第七話
ビアホールに予約をいれて、買い物以外は外出してそうもない菅原さんを連れて出た。
マンションのエントランスには、少し早い春の訪れを感じさせるような日差しが差し込んでいる。
こっちだよと案内し、肩を並べ緑道を歩き出す。菅原さんはこのマンションの最上階に住んでいたはずなのに、地元の店をあまり知らなかった。人見知りなのもあって、出歩かないらしい。
「もうすぐ大きな図書館もできるらしいよ」
そう伝えた。地元の広報誌に、構想が載っていた。緑と本に囲まれた公共施設が、公園のそばにできるらしい。
「本、好きなの?」
「最近は仕事の本しか読んでないけど、好きだよ。仕事が落ち着いたら、また読みたいな」
他愛もない話をしながら、マンションの裏手から続く緑道を歩く。しばらく歩けば、ビアホールが見えて来る。
澄んだ青空の下、空気をたっぷり吸い込むと、冷気が肺に広がった。
菅原さんは首をすくめコートの襟を抱き合わせ、日差しに目を細める。
「結構、まぶしいね」
「もぐらみたいなこと言う」
オレが小さく吹き出すと、菅原さんは満足気に笑った。
「僕はインドア派だから」
若葉のつぼみをつけ始めた木々を抜ける。近所では見かけないけど、オレの田舎なら梅の花が咲く頃合いかもしれない。
久しぶりに来たビアホールは、変わらず明るく爽やかな空間だった。光を取り込む路面店に、酒が好きな奴らが酒を目的に来る場所。
木造りの、光をたくさん取り込むような店内が好きで、仕事が忙しくなる前はよく通っていた。バーのような大人な雰囲気はなくて、大衆居酒屋みたいな雰囲気が気に入っている。
予約していた名前を告げて、ホールの奥手のソファ席を案内された。
ふわふわのソファに腰掛けると、菅原さんも向かいのソファに物珍し気な顔でホール内を見回しながら座った。
「あんまこういうとこ、こないの?」
そう聞くと、こくりと頷く。
「僕、飲み会嫌いなんだよね」
「え、早く言ってよ」
眉を寄せたオレに向かい、菅原さんは左右に手を振る。
「ちがうちがう、気を遣って飲む酒は不味いってこと」
穏やかな表情とは裏腹なことを言う。
「芸能人? みたいな業界って、飲み会だらけじゃないの?」
オレのイメージじゃ、接待だらけの世界に思えて意外だった。
「芸能人じゃないよ。僕はただの職人」
菅原さんは苦笑しながら言う。
首を傾げたオレに、菅原さんは続けた。
「気心のしれた人と飲むのはいいけどさ、接待で酒をつぐとか無理。空気も読みたくないし」
人間嫌いが、見知らぬ人間の家に転がり込むんだ。
「そう……なの?」
信じられず更に眉を寄せたオレを、菅原さんは気にとめた様子もなく、テーブルの端に置かれたタブレットを引き寄せ、注文画面をひらく。
「まず頼もっか。何がいい?」
「んー、オレ黒ビールかなー」
「僕、ご当地のクラフトビールにしよう」
色とりどりの画面を操作し、手際よく注文を始める。
「じゃあ一杯目はこれで……あ、ハルくんの好きそうなザブトンがある」
「ざぶとん?」
「柔らかいお肉だよ。いる?」
「いる!」
菅原さんが長い指でパネルを操作していく。
「オレ、給料でたから奢れるよ」
そのつもりで、お金も下ろしてきたとオレが胸を張ってみせると、菅原さんは軽く吹き出した。
「たまには僕にもカッコつけさせてよ。ここぐらいなら奢れる」
「でも」
「じゃあハルくんが気にするなら基本割り勘で、最後ちょっと調整しよう。」
「わかった!」
そのほうが遠慮なく飲める。わくわくしながら注文ボタンを押した。
一杯目のグラスビールが運ばれてきた。
「乾杯」と声をかけあって、口をつけた。喉をスルリと通る泡。昼間から飲むビールは魅惑の味だ。
「あ、おいしい……ハルくん働きすぎだから、こんな昼下がりに飲むの久しぶりでしょう」
頷いた。ほんとに、久しぶり。
「そんなに根を詰めないといけないぐらい、仕事あるの?」
菅原さんの問いに、ビアホールの天井を見上げた。雑踏が耳に心地良い。
「そうだなー、業務量が多いのもあるけど、今、人が足りなくて」
「増やせないの?」
「んー、増やせないのもあるし、あの人の代わりは誰もできないってのもあるかなあ……」
菅原さんは目で問うように続きを促した。
「オレの大好きな先輩が、今、休職してて」
うん、と菅原さんは相槌を打った。
「めちゃくちゃ仕事できる人だったんだよ。その人の帰りをオレ達の部署は待っていて、その人のポジションに他のヤツをいれたくないっていうか……」
他の奴を入れたくないのもあるし、オレの職場は人件費の予算がすでに決まっているので、新しく雇えないというのもある。そこのあたりは、まあいい。
「好きなんだ、その先輩のこと」
いいな、と菅原さんは言った。
「好き。マジで尊敬しかない。あの人のこと、オレはうちの千手観音って呼んでた」
