第9話 ナポリ
ギリシャに別れを告げて、予定通りイタリアに向かう。
オリンピアを9時45分のバスでピグルスに戻り、ピルグスを11時15分のバスでパトラ(Patras)へ。パトラからはフェリーでイタリア入りである。
パトラからイタリア・ブリンディジ(Brindisi)迄のフェリーは8人部屋のベッド付きキャビンで15000DR(約8500円)とかなり安い。20時出航迄6時間もある。荷物預かり所でもあれば動けるんだが、何もなさそう。『地球の歩き方』を読みながらひたすら待つしかない。
19時30分に、やっと乗船開始。キャビンに案内してくれた年配のボーイさんから、このフェリーは日本から購入したモノである事が分かった。ドアーに日本語で、”奥道後錦晴殿” と書かれており、立派な貼り絵が施されている。
(こんな事って! この日は2001年6月27日ですが、今スマホで検索したところ、『錦晴殿』は2001年6月20日に土砂崩れによる集中豪雨で全壊・流出 しています。わずか1週間前、私がエーゲ海・ミコノス島にいた日です。焼失前の京都・金閣寺(現金閣寺は再建されたもの。焼失前とは多少違うようです)を忠実に再現した素晴らしい建造物だったようです。残念)
乗船客は少なく、今日も8人部屋に1人である。
翌朝10時到着のつもりでいたら、8時30分に到着した。ミコノス島の記憶が蘇り、『もしや又?』と心配したが、間違いなくブリンディジだった。1時間半の時差である。時刻を10時に調整した。
下船時に知り合った韓国のご老体2人、それに40代と思われる日本人女性と意気投合し鉄道駅まで一緒に歩き、4人で朝食を共にした。横浜から1か月のヨーロッパ一人旅だというその女性はローマに向け、先に出発した。
残り3人は1時間半後、ナポリへ向かう。それにしても、ご老体はお2人共日本語がペラペラな上、日本にかなり精通している。日本に長く住んでいたようだ。
ナポリに着いた後、観光案内所で紹介して貰ったホテルに3人で宿泊しようと提案されたが、長期の貧乏旅行者にはいささか贅沢であり、私は『地球の歩き方』に掲載されている安いホテルに宿泊する事にした。
夕食はご老体のお誘いで中国料理店にご一緒した。私が貧乏そうに見えたのか、おごってくれると言う。初対面なのに良いのかなと思ったが、まあいいか。
ご老体はお茶が有料なのを気に入らないようで、ウェイトレスに『お茶にお金取るの?』と日本語で訊いていた。ウェイトレスが日本人だと思ったのか、実際日本人だったのか?
ご老体こそ、何者? 本当に韓国人なのか? 日系韓国人? 親切な彼等とはここで別れた。
翌朝。
エメラルド洞窟に行く予定でホテルを出たが、観光案内所で声を掛けてきたツアー会社のおっちゃんの話で、場所がかなり遠い事が分かり予定変更。急遽、と言うより先にヴェスヴィオ火山に行く事にした。
行き方は簡単で、ナポリ中央駅から鉄道でErcorano Scavi駅(エルコラーノ遺跡駅)まで行き、そこからシャトルバスで登山口まで行けるようだ。少々もたついたが、登山口に到着後ゆっくり歩いて山頂までのハイキングを楽しんだ。
コース上から噴火跡を見る事ができたのは良かったが、登山途中に水っぽい霰の直撃を受けたり、頂上からは美しいナポリ湾が見渡せるはずが、天気が良くなかったので景観はさっぱりで、あまり感動するに至らず、少し残念なり。
帰りに寄ったヴェスヴィス遺跡も思っていたより小規模だった。
16時過ぎにナポリに戻った後、ナポリ湾に向かって歩いてみる。『ナポリを見てから死ね』のゲーテの言葉は本当か⁉
ナポリの港湾エリアをサンタ・ルチアというが、むしろその先の海岸沿いの方が散歩には良さそうだ。夜にしかるべき場所からナポリ湾を見ると素晴らしい夜景が見られるのであろう。だがしかし、今自分の歩いている市街地はローマほどではないが、あまり清潔とは言えない。
帰りに果物の露天商を見つけたので桃を1KG 買ったら、何と7個で1000リラ。100円弱である。1個あたり14円になる。本当かな? 我が眼、いや我が頭を疑ってしまった。帰ってすぐ食べてみたが、美味しかった。
夕食は『地球の歩き方』に載っているレストランで食べたが味が辛い。こちらは失敗。




