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わからないものは恐ろしいから ⑤

 太刀と歯がぶつかり合う硬質な打撃音、亜久良の草履がコンクリートを踏む音、テケテケが地面を這う粘性の音。毛色の異なる三種類の音が、絶えず夜に響き渡る。


「しゃべったら、ここにいるってバレちゃう?」


 花帆がそっと後ろへ囁きかけると、クロイが「いいや」と答えた。


「我が力は人類科学の領域の外」


 続いた説明はよくわからないが、花帆はひとまず納得した。


「ねえ、神崎くん。どうして亜久良は苦戦してるの?」


 何かがおかしい。


 見る限りでは、テケテケの動きは速いものの、亜久良が遅れを取るほどのものではない。対して、彼の動きはいつもと同じ。力を出しきれていない様子はない。


 しかし亜久良は防戦一方で、攻撃の隙を見出せないよう。


「相性だ」


 花帆の不安に答えたのはクロイだった。


「相性?」


 クロイが「暁斗、奴の説明の続きを」と促す。暁斗は心配そうにチラチラと亜久良を見ながら話し出した。


「テケテケの説明で一番有名なのは『冬の踏切事故の犠牲者』って話。出血がすぐに凍るような寒い地域で、電車に轢かれて下半身を失った人が、すぐに死なずに下半身を探し始めたってやつだよ」


 クロイがその続きを「つまり、論理がある」と受け取る。


「朧げな空想ではない。人間が論理をもって『実在するかもしれない』と思考する存在。ゆえに、曖昧の最たる古い異類とは相性が悪い」

「何それ。亜久良の方が弱いってこと?」

「元の力は奴が上だ。言っているであろう。『相性』だと」


 花帆は「何、それ」と繰り返し、亜久良の方を見る。出会ってから今日まで、いつだって余裕でロアを斬り伏せていた彼の横顔は切羽詰まった様子。


(どうしよう。私が行くって言ったから……)


 考え、はたと気づく。


 彼は花帆にアパートに居ろと言った。自分一人が行くから、と。なぜそんなことを言ったのか。


(亜久良にとって、斬る相手は誰でもいい。ただ少しでも多く、って。だから私の印を利用してて……)


 彼が首探しを狙って斬りに行こうとしたのは、花帆がそれを望んだから。


「……助けなきゃ」


 無意識に独りごちたところに、暁斗が「えっ」と素っ頓狂な声を上げる。彼の方を向いた花帆は、その手にあるノートに気づいた。


「ねえ、神崎くん。テケテケの攻略法知らない?」


 尋ねると、暁斗がハッとした顔でノートをパラパラとめくり始めた。


 例えば、アマガザキ駅と交わした問答。クロイに対する『無念をお晴らしください』——一部のロアには、言葉や行動でその影響を操作する方法がある。


 偶然出くわしたロアのそれを知っている可能性はほぼゼロに等しく、ゆえに神隠し対策としては機能しないが、今は情報を探す時間も手段もある。


「あった! けど……」


 暁斗がページを捲る手を止め、一瞬だけ明るくした表情を固く緊張させる。


「けど、何?」

「バリエーションが多すぎるよ。『高いところに行く』、『地獄に落ちろと言う』、『まっすぐな道を走って逃げて、勢いよく脇道に入る』……」

「どれが本当かわかんないの?」

「どれも嘘ではないよ。この全部の情報が合わさってテケテケができてるから。ただ、どの情報がどれだけの人間に語られてるかわからないから、あのテケテケがどれになってるかわからない」


 花帆は「もうっ、何それ!」と頭を掻く。ふと、アパートで暁斗から聞いた話を思い出した。


「一番古い情報はどれ?」


 暁斗が「ええっと……」と言ってノートを捲る。


「多分……頭を押さえて『安らかに眠ってください』って言う、ってやつ」


 花帆は「頭……」と呟いて亜久良の方を見た。彼に飛びかかっては弾き飛ばされ、再び飛びかかるテケテケの動きは、目で追うのがギリギリだ。


「無理だよ、百目鬼さん」


 暁斗の弱々しい声。


「そもそも、あれが本当にテケテケなのかも怪しい。見た目は確かにテケテケだけど、だとしたら首を取ることはないわけで——」


 亜久良が「なんなんだお前はぁ!」と叫んで太刀を振り、それをひょいと避けたテケテケがケラケラと笑う。


「カキタさまが教えてくれたんだ。ここにいれば強くなれるって。首を探せば強くなれる。それから『印』のところへ行きなさい、って」


 亜久良が太刀を突き出し、その切先がテケテケの首を掠める。


「たくさん首を取りなさい。怖く怖くなりなさい。そうすれば——」


 テケテケが太刀の先を掴み、ぐにゃりと体をしならせる。途切れた胴の断面が月光に照らし出され、高速で動く両腕が太刀を上り、


「そうすれば、カミも殺せる」


 テケテケが亜久良の左腕を掴んだ。ジュッと嫌な音がして、亜久良が太刀を振り、テケテケが向こうへ飛んで着地する。


「へへへへっ! 腐るよ、腐るよ、どんどん腐る!」


 亜久良が左袖を捲る。テケテケに掴まれたところから白い煙が立っていて、皮膚が黒紫に変色している。それがじわじわと広がる様を見た亜久良は眉根を寄せ、


「亜久良!?」


 花帆は悲鳴に近い声を上げた。彼が何の躊躇いもなく左腕を付け根から切り落としたから。


「嫌っ——」


 花帆は咄嗟に彼の元へ駆け出そうとした。暁斗がその腕を掴んで止める。


「ダメだよ、百目鬼さん」

「離して! 亜久良がっ!」

「行ったって君には何もできない」

「でもっ——」


 暁斗が「足手纏いになるだけだ!」と声を上げた。彼にしては珍しい、激しい感情を伴う叫び。プルプルと肩を震わせて「ごめん」と項垂れ、


「僕のせいだ。僕が考えなしに、こんなことに誘ったから」


 両手で顔を覆う。


「嬉しかったんだ。僕と同じ、異類と一緒にいる人と出会えて。同じ世界を共有したくて、話たくて……愚かだった」


 苦しそうな声で懺悔する彼の肩をクロイがそっと撫でる。


「できることなら、我が力であれを打ち滅ぼしてやりたいが」


 花帆が「お願いしてもできないの?」と尋ねると小さく首肯する。


「我はロア。今はもう人間の思い出話にも語られず、亜久良のような歴史ももたない、廃れた物語。他のロアに力を及ぼすに能わず、できることと言えば、自らとより弱きものに小さな作用を成す程度」


 花帆は下唇を噛み、思考する。今この場でできることは何か。自分は何をもっているか。何が使えるか。


「……『弱きもの』って、人間のこと?」


 尋ねながら向こうを見る。飛びかかってくるテケテケを亜久良はギリギリのところで躱しているが、片腕を失って体のバランスが崩れたのか、その足取りは覚束ない。


 脳裏にいつか聞いた彼の言葉が過ぎる。


『お前、無駄に足速いよな』


 小さい頃から運動神経はいい方で、体育の授業ではどの種目でもまずまずの成績を収めてきた。ギリギリだが、テケテケの動きに追いつくことはできるだろう。


 ただ、懸念点が一つ。サッカーやバスケットボールなどの競技ではいつもボールを見失い、その学期だけ成績が悪かったこと。


 花帆は自分の髪を一本抜き、顔の前に掲げた。


「私、自分の動体視力が悪いのがめちゃくちゃ無念。クロカミサマ、この無念を晴らして」


 そして髪を吹いて飛ばすと、クロイが「勇敢よのぉ」と言って少し笑った。



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