菅原さんが、軽やかに笑った。
「それは、すごそう」
「マジですごいんだよ。だから、帰ってくるまで守りたいのに……」
指先の爪を見つめた。あの人のように、うまくできない。
「十分、頑張ってるじゃない」
菅原さんの言葉に顔をあげた。その瞬間、ざぶとんと呼ばれたステーキが運ばれてきた。
鉄板の上で付け合わせの野菜とともにパチパチ音を立てて湯気立つステーキはこんがりした焼き色をしている。
「わ、おいしそう」
「でしょう」
菅原さんがナイフとフォークを取り上げて、肉を切り始める、
「でもそうか、ハルくんが忙しいのは、永遠じゃないんだ」
「んー、多分、もう少しは忙しいかな……また変わると思うけど」
そっか。と菅原さんは、どこか安心したような表情をする。
「はい、どうぞ」
お肉と付け合わせの野菜が乗った小皿が目の前に置かれる。菅原さんが取り分けてくれた肉を一切れ、口に入れてみた。
「え、うっま」
柔らかくて、脂っこくなくて、でも肉の旨味が詰まってて。
「え、うまいうまい」
「もっと食べる?」
菅原さんが自分の皿に盛った肉も、取るように薦めてくる。
「あ、いや、大丈夫。菅原さんも気に入ったら、おかわり頼もう」
「いいね」
菅原さんは優しく微笑んだ。
その表情をみて、なんだか胸に優しい風が吹く気がした。
「菅原さん、面倒見いいんだね」
菅原さんのフォークを持つ手がとまる。
「そうだね、歳の離れた弟の面倒をみてたからかな」
「弟いるんだ!」
オレが目を丸くすると、菅原さんは「血は繋がってないけどね、ハルくんみたいな頑張り屋さんだよ」と言う。
「――へぇ」
弟さんのことを聞こうとしたけど、事情がありそうで、口をつぐんだ。黙って、菅原さんの表情を伺う。この人が時折り見せる、寂しそうな空気感の正体はなんだろうと思っていた。
「父と母には感謝してるから、心配させたくないのにね。弟に嫌われちゃった。さてどうしたものかな」
グラスを揺らしながら菅原さんは言う。
「そっか」
「しかも、今は事務所も奪われ著作権も奪われ、友達もいないから五歳も下の子の家に居候してて、え、僕大丈夫?」
菅原さんはひと息に言って、突然頭を抱え、落ち込み始めた。
……。もしかして、飲ませちゃダメなタイプなのかな……。
頭を抱えテーブルを見つめる菅原さんをそっとしたまま、一人静かに飲んで、グラスが空になった。
おかわりを頼むか迷い始めた頃、ようやく菅原さんが顔をあげる。
「落ち込んでても状況は変わらないな。よし、おかわりを頼もう」
気を取り直したように菅原さんが宣言する。
「うん」
ちょっと復活したみたいだ。
オレも一緒に菅原さんとパネルを覗き込んだ。
管原さんと他愛もない話題に話を移しながら、頭の片隅で考え始めた。
菅原さんに、何かできることあるかな。
「ねぇ、菅原さんはどうして、仕事の相方に追い出されたの?」
菅原さんは不意を突かれた表情をして、何度か瞬きをした。
「突然だね……まあ、僕の曲だけ必要で、『僕』はいらなくなったからかな」
オレは思い切り眉をしかめたんだろう。そんな顔しないでよと菅原さんは笑う。
「知らないうちに、僕の作ったものが、僕の名義でなくなってた。僕が生み出した子たちが」
「……それは……」
「あんなに大切だったのに、な」
オレの勝手なエゴなんだろうけど、菅原さんの心の痛みが、少し伝わってくるような気がした。ヴァイオリンの弦に音が乗って響くみたいに、ゆるやかにしなやかに。
水滴のついた、ビールグラスを眺める。
少しずつ、周囲の雑踏が、薄れていった。
手を軽く握り込んだ。これは、余計なことかもしれない。
お節介だと、嫌がられるかもしれない。
菅原さんのプライドに土足で踏み込むようなものかもしれない。
そう思いながら、口をついて出た。
「ねぇ、菅原さん。闘う気はある?」
一息に言う。オレは目の前の肉を平らげ、真新しく来たビールを一気に飲み干した。
「へ?」
菅原さんが目を丸くする。
「菅原さんに、闘う気があるなら、紹介したい。激つよな弁護士さん」
「げきつよ……?」
「菅原さんの、大事な曲、取り戻そう」
菅原さんは、瞬きを繰り返し、真顔のまま何も言わなかった。
オレは菅原さんの手元からタブレットを自分に引き寄せ、ステーキとビールのおかわりをカートにいれる。
「菅原さん、次のおかわりは?」
口調強く問うと、菅原さんは我に返ったように表情を変え慌てる。
「――え、ハルくん、酔ったの?」
「酔ってない。菅原さんが闘いたいなら、協力する。オレ自身は無力だけど、方法があるのは知ってる」
菅原さんは一度何かを言いかけ口を開き、また口を閉じ、思案する顔をする。
「闘おう。オレたちは、まだ闘える」
菅原さんは泣いてるみたいに笑った。
「いや、ハルくんやっぱり酔ってるでしょ」
酔ってない。
酔ってなんて、いないよ。




