後の祭り ①
何者も、自らの生まれる場所を決めることはできない。
しかし、最後にいる場所は決められる。
* * *
帰りのホームルームが終わった瞬間、花帆は教室を飛び出した。最寄り駅から電車で二駅先のショッピングモールは閉店時間が早く、急がなければ品物を選ぶ時間がなくなってしまう。
「おい、花帆。なんで走ってんだ」
近道のために曲がりくねった路地に入ったところで、陰の中の亜久良が声をかけてきた。
「パテモの閉店時間が四時だから!」
「なんだ、『ぱても』って」
「パティオモール。辻原駅にあるショッピングモールだよ」
「そんなとこ行って何を……ああ。浴衣を買うのか」
それからボソボソと何かを言い、「そもそも、付き合ってもない男女が一緒に夏祭りに行くってのはどうなんだ」と不機嫌そうな声で独りごちる。
今日の昼休み。花帆は暁斗に、今週末行われる夏祭りに一緒に行かないかと誘われた。唐突な誘いに、花帆は断ろうかと思ったが、
(夏祭り……お父さんとお母さんと三人で行ったのが最後だったな……)
ふと、思い出した。母と二人暮らしを始めてからは一度も行っておらず、友人に誘われても断って、気づけば誘ってくる友人もいなくなった。
(……亜久良と一緒に行きたいな)
しかし、彼を誘うのは気恥ずかしいし、一緒に行ったとして、彼は陰の中にいるため傍目には花帆は一人で祭りを歩いている状態になる。それも何だか恥ずかしい。
ゆえに、花帆にとって暁斗の申し出は渡りに船と言えた。
「うん。行く」
花帆がそう答えてから旧校舎の特別活動室を出るまで、亜久良はずっと不機嫌そうな顔で黙りこくっていた。
それから花帆は午後の授業の間に『とっておきのアイディア』を思いつき、それを実行に移すべくショッピングモールへ向かっている。
「お前、暁斗が好きなのか?」
駅に着き、人気のないホームに立ったところで、亜久良が苦々しげな声で囁いた。
「え?」
「というか、お前ら、俺に黙って付き合ってたのか?」
「いや……え? 急になに?」
「若い男女が二人で祭りに行くのは『でーと』だろ?」
「違うよ。私たちは付き合ってないし、神崎くんが誘ってきたのは……異類と一緒にいる者同士の仲間意識的なやつだよ、きっと」
「お前がそう思ってるだけで、暁斗はそうじゃないかも」
「……神崎くんは私のことが好きってこと?」
「ああ」
「ははっ。まさかぁ」
電車の到着アナウンスがホームに響く。その余韻に、「まんざらでもないくせに」と不貞腐れたような亜久良の声が重なる。
「だから浮かれて浴衣買いに行くんだろ」
「? 浴衣なんか買わないよ」
「じゃあ、パテモには何しに行くんだよ」
「うーん……あるかわかんないから、あったら教える」
「なんだそれ」
電車がホームに入ってきた。ドアが開き、どっと乗客が降りてくる。花帆は足元の陰に向かって「ふふっ」と笑い、軽い足取りで電車に乗った。
*
一般的に、夏祭りは早朝から午後二時頃にかけて行われる。ロアがいない時代における夏祭りのクライマックスが夜の花火であったことは、花帆にとって歴史の教科書の一ページだ。
夏祭り当日の朝、アパートのリビング。花帆が亜久良の身支度を整えて「よし」と呟くと、
「……おい、花帆」
屈んでいた亜久良が背筋を伸ばし、視線を上へ向けて顔を引き攣らせた。その頭についている黒いふわふわの猫耳は、おそらく彼の視界の外。
「なんだこれ」
「猫耳だよ。ツノにブッ刺したから、これであんたが異類ってことに周りの人は気づかない」
「なんで猫耳なんだよ」
「ちょうど良さそうなのがそれしかなかったから」
花帆は言いながら、自分の分の猫耳カチューシャをつける。これを買ったのは『お揃い』をやってみたかったのと、自分もつけていれば亜久良が不審がられないと考えたため。
「これで準備終わり。亜久良、行こ——」
花帆がポケットに財布と携帯電話を入れて振り返ると、ジトッとした黄金色の瞳と目が合った。
「なに?」
「お前はその格好で行くのか?」
「?」
亜久良がこちらを顎で指し、花帆は自分を見下ろす。いつも着ている無地のTシャツと外出用のジャージ。
「もっとこう……なんかないのか」
「ないよ。知ってるでしょ?」
「葵衣の服は?」
「少し残ってるけど、お母さんは背が高かったから——」
寝室を振り返る花帆の脳裏に、いつかの記憶が過ぎる。
左手を父と、右手を母と繋いだ午後の帰り道。花帆は紫陽花柄の浴衣を着た母を見上げて「お母さんのこの服、いいなぁ」と言った。
母が「じゃあ、花帆が大きくなったらあげるね」と微笑んだのは覚えているが、自分がそれに何を答えたかは忘れてしまった。
ただ、母が死んだ後の荷物整理で、青紫の紫陽花柄が覗く衣裳ケースを押し入れの奥に押し込んだことは覚えている。
「……浴衣なら、着れるかも」
「なんだよ。あるなら着ろ」
「いや、着替えるの面倒くさいし、そもそも私、浴衣の着付けなんか——」
言いながら玄関へ向かおうとする花帆の腕を亜久良が掴んで止める。「確か押し入れに衣裳ケースが入ってたな」と言って手を離し、寝室の方へ。
奥で埃を被っている衣裳ケースを引っ張り出し、中から紫陽花柄の浴衣を取り出して「いい色じゃないか」と言って戻ってくる。
「この古代紫の帯も、お前に合う」
「だから、着付けなんてできないってば」
「俺がやる」
亜久良が浴衣と帯を椅子にかけ、「ほら、早く脱げ」とTシャツの裾を捲ってくる。花帆はカッと顔が熱くなるのを感じて、「変態!」と叫んで彼の手を叩き落とした。




