そのように生まれさせられた ⑤
電車が減速を始めたところで、暁斗が自分の髪を一本抜いて座席の上に立った。
「僕は自分と百目鬼さんがアマガザキ駅から守られないのがとても無念だよ。クロカミサマ、僕の無念を晴らして」
言って、顔の前に掲げた髪をそっと吹いて飛ばす。彼と花帆の頭上に半透明のカーテンのようなものが現れ、座席から降りた暁斗の隣にクロイが立った。
「お前の無念、我が晴らしてやろうぞ」
つまり、このカーテンは防壁ということか。納得した花帆がカーテンの裾へ手を伸ばすも、亜久良がその手を掴んで止める。
「余計なことすんな。お前のみみっちい加護なんざ当てにならん」
不機嫌顔で言い、「しっしっ」と手の甲で払う仕草をする。花帆の頭上のカーテンが消え、「『みみっちい』、だと?」とクロイの苛立った声。
「斬るだけが能の古びた異類が、我が力を愚弄するか」
「ハッ。お前、知らないのか? 攻撃は最強の防御だ」
「暁斗の計らいを無碍にする気か」
「気持ちでどうにかなるなら、今頃誰もが『はっぴー』だ」
電車が止まり、プシュッと音を立ててドアが開いた。亜久良が花帆の手を握る手のひらに力を込める。
「花帆、何が見える?」
花帆がドアの方を向くと、繋いだ手が僅かに引かれた。
アマガザキ駅は、訪れた者が帰りたい場所の形をしている。亜久良は花帆がそれを見て電車を降りることを危惧しているのだろう。
——と、納得しかけた花帆は「そんなことはない」と自分に言い聞かせ、ドアの向こうへ目を凝らす。
「……家が、ある」
忘れもしない、かつて家族で暮らした家。広い芝生の庭がついていて、いつだったか、大きくなったら犬を飼いたいと両親に話した。
門扉を入ったところに父の車が停まっていて、庭の片隅にバーベキューセットが置いてあり、微かに蝉の鳴き声が聞こえる。
夏、家族とよくこの庭でバーベキューをした。そのことを思い出した瞬間、木目調の玄関ドアが開き——
「あ、亜久良には、何が見える?」
花帆は咄嗟に視線を逸らし、隣に立つ亜久良を見上げた。彼は真っ直ぐ前を向いたまま、淡々とした声で「森」と答える。
「森?」
「ああ。ただの森だ。何もない」
「亜久良の帰りたい場所は森なの?」
彼はグッと顔を顰め、「暁斗の情報はガセみたいだな」と言って踵を返した。車体側面に沿って設置された長い椅子の真ん中にドサっと腰を下ろし、「座れ」と視線で隣を指して花帆の手を引く。
花帆が疑問符を浮かべつつ隣に座っても、繋いだ手はそのまま。
「あれは帰りたい場所じゃない。忘れられない場所だ」
その言葉に、外を見ていた暁斗が「確かに」と呟いた。花帆たちの向かいの席に座ってノートを取り出し、カリカリとペンを走らせていく。クロイは黙ってその隣に座った。
少しの沈黙。
「それで、これからどうすんだ」
亜久良が苛立たしげに言った時だった。ペタペタと子供が裸足で駆けるような音がして、
「お姉ちゃん、一緒に遊ぼう」
花帆の隣に九歳ほどの男の子が座った。
「えっ……」
花帆が驚いて振り向くのと、亜久良が彼女を抱え上げるのはほとんど同時だった。片手で彼女を担いで立ち上がり、空いた方の手で腰の太刀を抜いてその切先を男の子へ向ける。
男の子は鼻先に突きつけられた鈍色をチラッと見やり、「ぼくと距離を取ったって、あんまり意味ないよ」と亜久良に笑いかけた。
「ここ全部がぼくだからね」
暁斗がノートを閉じ、「君がアマガザキ駅?」と尋ねる。隣のクロイは微動だにしていないが、鉄黒色の瞳は男の子をジッと見つめて離さない。
「そうだよ」
男の子——アマガザキ駅がひょいと椅子から降りる。そのベビーブルーの髪が揺れる様は、まるで水中にあるかのよう。同色の丸い瞳で花帆を見上げ、
「この中だったら、お姉ちゃんが一番いいな」
開け放たれたドアの向こうを指す。
「ぼくと一緒にあっちで遊ぼう」
アマガザキ駅が手を伸ばす。花帆が応えようと口を開けると同時に、亜久良の太刀がその胴を真っ二つに斬った。
「えっ」
アマガザキ駅の上半身がスルリと落ち、霧散する。花帆は咄嗟に「亜久良!」と声を上げた。
「なっ、なんで斬ったの!?」ひっくり返った彼女の問いに、
「ロアだからだ」淡々とした亜久良の声が答える。それから「ああ」と何かに気づいた様子で、
「ここまで綺麗に人間に擬態してるロアは初めてだったな。嫌なら目ぇ瞑っとけ」
花帆は反論しようとするも、「無駄だよ」とアマガザキ駅の声が遮る。亜久良の背後に、今さっき斬ったはずの子供が立った。
「言ったでしょ? ここ全部が——」
亜久良が振り返りざまにそれを斬るも、また背後に。
「全部が、僕だから」
また斬り、現れ、再び斬る。網棚の上に寝転ぶアマガザキ駅が「鬱陶しいなぁ」とため息をついた。
「そもそも、他人の神域に土足で入ってくるとか、どういうつもり? 昔の異類はマナーを知らないの?」
亜久良が舌打ちをして網棚ごとアマガザキ駅を斬る。
「ここから出たいなら、君の神域で上書きしたら?」
向こうの座席に座るアマガザキ駅が、「もしかして、できないの?」と歪な笑みを浮かべる。沈黙する亜久良に、
「もしかして、お姉ちゃんがいるから?」
意味ありげな声色で言い、「昔の異類は大変だねぇ」と嫌味っぽく続ける。
「ぼくたちはこういうふうに生まれたからこうしてる。でも、君には選択肢がある。誰だってできることは限られてるのに。ハハッ。『自由』って大変だね」
それから「お姉ちゃん」と花帆のすぐ近くで声がして、
「一緒に遊ぼう」
傍らに立つアマガザキ駅が、子供らしさの手本のような笑みを浮かべて手を差し出した。
亜久良が「このっ!」と太刀を振り上げ、花帆はその肩を押して彼の腕から降りる。
「花帆!?」
亜久良の動揺を傍らにアマガザキ駅に向き合い、
「悪いけど、私はあんたと一緒に遊べない」
言うと、アマガザキ駅がフッと表情を消し、パタリと手を下ろした。
「どうして?」
「私には帰る場所があるから」
「あの家に帰りたいんでしょ? ほら、お父さんもお母さんもいるよ」
「うん。帰れるなら帰りたい。でも帰れないし、私の帰る場所は別にある」
アマガザキ駅は少しの間黙り込むと、「ちぇっ」と言って床を蹴った。
「帰れなくなることを想像するってことは、帰れなくなりたいからじゃないの? ちょっと怖いことを考えて、でもそれがあったらいいなって思ってるんでしょ?」
「他の人は知らないけど、少なくとも、私は違う」
「……本当に?」
花帆が「うん」と頷き、アマガザキ駅が彼女を見上げる。それから「ふんっ」と鼻を鳴らし、
「あーあ。せっかくぼくが来てあげたのに」
不機嫌そうに言う彼を前に、花帆は瞬きを一つ。
「……えっ?」
気づくと、元の駅に戻っていた。




