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第一話

第一話


 今月の残業時間はすでに八十時間を突破。この土日も出勤をすれば、見事に百時間を優に超えるんだろう。

 毎日毎日終電で帰って、朝は早残。早残ってね。早朝に「残業」するんだよ。本当、もう、死にそう。生きるために働いているはずだったんだけど、いつのまにか仕事に殺されそう。

 深夜一時、オレの近所のコンビニの棚は空っぽ。朝も早いから、オレが毎日食ってんのは、お茶漬け。噛むのも面倒で、流し込んでる。

 毎日毎日頭痛がして、毎日毎日吐き気がして、毎日毎日、暗闇に溺れる夢を見る。人生おつかれさまでしたっていつやるかなあと、思う。色々やり方を調べてみるんだけど、誰にも迷惑かけない方法が未だ見つからなくて、オレは結局今日も生きている。


 夜中の二時。帰宅早々、マンションのゴミ置き場に、生ゴミを捨てに来た。朝は一分でも長く寝ていたい。

 社畜にぴったりな、二十四時間ゴミ出し可能なマンション。入り口はセンサーでいつも明るく照らされる。入り口から勢いよく生ゴミを放り投げた。と同時に、重たい響きと小さな悲鳴が聞こえた。

「痛っ」

 驚いて、奥を覗き込む。人の声が聞こえた気がした。スマホを取り出し、ゴミ置き場の奥を照らすと、細長い人がゴミに埋もれて倒れてた。いや、寝てた?

 細長いシルエットがゆらりと起き上がる。女性…じゃないな、男性だ。色素の薄い前髪をかき揚げ、その人は口元を手で拭った。

「痛い」

「え、あ、すみません!」

「切った」

 オレが放り投げたゴミ袋が当たったのか、口元を手で押さえている。

 生ゴミ、意外と重量あるもんな……。割り箸とか入ってなくてよかった。当たったら凶器だ。いや、生ゴミだけでも十分凶器なんだけど。

「……ここの人?」

 ゴミ袋の中に腰を落ちけたまま、その人が問いかけてくる。前髪の隙間からオレを見る目は、胡乱だった。声はハスキーで、集中しないと聞き取れないぐらい細い。

「あ、ハイ。そちらは……」

「ここの人に、捨てられたヒト」

 やばいのに絡まれたかも。少し焦りながら、後ずさった。

「ええ……と、すみませんでした、じゃ、あの、失礼します」

 早々に立ち去ろうと踵を返す。

「待って」

 嫌々振り返った。面倒ごとは嫌だよ、オレ三時間後には出勤なんだよ……。

「お風呂貸して。ゴミくさくなっちゃった」

 もつれそうなほど長い脚を折りながら、その男はノソノソとゴミ置き場の扉を開けてでてきた。


 隣に並ぶと、オレより少し背が高い。ゴミ置き場なんて似合わないようなオシャレな人だった。細身の黒いズボンに灰色のシャツ。

「あ、充電もしたい」

 ズボンのポケットから取り出したスマートフォンをオレに見せてくる。すでに画面が暗くなっていて、画面には胡乱気なオレの顔が映っていた。

 何をして、ゴミ置き場に捨てられるんだろ。社畜なオレですら、ゴミ置き場で寝たことはない。先日埠頭であがった事件を思い出した。どっかの舎弟かな……。こっそり盗み見たけど、小指はついてるみたいだった。

