そのように生まれさせられた ④
『アマガザキ駅』——一時期インターネット上で話題となったこのロアの逸話は、一人の男の経験談として語られている。
ある日、その男は居酒屋で一人酒をした後、帰りの駅のホームで寝こけて夜を迎えてしまった。
「何それ。普通、居酒屋で飲むならそのまま泊まらない?」
「宿泊設備がない居酒屋だったって話だよ」
「そんな居酒屋ないでしょ。夕方まで営業するお店は客用の宿泊設備をつけるって、法律で決まってるじゃん」
「まあ、確かに……」
「しかも、駅のホームで寝てたって言うのも変。そんな人がいたら、すぐに駅員が警察呼ぶでしょ」
「……百目鬼さん、これ一応、ロアの話だから」
慌てて飛び起きた男は、周囲に一時避難結界を探した。そこへちょうど、たくさんの客を乗せた電車がホームに入ってくる。
車体に表示された行き先は男の自宅がある方向。男はこれ幸いと電車に乗り込むも、
「しばらくすると、急に窓の外が黄昏時に変わって、瓦屋根が並ぶ廃れた住宅地の風景になったんだって。もちろん、男はその景色に見覚えがない」
「…………」
「それでふと振り返ると乗客が全員姿を消していて、『次はアマガザキ駅』ってアナウンスが流れる」
「……そもそもさ」
「わかってるよ。『夜に電車が動いてること自体があり得ない』でしょ?」
「そう。そんなものに遭遇したら、普通『幸い』じゃなくて『やばい』って思う」
金曜日の夜。暁斗は花帆の家に泊まると両親に告げ、二人はアパートで夜が来るのを待った。花帆と亜久良が先に出て近くのロアを根こそぎ殺し、安全を確認してから暁斗を呼んで外へ。
「クロイは?」
花帆の問いに、暁斗はチラリと亜久良を見てから「駅に着いたら呼ぶよ」と微笑んだ。
そうして近くの駅に着き、フェンスを越えてホームに侵入し、現在。
「僕がアマガザキ駅が気になるのは、その神隠しに遭った人が戻って来てないからなんだ」
右から暁斗、花帆、亜久良の順でベンチに座ったところで、暁斗がふと語り始めた。
「アマガザキ駅がロアであることは、噂の発生源を考えるに間違いない。でも、神隠しに遭った人が帰って来ないのは古い異類の特徴だからね」
したり顔で「果たしてアマガザキ駅はロアなのか、古い異類なのか」と続ける。花帆が「うーん」と唸ると、亜久良が「ハッ、バカバカしい」と鼻で笑った。
「そもそも、誰も帰って来ないのに、なぜアマガザキ駅の神隠しに遭ったとわかる?」
「この駅でGPS反応が途絶えて、そのまま見つかってない人が何人もいるんだよ」
「そんな話、聞いたことねえなぁ」
「まあ、ニュースになるのは反応が途絶えた時と遺体が発見された時で、追跡調査はほとんどされないからね」
「それなのに、なぜお前は『帰ってきてない』と?」
「神隠し関連のニュースを片っ端から記録して、照合したら気づいた」
「……変態かよ」
亜久良が呆れた様子でため息をつく。暁斗はなぜか誇らしげに「まあね」と応え、
「黄昏の中を走る電車は、しばらくするとアマガザキ駅に停まる。そこはその人の帰りたい場所の形をしてて、誘われるまま電車を降りると二度と戻れなくなる。アマガザキ駅では帰れなくなった人たちが彷徨ってるとも、彼らの白骨死体が——」
風が吹いた。夏の面影を纏う春の夜の、生温かく湿った空気。線路を白い光が照らし、見慣れた電車が無音でホームに滑り込む。
プシュッと音を立ててドアが開いた。黄みがかった光が満ちる車内には、吊り革に掴まって本を読むサラリーマンや、若い子連れの親子の姿。
「ロアは人の本能的な恐怖をそそる歪な姿をしてて、人を自らの神域に引き摺り込み、惨たらしい死体に変える……ロアの一般的なイメージと、アマガザキ駅のそれは全然違う」
暁斗が立ち上がり、大きく伸びをする。
「元々そうだったのか、それとも何か理由があってそうなったのか。『普通』と異なるものを調べればロアの本質に迫れると思うんだけど……まあ、それでアマガザキ駅から出られなくなるのは困るからね」
それから亜久良を振り返り、
「君なら、いざという時にアマガザキ駅を斬れるでしょう?」
亜久良は「ふんっ」と鼻を鳴らし、「俺に斬れないものはない」とそっぽを向いた。
「そういう情報でできてるから?」
続いた暁斗の問いには答えない。花帆は彼の腰にぶら下がる朱色の鞘を一瞥してから重い腰を上げた。
*
昨今『ロア』の語が異類全般を表す文脈で使われることが増えているのは、神隠しに遭った者がほぼ全て死体で発見されるからだ。『神隠し』が死の意味をもつようになったのと同じように、『異類』は人を殺す存在になりつつある。
ここ十年間、神隠しに遭って生きて帰った人間は片手の指の数ほどだ。
「アマガザキ駅はロアだ」
電車に乗ってしばらく。窓の外の色彩が夜から黄昏に変化したところで、亜久良がボソッと呟いた。
「噂が新しいから?」
花帆が尋ねると、黄金色の瞳が閑散とした車内を一望する。
「いいや。異界駅の噂は昔からある。時代と共に形が変わってるだけで、蒸気機関車の頃から」
「じゃあ、どうして?」
窓の外には、夕日に照らされる瓦屋根の羅列。どこか物悲しい色彩の景色の中に、人の姿は一つもない。
「今の時代、望んで人里に降りてくるような古い異類はいない」
「?」
「人と関わったところで消失を補うほどの情報は得られないし、下手に人の前に出てバケモノと騒がれたら堪ったもんじゃない」
『堪ったもんじゃない』——迷惑極まりないという文脈で言う彼はしかし、花帆の目にはどこか寂しげに映る。
「じゃあ、どうしてあんたは——」
あの夜、あの場所にいたの。花帆はそう尋ねそうになり、
「なんで今、一緒に電車に乗ってるの?」
内心で慌てて軌道修正したのは、偏に自分を守るため。万が一にも彼がここで『お母さん属性』を発揮したなら、きっと自分は揺らいでしまう。
「異類の存在が先か、人間の恐怖心が先か。人が恐れるから異類が生まれるのか、異類がいるから人が恐れるのか」
「何、急に。哲学の話?」
「今じゃもうどっちもどっちだがな、一つだけ確かなのは、ロアを一匹残らずぶった斬れば夜は人の領域になるってことだ」
車内アナウンスが流れる。
『次はー、アマガザキー。アマガザキー。お降りの方はお忘れ物に——』
花帆が「あんたは正義の味方になりたいの?」と尋ねると、亜久良は演技じみた意地悪い笑みを浮かべ、
「正義なんかじゃない。俺はただ、気に入らないから斬りたいだけだ」
本気なのか、冗談なのか。よくわからないことを言うと、黄昏の景色へ視線を戻した。




