第八話
飲み足りない様子の菅原さんを追い立てて会計をした。
ビアホールを出ると、春めいた太陽の日差しがさんさん降り注ぐ。片手で眩しさを遮りながら早足で歩く。
楽しかったねと笑いゆったりついて来た菅原さんは、何も解決していないのに、どこか満足そうな顔をしている。
家について、忙しなく靴を脱ぎ、寝室にノートを取りに向かった。
菅原さんをリビングのダイニングテーブルの向かいに座らせて、取ってきたノートを広げた。
部屋着に着替えた菅原さんは、片眉をあげ「なになに?」と興味深げに覗きこんでくる。
A4サイズの五ミリ方眼ノートの見開きページのど真ん中に、シャープペンシルで一本横線をひく。
「菅原さん。オレは専門家じゃない。だから、菅原さんに専門的なアドバイスはできない」
菅原さんは少し畏まった表情をして、「うん」と頷いた。
「だから、知り合いの先生に頼んでみる」
「先生?」
「弁護士の先生」
「へぇ」
オレの真剣さに呑み込まれることもなく、菅原さんは顔を輝かせる。
「僕、何かできるかな」
「できる、と思う。たぶん」
人の気持ちは法律が介入できるものじゃない。心は、変えられない。でも、法的な問題なら、法的に、解決できるかもしれない。
「まず、教えて。菅原さんの仕事を始めた時期。仕事の相方さんに出会った時期。何かが変わったきっかけ。時系列にしていく」
シャープペンシルを握る手に力を込めた。
オレは、しがないサラリーマンで、社会を変える力もない。菅原さんを直接助けてあげることもできない。仕事もうまく回せない。
でも、そんなオレにできることがある。
話を聞いて、紙に落とし込むこと。
「えっと、音楽を始めたのは?」
「覚えてるのは、三歳の頃、父が聞かせてくれたピアノ。あ、育ての父ね」
菅原さんが作曲家になったのは、お父さんの影響があるのかな。そんなことを思いながら、横線の一番左端に、小さく三歳からピアノと書いた。
「長くなりそうだから、先に仕事を始めたあたりから聞こうかな」
紙に落とし込むと言っても、普段オレが作るような少年事件の調書のように、生育環境とかまではいらない。多分。過去に作った曲で、菅原さんに著作権があると証明する必要がでたときでいい気もする。
まずは仕事をいつ始めて、どの会社とどんな契約をして、仕事のパートナーに何を任せて、何を依頼していたのか。主要な人との出会いと別れ。出来事のきっかけと、心当たり。今回奪われた著作権には、契約書があるのか無いのか。口約束はあるか。通帳やメールに、菅原さんの話を証明してくれる履歴は残っているのか。
字が下手なオレが、少しずつ埋めていくノートを見ながら菅原さんは嬉しそうに言う。
「僕の人生意外と色々あるもんだ。最後はゴミ置き場で拾われるしね」
そう言って笑う。
菅原さんの言葉に、ノートに書き込む手が止まった。
顔を上げて、菅原さんと目を合わせた。菅原さんはなぜか少し戸惑った様子で視線を泳がせた。
ページをめくって、真っ白な真新しいページにまた横線をひいた。
一番左端に、『ゴミ置き場』と書いた。
「違うよ、ゴミ置き場は終わりでなく、始まり」
少し、仕事モードになっているのがもしれない。仕事で出会う少年たちへ未来に目を向けて生きて行ってほしいと願う気持ちが、出たのかもしれない。
菅原さんは、茶化すこともなく、いいねと言った。
テーブルの上で腕を組み、少し身を乗り出してくる。
「じゃあこのページに、ハルくんはまだいてくれる?」
「え?」
菅原さんが指先だけで示した真新しいページを見つめた。
「オレ? オレはこのあたりかな」
ゴミ置き場と書いた左端から数センチに小さく弧を描く。
「それだけ? もっといてほしいのにな」
菅原さんの言葉の意味を掴めずに困惑する。突然なんの話だろう。
こんな同居生活、いつまでも続かない。
菅原さんには菅原さんの人生があって、オレにはオレの人生がある。
たまたまいっとき、重なっただけの人間関係だ。
「こんなとこかなー……」
菅原さんの話をもとに時系列と登場人物をA4サイズにまとめてPDF化した。
尊敬してる弁護士の先生にメールで送る。
『先生お元気ですか? 齋藤です。お忙しい中申し訳ありません。友人の相談に乗っていただけませんでしょうか。概要は別紙のとおりです』
過去に一緒に仕事をした先生だ。忙しい中申し訳ないと思いながらも、この人しかないとも思う。仕事ができて、人柄もよくて、真面目で。
メールの送信済みボックスから、確かに先生宛に送信されたことを確認してPCを閉じた。
