗に断りの連絡を入れろ」
羽織の懐から花帆の携帯電話を取り出した。着物に合う鞄がなかったため、携帯電話と財布は彼が持つことにした形だ。
「お祭りには行かないってこと?」
「いいや。お前は行きたいんだろ? だったら暁斗はなしで、俺が陰に入って一緒に行く」
「それ他の人から見たら、私がボッチでお祭りに来た人になるんだけど」
花帆が顔を顰めると、亜久良は「他人の目なんか」と言いかけて、
「……確かに、見られたくない形に見られるのは嫌だな」
噛み締めるように呟いた。その言葉には、彼が人間の認識が生み出した情報でできていることが含まれているのだろう。
「さっきさ、ツノを見られるかもって思ったの?」
花帆の問いに亜久良が「まあ……」と気まずそうに視線を逸らす。
「情けないと思うか?」自嘲気味な笑みを浮かべ、「もう何百年も前の話だってのに、未だに、怯える村人の顔を思い出すんだ」
花帆は「情けなくないよ」と答え、「屈んで」と手招きをする。ツノが完全に猫耳で隠れていることを確かめ、「大丈夫!」と肩を叩く。
「あんたがお祭りに行きたくないならアパートで待ってていいし、陰の中がいいならそれでもいい。でも、私はできたらあんたと一緒に行きたい」
花帆が「どうする?」と続けると、亜久良は顔にギュッと力を入れた。それから「行きたい」と呟き、背中を伸ばす。
ちょうど通りかかった小学生くらいの女の子が、「ねえ、お母さん、見て」とこちらを指差し、隣を歩く母親の袖を引いた。
「あのお兄ちゃんとお姉ちゃん、猫耳かわいいね」
「そうね」
「お揃いいいなぁ」
「ふふっ。テーマパークではしゃぐカップルみたい」
楽しげに言い合い、今度の休みの出かけ先を話しながら遠ざかる。花帆は祭りにはしゃいでいた自分を自覚して何だか恥ずかしくなり、
「亜久良、やっぱり——」
猫耳以外の方法を考えようと思ったが、亜久良の心底嬉しそうな微笑みを見てやめた。黄金色の瞳が遠ざかる母子の背中をじっと見つめ、無骨な指先がそっと猫耳に触れる。
「亜久良、あんた……私のことが好きなの?」
花帆は恐る恐る、一世一代の心持ちで尋ねてみた。一方、亜久良はキョトンとした顔で彼女を見下ろし、
「当たり前だろ。嫌いな奴とわざわざ一緒にいたりしない」
少しずれた回答。花帆は軌道修正しようとして、しかし口を噤む。
思い出すのは彼と出会った夜のこと。「帰るぞ」と手を引いた彼の指先は少し強張っていたように思う。あれは、その姿を理由に拒絶されることを恐れていたからか。
人間と異なる姿を陰に隠し、それでいて花帆の生活にはあれこれと首をつっこむ。新しく知ったカタカナ語を積極的に使い、花帆の交友関係に口を出す。
「あんたは、人間になりたいの?」
尋ねると、彼は少し寂しそうに目を細め、「なれるわけないだろ」とまた少しずれた返事をした。
きっと、わざとずらしたのだろう。
*
夏祭りの多くが神社の境内で行われることに深い意味はない。かつて神仏を祀るための催し物だったそれは、今はただのイベントの一つとなり、神社がちょうどいいスペースというだけの話だ。
祭り会場に到着すると、色褪せた鳥居の傍らで暁斗が「百目鬼さん!」と手を振った。弾む足取りで近づいてきて、「おおっ」と感嘆を漏らしつつ亜久良の爪先から頭の先まで見やる。
「本当に、昼間なのに……」
彼の瞳がキラキラと輝く様を前に、花帆は祭りに誘われた理由に合点がいった。どうやら暁斗は、亜久良が日の下を歩けることを知って、それを確かめたかったらしい。
(そうだとして、私が亜久良を連れて来るって思ったのはなんでだろ)
花帆は疑問に思うも、聞いたところでどうせロクな回答は返ってこないと結論した。漂ってくる屋台グルメの香りを胸いっぱいに吸い込む。
「早く行こう。私、お好み焼き食べたい」
言いながら亜久良の手を掴み、歩き出す。背後に「食べたい?」と亜久良の不思議そうな声。それを聞いてふと気がついた。
母が死んでから——いや、それより前。おそらくあのアパートで暮らし始めてから。花帆にとって食事は心底退屈なものになり、生きるための作業に成り果てた。
現代人は一日三食、朝と昼と夜に食事を摂るもの。物心がついた時にはすでに知っていたそのルーティンに則り、半ば思考停止状態で繰り返す。
食べたいものなどない。カップ麺ばかりを食べるようになったのは、どうでもいい作業を最短で終わらせるため。
いつからだっただろう。亜久良に隠れて食べるカップ麺が美味しいと思うようになったのは。焼きたての温かい卵焼きが食べたいと思うようになったのは。
「亜久良は何食べる?」
振り返ると、彼は間髪入れずに「トルネードポテト」と答えた。何だかんだ言いつつも祭りに来るのを楽しみに、屋台グルメを調べていたのか。
それとも、ずっと前から憧れていたりしたのだろうか。彼はいつも、夕方のニュース番組のトレンドコーナーを食い入るように見つめているから。
(亜久良がやりたいこと……)
ふと、思う。もしも昼と夜が分たれていなかったなら、彼はツノを隠さずに歩くことができるのに、と。