 びくびくしながら、エレベーターに一緒に乗り込む。

「何階?」

 男は、エレベーターのボタンに手をかけている。明るい蛍光灯の下、前髪の奥に見える瞳は切れ長で涼しげだった。

「六階です……」

 やっぱシャワー浴びるつもりなんだよな。部屋を知られたくない気持ちもあるけど、口元の傷をみると罪悪感にかられる。

 シュンッと音を立てて、エレベーターの扉が開いた。

「あんたを捨てた人、ここに住んでるんでしょ? 見つかったらヤバくないですか?」

 深夜で誰に聞かれるでも無いけど、ひそひそ声で廊下を歩く。都心の小洒落たデザイナーズマンション。引っ越すときは、寝に帰るだけの住処になるとは思わなかった。

「見つかったら? そのときは、また捨てられに行くよ」

「へ、へぇ……」

 乱れた髪を撫で付けながら、男は飄々と付いてくる。部屋の電子錠を開けて、室内に招き入れた。

「ここ、一人用の部屋もあるんだね」

 中に入って、男は軽く部屋を見渡す。一LDK、十畳弱のリビングにそいつを座らせ、声をかけた。

「すみません、シャワー使ってくれていいんすけど、オレ先でいいっすか。三時間後出勤なんで」

「会社員? 早いんだね」

 あんたの職業はとは聞き返さなかった。ただの他人で、数分の付き合いだ。

 レバーをひねり、頭から湯に打たれる。

 はあああああ。疲れた。

 風呂は心の洗濯だって言うけど、湯船に浸からず急ぎのシャワーじゃ仮り洗いの気分だ。

 また数時間後には、怒濤の業務量に押しつぶされてるんだろう。いつか肺まで押しつぶされそう。

 仕事のことを考えると呼吸が苦しくなって、ぜいぜい言いながらシャワーを出た。

「どうぞ。風呂入ったら、帰って。ドア、玄関もホールも、オートロック、だから。オレ、寝る」

 湯上がりの髪を乾かしもしないまま、ぜいぜいとリビング続きの寝室に向かう。肩で息をするオレに、所在なさげに座っていた男が目を見開く。

「え、大丈夫?」

 見知らぬ男に心配されることに笑える。世界にオレを心配する人が残ってたんだ。

「大丈夫、おやすみなさい」


 翌朝、スマホのアラームで目が覚めた。五時二十分。二十分後の電車に乗らないと、捌き切れない。報告書が溜まりにたまっている。

 少年事件の担当になって二年目。これでもかというぐらい、悲しい思いを抱えた子どもたちを見てきた。やりたくて、必死に勉強して就いた仕事なのに、最近はあまりに忙しくて、生きるだけで精一杯になってる。

 事件で警察署から送られてくる子どもたちの中にも、生きるだけに必死な子たちもいる。家に居場所がない子どもたちに差し伸べられるのは、救いじゃない。子どもを搾取しようとする碌でもない奴らだ。

 慢性的な睡眠不足で、まるで酔っているときのような、酩酊感でベッドから起き上がった。

 頭を片手で支えながらリビングに出ると、昨日の男が床のラグの上で、丸まって寝ていた。

 まだいたのか。ぼんやりした頭で思う。朝まで寝て帰るつもりなのかな。どうでもいいか。電子錠なので、開けたら閉めるだけだ。鍵も気にせず家を出た。


 今日も終電コース。日中は闇バイトでいいように使われた少年たちの話を聞いて、少年に興味のない保護者の話を聞いて、怒鳴られ叫ばれ、書類作業にまともに集中できるのは十九時頃から。最寄り駅に着くのは、午前一時。

 明日は七時には職場に着いていないといけない。関係者機関との打ち合わせ資料がまだ詰め切れていない。

 コンビニを覗くのも億劫で、家にあったフリーズドライの味噌汁でも飲んで寝ようと玄関を開けた。

 真っ暗な部屋を想定していたから、目に差し込んだ光がまぶしくて、一瞬目が眩んだ。

 部屋に灯りがついて、暖かい。

「あ、おかえり」

 昨日の男が部屋の中から、顔を出した。

 え、なんでいんの? 訝しむオレの様子を気にしたふうでもなく男は続ける。

「すごいね。一日中働いてるの?ご飯できてるよ。風呂も磨いて湯も張った」

「へ?」

 玄関で困惑してたら、男は大股で寄って来て、オレの手から鞄を取り上げた。

「え、なんでまだいんの。帰ってよ」

 すぐに寝ないと保たないんだよ、相手してるヒマないの。クタクタだから。

 靴を脱がないまま抗議をしたら、男は目を丸くする。

「家が無くなっちゃったから。次見つかるまで泊めて」

「無理。不退去罪で警察呼ぶぞ。早く、ほら」

 玄関の扉を大きく開ける。素直に玄関に降りた男は、背を少しかがめた。そのまま帰るのかと期待した。なのに。オレが開けたドアノブを手前に引き、パタリと閉める。

「わかった。じゃあ、ご飯の感想聞いたらね。


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