部屋を出て、リビングで夕飯を作っている菅原さんの背中に声をかける。
「引き受けてくれるかわからないけど、頼んでみたよ」
菅原さんは振り返ってにこりと笑う。
「ありがとう、本当に」
菅原さんから聞いた話は、一つのドラマを観たような気になった。デモテープを送っても鳴かず飛ばずの時代を経て、動画配信サイトに載せた一曲から仕事が舞い込み始めたらしい。大量の納品と事務処理は両立できなくて、ちょうどその頃に取引先を退職した人から声をかけられた。
音楽事務所で長年バックオフィス経験があったその人が、著作権登録とか営業とか全部引き取ってくれたらしい。
「具体的に、どんな事務処理があんの?」
そう聞いたら、菅原さんは見たことないぐらい眉をしかめた。
「そこが、僕の、不徳の至すところ」
「え?」
菅原さんは両手で頭を抱えた。
「いや、あれだよ、ハルくんが力になろうとしてくれて、嬉しい。でも僕も大人だから……」
「だから?」
首を傾げて続きを待つ。
「アイツだけが悪いんじゃないって、分かってる。僕があまりにもあいつに任せすぎたと思って、反省してる」
「え、そうなの?」
勝手に菅原さんは一方的な被害者なんだろうと思い始めていた。
でもあれかな。
一方通行な関係ならまだしも、大人の双方向の関係で、片方だけがワルモノなんてそうないのかな。
「まず、作曲家って仕事を取りに行かなきゃなんだよ」
「うん」
「僕の場合は、やっと食べれるようになったころ配信した曲がバズって」
「バズって」
バズってって、使うんだ菅原さん。オレは真面目に聞かなきゃと思いながらも、菅原さんの見えなかった面が開けていくことに、少しワクワクしていた。
「で、そうね……例えば直近だと、ネットドラマのBGM依頼がきたわけ」
「うん」
「大体、映像や台本を元に三十曲ぐらい納品するのね」
「三十曲!?」
目を剥いた。
菅原さんはさらりと言うけど、三十曲なんて、作れるの? オレは一生のうちに一曲すら作れる気がしない。
「選曲の打ち合わせして、尺合わせをして……まあいいや、えーっとつまり、僕は曲作りと納品に没頭した。その間アイツは、営業もマネジメントも経理も音楽制作にかかるインフラ整備も、全部やってくれてた」
「…………」
「ずっと、文句も言わず。お前の曲は、最高だからって」
オレはシャープペンシルをコトリとテーブルに置いた。
「んー………」
唸りながら腕を組み、菅原さんを見つめる。
菅原さんはなんだかバツが悪そうな顔をしている。
「んー、ごめん、これはオレの勘違いかもだけど」
菅原さんはオレに向かって、どうぞ続けて、とも言うように手のひらを向けた。
「――菅原さんの相方さん、めちゃくちゃ悪いだけの人では、ない?」
「……って、僕も最近思い始めた。ハルくんに拾われた時は、怒り狂ってたけど」
なんだそれって吹き出した。なんだそれ。なんだ、いいじゃん。
これは、裁判かとか思ってた。さあ闘うぞって思ってた。裁判しなくても、話し合える間柄なら、話し合えばいいんだよ。
なんだ。
「菅原さん、ごめんね。実際のその人と菅原さんの関係をオレは分かってないから、アレなんだけど。たとえばさ、離婚事件を依頼された弁護士さんがいるとする」
菅原さんは、オレの言葉に耳を傾けながら、急に何の話が始まったのかと戸惑った様子でいる。
「その弁護士さんの仕事の結果としてだよ、別に離婚成立だけが最適解じゃないんだよね。夫婦の誤解がとけて、仲良く再出発することになるのも、ひとつの大事な成果だったりする」
的を得ないオレの話を、菅原さんはじっと待ってくれている。
「菅原さんは、その人と喧嘩したいの? 仲直りしたいの?」
「仲直り……仲直り……か……」
菅原さんは、教師に質問された小学生のように眉を寄せて考えこみ始めた。
「もちろん、著作権は取り返そう。菅原さんの権利はちゃんと菅原さんのものだから。今後のために、契約書もちゃんと巻き直ししたほうがいい。でも、その人、なんで著作権を取ったんだろうね」
菅原さんの瞳が揺れた。
「お金目当てだと腹立つけど、なんか理由があればいいよね」
菅原さんは小さく息を吐き、何かを懐かしむように微笑んだ。そのまま窓の外に視線を移す。
いつのまにか、日は落ちて、リビングから見える夜空には月が出ている。
菅原さんもオレの視線の先を追いかけて、月を見ていた。見ているように見えた。
「そうだね、――逃げてないで、聞かなきゃ。ちゃんと」




