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そのように生まれさせられた ⑥

 翌朝。花帆が寝室で目を覚ますと、ドアの向こうから話し声が聞こえてきた。


「へえ。亜久良は包丁が上手だね」

「邪魔だ。あっち行ってろ」

「この卵焼き、ひとかけ食べてもいい?」

「暁斗……もうすっかり日が昇ったんだ。さっさと帰れ」

「とか言いながら、この朝食、どう見ても二人分あるよね?」

「…………」

「百目鬼さんと、僕の分でしょ?」

「うるせえ」


 使い古した壁時計を見上げると、午前十時を過ぎたところ。寝るのがいつもより遅かった分、起床時間も後ろにスライドした形だ。


(夜の間に作ったら冷めちゃうから、今作ってるのかな)


 花帆は起き上がり、伸びをしてから窓の外を見た。清々しい晴天。太陽が見守る人間の領域。


「おはよう」


 寝室のドアを開けると、なぜか取っ組み合いをしている亜久良と暁斗が同時にこちらを向き、


「おはよう、百目鬼さん」


 ふわっとした笑みを浮かべる暁斗の頭で寝癖がちょこんと揺れ、


「花帆、お前っ……暁斗がいるんだぞ! そんな格好で出てくるな!」


 亜久良がギョッとした顔で声を上げる。花帆はスウェットを着た自分を見下ろし、


「ここ通らないで顔洗いに行くのは無理だよ」


 言うと、亜久良が「そういうことじゃなくてだな」と呆れ顔でため息をついた。


 *


 暁斗の帰宅後。部屋でゴロゴロして過ごし、遅めの昼食を摂った花帆は、携帯電話を開いた。


『ロアについて色々調べたことをブログにまとめてるんだ。よかったら百目鬼さんも見てみて』


 教わったページを表示したところで、一番上の新着記事『アマガザキ駅の幻想』が目に留まった。


(書くの早っ)


 とりあえず開いてみる。


(『まず初めに押さえておかなければならなのは、電車が停まったその場所には、白骨死体の山も彷徨う人々の姿もないということ』……なんか、現文の教科書に出てきそうな文章……)


 そこには、昨夜実際に見たアマガザキ駅の様子が空想と推論の形で綴られていた。車窓からの風景、停車駅の様子、突如として現れた子供の姿——そして結びに、


(『ロアと人間の間には、思考のベースとなる倫理観に大きな差がある。しかし、中には会話ができるロアがいる。同じ言葉を使うなら、わかり合うことも可能だろう』……いや、だからこの文体なに)


 花帆は内心で独りごち、携帯電話を置いた。テーブルに上体を預けてキッチンを望む。


 そこにあるのは朽葉色の羽織の後ろ姿。かちゃかちゃと鳴るのは、亜久良が昼食の食器を洗う音。


 彼が料理をするようになってから、この音を聞くたびに遠い記憶を思い返した。あの家に家族三人で暮らしていた頃。真新しいキッチンに立つ母の後ろ姿。


 最近になって、それを思い出すことはなくなった。音を聞きながら目を閉じて脳裏に浮かぶのは、使い古されたキッチンに立つ亜久良の姿。


(あの家に帰りたいと思わなくなったのは、考えたって仕方がないと気づいたから。涙が枯れたから。……そう。それだけ)


 蛇口を閉める音。足音が近づき、花帆は閉じていた瞼を開く。


「何やってんだ?」


 黄金色の瞳がこちらを見下ろす。初めてこれを見た時はその鮮やかな色彩に驚いたものだが、今は何とも思わない。


「……休んでるだけ」


 花帆の返答に、亜久良が「ふうん」と言って足元を見下ろす。窓から差し込む陽光が、彼女の下から彼の足元へ陰を伸ばしている。


 亜久良は何かを考えるように視線を動かし、花帆の向かいの椅子に座った。


「陰に戻るんじゃないの?」


 花帆が尋ねるのは、彼がいつもそうしているから。


「……俺も少し休む」

「陰の中は休まらないの?」

「休まるが……なんというか、こう……こっちとは違う休まり方だ」

「何それ。本当に?」

「ああ」


 花帆が「嘘っぽいなぁ」と少し笑うと、亜久良が「うるせえ」とそっぽを向いた。穏やかな沈黙が流れ、ふと、花帆はアマガザキ駅の言葉を思い出す。


『ここから出たいなら、君の神域で上書きしたら?』


 そう言った彼の顔は、亜久良がそれをできないと確信しているようだった。


『もしかして、お姉ちゃんがいるから?』


 あれは、『百目鬼花帆』の存在が、亜久良の戦術の一部を制限しているという意味だろうか。


「ねえ、あんたの神域ってどんな感じなの?」


 何の気なしに尋ねると、亜久良が少しの間を置いてから「なぜ、そんなことを聞く?」と問いを返した。


「アマガザキ駅が話してて、なんとなく気になった」

「……別に、普通だ」

「『上書き』ってなに?」

「うーん……空間と空間をぶつけて相殺するようなもんだ」

「それをやれば、電車を降りても大丈夫だった?」

「アマガザキ駅の神域を出る、という目的だけで言えばな」


 テーブルに頬杖をついた亜久良が「だが」と続ける。


「無事に帰る、という意味では、大丈夫じゃなかった」

「古い異類の神隠しは、遭った人間の記憶を消すから?」

「ああ」


 そう語り継がれているのは、かつてそうであったことの証明。


「あんたも、誰かを神隠ししたことある?」


 亜久良は異類。花帆はそのことを確かに理解しているが、出会ってから今に至るまでの彼は、異類と呼ぶにはあまりに人間らしい。


「ある」


 そう答えた彼に、少しがっかりしてしまうほど。


「一度だけやってみたことがある。……それで、もう二度とやらないと決めた」


 一体、なぜ。そう尋ねるには、彼の声はあまりに淡々としていて、そうあるように努めているようで、


「だから、俺の武器は太刀だけだ。他は期待するな」


 花帆は「うん」と頷くことしかできなかった。



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