第二話
第二話
……美味い。……認めたくないけど、飯はめちゃめちゃ美味かった。
味噌汁を一口すすったオレの表情を見て、向かいに腰掛けた男はニッコリする。缶ビールとフリーズドライの味噌汁とお茶漬けの素しか無い我が家で、よくここまで作ったな。
一度買い物に出て、戻って来たんだろうか。でも部屋のドアは暗証番号キーなのに。
頬杖をつきながらこちらを見てる男の視線に気まずさを感じながら、真四角なダイニングテーブルに並んだ食事をもそもそと食べる。我が家には食器が少ないからか、半分は見知らぬタッパーに入ってた。
「買い物、行ったの?」
「そう」
「え、暗証番号は?」
「ホールは知ってる。この部屋のは、昨日見えちゃった」
げ。ヤバいやつだな、こいつ。
男を睨みつけた。
普通プライバシーに配慮して目を背けるだろ。しゃあしゃあと言ってのける分、タチは悪い。
「再設定面倒なのに、勘弁してよ。金は?」
睨みつけてるのに、男はどこ吹く風で、飄々としてる。
「昨日、ゴミ置き場に放り込まれたときに、投げつけられた手切金がある」
「………」
ダメだ、絶対に関わっちゃダメなやつだ。爛れ具合が酷い。
呆れ顔のオレなんて気にもせず、男は窓際に立て掛けてたプレスを引っ張り出して、オレのスラックスをセットし始めた。
何してるんだろう……。男の手元をぼんやり眺めて、ハッとした。時計の針は二時を指している。残りの飯をかきこんだ。ヤバい早く寝なきゃ。
「風呂」
それだけ言って立ち上がった。男はいってらっしゃいと微笑む。茶碗に水を張り、風呂に向かった。
飯は美味かったけど、疲れた。説得する気力は今日は無い。とりあえず、風呂入って寝る。
はあああああ。
落とした視線の先、深いため息が、排水溝に渦を作りながら吸い込まれて行った。
「あんた、いつ帰んの」
翌日、また深夜に帰宅したオレは、男に出迎えられる。マジで、なんなんだ。
「あんたじゃなくて。どうも、こんにちは。菅原彗だよ。職業は作曲家。住居は一昨日まで、ここの最上階」
最上階?最上階って、五十平米以上のバルコニーがあるペントハウスじゃん。家賃は七十万を超える。何者だよ。
「作曲家?」
ご飯をよそってもらいながら、疑いつつ、スマホで名前を検索した。「すがわらけい」
検索結果のトップに、漢字表記にあわせて少し古い顔写真やショート動画が出てくる。
「……え、本当に……?」
検索結果と目の前の顔を見比べた。
確かに、多分、本人なんだろう。似てる。一気に頭が映える。
男は耳慣れた曲のワンフレーズを口ずさみ、ニコリとした。
「ケイでいいよ。よろしく、齋藤陽翔くん」
え? なんでオレのフルネームを知ってるんだ?
訝しげな顔を向けると、菅原さんは無造作に積み上げられている郵便物の束を指差した。
「見えちゃった」
あー。なるほど。
「厳密に言うと、仕事の相方と、事務所兼住居を上に借りてたんだけど、よく聞くでしょ、方向性の違いからってやつ。それで、出ていけって放り出されたのが、一昨日」
「あー……そういう……?」
出汁が染みた大根に半ば感動しながら相槌を打つ。
ごめんなさい、てっきり、どっかのオネエサンのヒモかアレな組織の舎弟かと思ってました。
「え、でもなんでごみ置き場……?」
「このゴミ野郎、捨ててやるって言ったら、僕が負けた」
この人、大丈夫なんだろうか。
オレは呆れた顔を隠しもせずに言った。
「……へぇ」
「マネジメントまで任せてたら、いつのまにか色んな名義がアイツのものに変わってて」
菅原さんは芝居がかった仕草で、肩をすくめてみせた。
本当に落ち込んでいるのか怪しいところだけど、事情は確かにヘビーだ。顔を顰めたオレに、菅原さんは「ね、冷めちゃうよ?」と手元の茶碗を手に取るように促す。
モソモソと炊き立ての白飯を口に運ぶ。上手い。
菅原さんは、テーブルの向い側から、人の良さそうな表情で、オレの食べる姿をにこにこ眺めてる。
「齋藤くんの食べる姿、うちのハルに似てる」
「うちのハルって誰よ」
「わんこ」
犬かい。
休日返上の連勤明け。久しぶりに平日の休みを取った。
目覚ましを止めて、布団の中でごろごろと過ごす。身体全体が重たくて、内臓ごと疲れてるような気がした。
「齋藤さん、今日休みなの? もう七時だよ?」
菅原さんが起こしにくる。
「そー。寝かせて……」
そっか、じゃあ良かったねって菅原さんはリビングに引っ込んでいった。
あー、疲れた。寝る。無理、生きてるの無理。本当に、疲れた。
次に菅原さんが起こしに来たのは、太陽が頭上に昇ってからだった。カーテンから溢れる光が明るい。
「齋藤さーん、はるさーん、はるくーん。寝ていたいとは思うけど、栄養取らないと。回復しないよ?」
寝ぼけ眼で菅原さんをみる。菅原さんの小ざっぱりしたシャツ姿を見て、菅原さんの小ざっぱりした少し長めな前髪を見て、菅原さんの切れ長な瞳が今日は柔らかく細めらているのをしばし眺めて、大事なことを思い出した。
「忘れてた! 菅原さん、居付いてるけどさ、いつ出てくの⁉」
菅原さんを拾って、二週間が経ってた。
オレは毎日ほとんど職場だし、家には寝に帰るだけで、菅原さんとは一時間も顔を合わせなかったから、つい忘れてた。
菅原さんはびっくりした顔をしてる。
「え? 僕いちゃいけないの?」
「え? いや、オレ、アンタと暮らす気無いから」
「齋藤さんが仕事に行ってる間、家を綺麗にして、ご飯作って、クリーニング出しに行って引き取って。住み込み家政婦のつもりだったんだけど」
「……」
言われてみれば、この二週間、洗濯機も食洗機も炊飯器も掃除機も触ってなかった。
スーツもシャツも、いつもパリッとしてた。
少しバツがわるくなり、いやいやそんな必要ないよなと内心で考える。
「休みの日に邪魔なら、公園にでも消えるから。もう少しここに置いてよ」
「こんな寒空の下、風邪ひくじゃん。てか公園行くと、顔バレしちゃわない?」
菅原さんは軽やかに笑う。
「僕の顔は曲ほど有名じゃないよ。普通に電車に乗るし。ほら、齋藤くんにもバレなかったでしょ?」
嬉しそうに、菅原さん目を細める。
それはたまたま、オレがメディアやSNSを見ないからだよ。とは言わなかった。
「ほんと、あと少しだけ」
綺麗な眉を寄せて、長い睫毛がバサバサ音を立てるようだった。
「ええー……うーん目安は? どれぐらい?」
「今物件を探してるから。見つかれば出てくよ」
本当かなあと疑いながら菅原さんの目をみる。
一応、得体は知れてるし、いいのか?
住民票か、運転免許証でもコピーさせてもらったほうがいいかな。
小さく唸るオレを見ながら、菅原さんはにこにこしてる。
まあ、今探してるなら、そんなに遠く無いかな……。菅原さんだって、いつまでもリビングのソファで寝たくないだろう。
「分かった」
口を引き結んで、承諾する。
ちょっとの、間なら。
オレも、助かるし。




