わからないものは恐ろしいから ④
放課後。暁斗と共に一度アパートに戻ったところで、
「首探しを斬りに行くってことは、暁斗がうちに泊まるってことじゃねえか!」
亜久良が重大事件でも発覚したかのような叫びを上げた。花帆は「今更なに」と言いながら鞄を起き、暁斗が「お世話になりまーす」と意味ありげな視線を亜久良へ向ける。
「俺はお前の世話なんぞしない!」
「明日の朝ごはんはなんだろう。楽しみだなぁ」
「おい、暁斗、聞いてんのか!」
「泊まることになるから、今日声をかけたんだよ。ほら、明日は土曜日だから」
「くっそ……おい、花帆、これから先、金曜日はこいつとしゃべるな!」
花帆は冷蔵庫から麦茶のポットを取り出し、
「ねえ、亜久良。あんた最近、ちょっとバカになってきてない?」
グラスを二つ出して注ぎ入れる。亜久良が「なっ」と言ってあんぐりと口を開けた。
「おまっ、何言って……」
「ほら、そういうリアクションも。初めて会った時からちょっとイメージ変わってきてる気がするんだけど」
「……お、俺は前も今も、『いんてりじぇんす』だ」
「その発言もバカっぽい」
亜久良が言葉を失い、花帆は麦茶のグラスを暁斗へ差し出す。「ありがとう」と受け取った暁斗は考え顔で亜久良を見つめ、
「亜久良を構成する情報が少しずつ入れ替わってるとかかな?」
彼が発した疑問符に、亜久良がヘラっと笑って花帆を指す。
「つまり、お前のせいだな」
「は? 私?」
「お前がいつも俺を『お母さん』呼ばわりするせいで、俺はお母さんになりつつあるってことだ」
「いや、たった一人の人間が生み出す情報なんて、大した量じゃないでしょ。異類を変えるなんてあり得ないよ」
「どうだかな」
亜久良はなぜか勝ち誇ったように笑い、「俺は実感してる」と自身の胸に手を当てる。
「お前と暮らすようになってから、俺は少し変だ」
「『変』って、自分で言っちゃうの……」
「もちろんバカになってるわけじゃないが、何かが変わってるのは間違いない」
「何かって、何?」
「『何か』だ」
花帆は呆れてため息をつく。そこへ暁斗が「一人でも、あり得なくはないかもよ」と口を開いた。
「情報の密度は、それを思考する人間の数と思考された時間に比例するからね」
「……どういうこと?」
「雪と同じだよ。短時間にどかっと降って積もったり、少しずつ長い時間をかけて積もったり」
「それ、どこ情報?」
「異類対応庁のホームページに載ってるよ」
暁斗が亜久良を見やり、「彼が今も存在してることが証明の一つ」と続ける。
「長く語られた異類は、語られなくなっても長く存在し続ける。一過性の噂由来のロアがすぐに消えるのと真逆の現象だね」
彼の説明を聞いた亜久良が、「ほらな、やっぱりお前のせいだ」と鼻を鳴らし、暁斗が「彼と出会ってからどれくらい経つの?」と尋ね、
「中三の冬からだから、二年弱かな」
「……じゃあ、百目鬼さんは関係ないね」
困ったように笑って「それじゃあ短すぎる」と言う暁斗に、亜久良は少しの沈黙を置いて「ここは嘘でも関係あるって言えよ!」と叫んだ。
* * *
インターネットの普及によって噂話の発生・拡散・消滅サイクルが加速した現代において、その情報から生まれるロアもまた、日々変化の中にある。
その有り様は大きく分けて二種類。噂が廃れると共に消滅する場合と、新たに生まれた噂によって存在が書き換えられる場合だ。
「多分、今回の首探しは後者だと思うんだよね」
夜。踏切に向かう道中、暁斗はいつものノートを片手に話し出した。
「首探しは神隠しで首を取るロア。でも、見つかった遺体は所々腐敗してたらしいんだ。時間経過で起こったんじゃない、明らかにロアがやったもの。でも、首隠しに『腐敗』の情報はない」
つまり、これから遭遇する首探しは、何らかの変異を起こしているということ。
「不思議なのは、ネットでその情報を探しても、それらしいものが見つからなかったこと。普通、ロアの変異を起こすほどの情報はネットですぐに見つかるはずなんだけど……」
「じゃあ、口での噂話だけで、ロアを変えるほどの情報が作られたってこと?」
「それしか考えられないんだけど……どうだろう」
暁斗が「ここで僕は考えたんだけど」と続ける。
「もしかしたら、ネットの情報と口伝では、同じ一つの情報を扱うにも密度が違うのかも。仮にそうだとしたら、亜久良がバカっぽくなったのにも説明がつく」
すかさず亜久良が「俺はバカじゃない」とツッコミを入れる。話しているうちに踏切に着いた。亜久良が鋭い目つきで周囲を一望し、
「暁斗、クロイを呼べ」
「えっ、どうして?」
「早くしろ。あいつの力でお前と花帆を隠せ」
突然警報機が鳴り出した。夜は異類の領域で、人間は活動しない。ゆえに電車など通るはずがないのに。
暁斗が表情を強張らせ、慌てて自分の髪を一本引き抜いた。傍らの縁石に乗って早口で、
「僕と百目鬼さんがロアに見える状態なのが悔しいよ。クロカミサマ、僕の無念を晴らして」
瞬間、風に舞う花びらのようにクロイが姿を現し、花帆と暁斗を半透明の幕が覆った。
「暁斗、花帆、我から離れるな」
クロイが囁き、警報機が止む。遮断桿がカタカタと音を立てて上がり、
「僕の首はどこ?」
線路の上に現れたのは、十五歳くらいの少年——の、上半身。
「……テケテケ?」暁斗が疑問符を発し、花帆が「何それ」と尋ねる。
「人間の上半身だけの姿のロアだよ。出現場所とか正体とかはいろんな説があるんだけど、代表的なのは冬の踏切事故で——」
キンッと硬質な音が暁斗の説明を遮り、花帆は音の方を振り向いた。
「えっ……」
耳障りな音が連続して響く。テケテケが凄まじい速度で飛び上がり、亜久良が抜きかけの太刀でそれを受け止め、跳ね返されたテケテケがまた大口を開けて彼に迫り、太刀とテケテケの歯がぶつかり合う。
「首っ、首っ、僕の首っ」
太刀を抜き切る隙がない。亜久良が速度で押されている。
「くそっ」
亜久良が憎らしげに呟き、両足にグッと力を入れて姿勢を低くする。太刀緒を解き、迫るテケテケへ向けて太刀を鞘ごと真横に薙いだ。
テケテケと鞘が一緒になって吹っ飛ぶ。鞘がカラカラと音を立ててコンクリートを転がり、着地したテケテケが両腕で体を支えてキョロキョロと周囲を見回した。
「おかしいな。カキタさまが言ってた匂いがするのに。おかしいなぁ」
『カキタさま』——その言葉に花帆はここへ来た成果を予感し、向こうに転がる朱色の鞘に、胸を押し潰すような恐怖を抱く。
それは、ここへ来るべきではなかった、と思うほど。




