表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第三話

第三話


 ゆらゆらと電車に揺られ、ぼんやりした頭で窓の外を眺める。

 車窓に眩しく差し込んでくるのは朝日。目を焼きそうなほどの、晴天が広がっている。

 午前は、事件の聴取と面談。

 居場所がない家から逃げ出して、仲間ができたと思った夜の街で、それ知らずに犯罪に勧誘された少年たち。

 そんな少年たちの話を聞く。家族の話を聞く。彼らが生きてきた経過に触れて、何が必要かを模索していく。そんな仕事をオレはしている。

 何人もの少年に出会って思う。

大人にも子どもにも、孤独って毒なんだよ。家が学校か社会か。たった一つでも安心できる居場所があれば、彼らはどこかで立ち止まれたんだろうと思う。でも、彼らが安心できる場所はそう簡単に存在しない。

『ただのバイトだって、聞いた』

 家の中にも外にも、頼れる大人がいなくて、生きづらさを抱えても、その苦しさへの対処を学べないまま、彼らは毎日を生きる。

 そして、そんな孤独の中、耳障りのいい言葉だけ吐く、大人が近付いてくる。

 少年たちの話を聞くたび、痛ましさに胸がやける。

 もういらないだろ、こんな世界。オレが世界征服する魔王なら、汚い大人を全員海に沈めたい。この業界のハードな仕事量とそこに横たわるハードな現実に、潰れそうになるやつはたくさんいる。オレも潰れそう。望んで入った世界だけど、疲れてきた。

 鞄に入ってる巾着袋を思い浮かべた。

 仕事が立て込んでるときは、昼飯に出る時間もない。

 そんな話をしたら、菅原さんが弁当を持たせてくれた。

菅原さんは変わらず、物件を探していると言いながら、出ていく素振りも見せず、まさに我が家の家事代行のような仕事をしている。

 おかげで、いつも床は綺麗で、洗面台や風呂場もピカピカで、カーテンすら洗い立ての香りを漂わせながらはためいていた。

 突然、「齋藤さんは卵焼き、甘い派?だし派?」なんて聞いてきて、「だし派」って返事をしたのが昨晩。

 朝、胡乱な顔で家を出るオレの手に、弁当が入った黒い巾着袋を押し付けながら、菅原さんは言った。

「食は基本。食べる限り、人は生きていけるんだよ」

 

 朝の取り調べに立ち会って、昼休み、頭を抱えながら自席で弁当の蓋をあけた。

だし巻き卵と、なんかの煮物と、焼き鮭の切れ身に白ごはんが入っている。

 白ごはんには、オレが好きだと言ったカツオ節が乗っていた。

 だし巻き卵の柔らかな舌触りと、棘のない旨みを感じながら、ぼんやりと思い起こす。

「この家には、人が生きるに足るものが足りない」

 菅原さんはオレの家に居座り始めてすぐ、冷蔵庫や戸棚を開け、神妙な顔をしてそう言っていた。今や我が家の一人暮らし用の冷蔵庫には、菅原さんが買ってくる野菜や肉が所狭しと入っている。


 そう言えば菅原さんは、家を追い出され、仕事の名義も取られたと言っていた。

 菅原さんが裏切られたことが事実なら、今、菅原さん自身はどんな気持ちで毎日過ごしているんだろう。

 築いてきたものが手からこぼれおちて、何が彼に残ったんだろう。

 作曲家と言っていた。

 作曲家がどんな仕事をするのか、オレはよく知らない。個人で曲を作って売り込むのかな。会社みたいなものに所属して、依頼が来れば曲を作るのかな。どんな感じなんだろう。曲を作る環境が奪われて、焦ったりしないのかな。音を生み出せない生活は、寂しくないのだろうか。

 そこまで考えて、休み時間が終わることに気がつく。弁当の残りを掻き込んで、席を立った。


「菅原さんが引っ越すときちゃんと持ってくなら、電子ピアノでも置きますか?」

 珍しくオレが二十三時に帰宅したことを喜んで、煮物を温め直していた菅原さんが、勢いよく振り返った。

「え?」

「菅原さん、日中、暇じゃないっすか?」

 菅原さんはおたまを手にしたまま、瞬きを繰り返している。

 変なこと、言ったかな。

 作曲家ならピアノかと思ったけど、今時の作曲家は、あれ?ピアノじゃない? PCとかで作曲する感じ?? 全然分からない。

「マンションだから電子なら、ありかなって」

 リビングの家具の配置なら、変えれるから。そう続けたオレに、花が咲くような笑顔で菅原さんは笑った。

「どうしよう、居候から同居人に昇格した気がするよ」

 ご飯が効いたかな? そう言ってニコニコしている。

 そんな提案をして一週間後、ローランドってメーカーの黒い電子ピアノと音楽制作もできるスペックだというPCが届いた。

 リビングに置いていたローチェストをオレの寝室に運び込んで、空いたスペースにピアノを置く。

 ピアノが一台あるだけで、リビングの雰囲気が変わった。なんだか、おしゃれだ。

「なんか弾いて」

 そう頼んだら、にこりと笑った菅原さんが、両手を軽く握り開きを繰り返した。ふしくれの目立つ細い指を鍵盤にそっと乗せる。

 菅原さんは、ポピュラーな映画音楽を奏で始めた。オレに聞かせるためにヘッドフォンはつかえないから、小さな音で。

 演奏が始まって、息を呑んだ。

 とても、綺麗な旋律だった。上手ってだけじゃなくて、胸にくるものがあった。オレは菅原さんを、そして電子ピアノを舐めていたんだろう。曲の良さももちろんあるけど、菅原さんが心に訴えるピアノを弾ける人なんだってことに、圧倒された。

 呆然と眺める視線の先、菅原さんは心地よさそうな表情で、映画音楽を奏でていく。

 幼い頃から、何度も観た名作。迷った森の通り道で出会った、お隣さん。空を飛んで見つけた、新しい街。空に浮かぶ、伝説の島。

 どれも、有名な作曲家が作った映画音楽だ。

 胸が詰まり、涙が出そうになった。いつのまにか、菅原さんの背中に向かって拍手をしていた。心の中の、幼い頃のオレまでが、一緒に拍手をしているように思えた。

「ちょっと、感動……」

 曲の合間にポツリと溢したオレに、菅原さんは照れくさそうに会釈する。

「ねぇ、作曲家って大変?」

 リビングのソファの上に立膝に顎をついて菅原さんを眺めた。

 軽やかにピアノを弾く手は止めずに、菅原さんは答える。

「大変。でも齋藤くんも大変でしょ。みんな大変な毎日を、生きてる」

「菅原さんは何が大変?」

「そうだねー。うーん、正解がないこと?」

「わかる」

 そう答えた。そう、わかりやすい正解なんて早々ない。最適解をひたすら模索するしかない。辿り着いた答えが、合っていたかなんて、誰にも分からない。

「……ねぇ菅原さん。他に、欲しいものある?」

 綺麗にアイロンがかけられたシャツの背中に言う。菅原さんはスウェット系よりシャツ系が好きらしい。

 菅原さんは、ピアノを弾く手を止めて、振り返った。

「なんだろ、誕生日みたい」

「そういうわけじゃないけど」

 菅原さんは目尻を下げた。

「そうだなあ、齋藤くんの休み、かな。いつか一緒にコンサート行こうよ。小さいのでいいから」

「コンサートかあ」

 昔、母に連れられた、小さなコンサートを思い出した。楽しかったな。

「いいよ」

 菅原さんも家に引きこもってばかりじゃ、楽しくないだろう。

「あ、それか、僕がまた弾けるようになったら、関係者席に齋藤さんを招待してあげるよ」

 菅原さんの言葉には、口角をあげて返した。

 約束は、あまり当てにしない。

 キッチンのカウンターに、ピアノと一緒に増えたちいさな花瓶の小さな花が、そっと揺れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