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第八話 狼の試練

 死神と謳われた異邦の剣客と、彼を導くエルフの剣士。二人は、朝餉の余韻を振り払うようにこれからの魔族との戦いについて言葉を交わしながら、冒険者ギルドの重厚な石造りの門へと向かった。


 しかし、ギルドの受付で待ち受けていたのは、期待に反する氷のような対応だった。シルフィが提示した魔族の謀略とトロール襲撃の克明な報告に対し、眼鏡の奥で事務的な光を宿した女性職員、クロエが冷淡に首を横に振る。


「申し訳ございません、シルフィ・エルヴェーナ様。貴女が当ギルドでも指折りの高位冒険者であることは重々承知しております。ですが、魔族に関する情報は現在、王命により厳重な秘匿事項となっております。外部の者には、いかなる理由があろうとも開示できません」


「なんですって!?」シルフィは思わず身を乗り出した。「街のすぐ側で実害が出ているのよ! 情報の共有すら拒むなんて、現場の状況を軽視しすぎだわ!」


 魔族の情報が慎重に扱われるのは常だが、信頼ある高位冒険者にすら協力を仰がないという。その頑なな拒絶の裏には、官僚的な怠慢か、あるいは表に出せない不都合な真実が隠されているとしか思えなかった。


「それに……」クロエは、杏四郎の漆黒の外套と、この地では見かけぬ異邦の風貌を一瞥し、さらに声を冷たくした。「お隣の男性も、身元が不明瞭すぎて信用に値しません」


「……」

 杏四郎は反論せず、ただ静かに、深々と一礼を返した。その泰然自若とした態度がかえって不気味に映ったのか、クロエは眉をひそめる。


「彼は私の『剣』として、魔族討伐に協力してくれる協力者よ。その実力は私が保証するわ。それに、彼は……」


 シルフィは言葉を飲み込んだ。隣街で恐れられた百人斬りの《死神の凶戦士(デス・バーサーカー)》だとは、逆立ちしても言えない。


「……彼は、この危機を救うために女神アルディア様の導きを受けて、遥か遠き地より遣わされた戦士だと確信しているわ」


 だが、クロエは事務的な微笑さえ浮かべず、ぴしゃりと言い放った。


「いかなる神の導きであろうと、ギルドにおいては規定こそが絶対です。彼の素性、戦闘能力、そしてこの街に対する忠誠。それらを公的な書類で証明していただかない限り、一歩も通せません」


 話が平行線を辿り、シルフィが苛立ちを募らせた、その時だった。

 奥にある重厚な樫の扉が荒々しく開き、一人の巨漢が姿を現した。


「そこまでだ、クロエ」


 鋭い眼光と、岩のように盛り上がった筋肉。現れたのは、ワーウルフ族のギルドマスター、バルドだ。彼はシルフィたちの前まで歩み寄ると、獣特有の鋭い嗅覚で杏四郎を値踏みするように見つめた。


「シルバー・エルフの嬢ちゃん。その男が只者じゃねぇことは、風に乗ってくる『匂い』でわかる。だが、この街の喉元まで差し掛かっている機密を渡すにゃあ、それ相応の信頼って奴が必要だ」


 バルドは太い腕を組み、不敵にニヤリと笑った。


「理屈は抜きだ。その男の『力』を、俺たちに見せてみろ。もし、この俺を捻じ伏せるほどの力量を示せるなら、魔族に関する情報は全て洗いざらい吐き出してやろう」


 それを聞いたクロエは「またか」と言わんばかりに頭を押さえた。いくら形態や様式が変わろうとも、ギルドは所詮力の信奉者の集まり。結局は力を示すことが正義なのだ。

 それに、何より彼の長年の勘が二人を信用に足る人間だと感じさせているのだ。

 最強の呼び声高いギルド長からの、剥き出しの挑戦状。シルフィは即座に杏四郎に向き直り、誰にも聞こえない低い声で、しかし鋼のような強さで念を押した。


「いい? 杏四郎。相手はギルドの長よ。絶対に、命だけは奪わないで。……わかったわね?」


 杏四郎は静かに、そして深く一礼した。


「御意。しるふい殿の『願い』、この命に代えても守り通しましょう」


 こうして、異世界の剣士は、魔族の情報という「嫁」への献上品を手に入れるため、街最強の獣人との一騎打ちに臨むこととなった。


──────


 ギルドの地下に広がる石造りの闘技場。砂埃が舞う円形の空間で、対峙する二人の男から放たれる闘気が激突し、大気が重く軋んでいた。


 一方は、山のような体躯を誇るワーウルフ族のギルドマスター、バルド。その手に握られた大剣は、彼の身長すら凌駕する質量兵器だ。

 対するは、小柄な影、杏四郎。顔には般若の面、そしてその腰には一見してか細い異国の刀が静かに差されている。


「狼の頭を持つ御仁と立ち合えるとは……兄上たちへの、これ以上ない土産話になりそうでござる」


 面の下から響く杏四郎の声は、恐怖とは無縁の、どこか浮き立つような純粋な喜びを含んでいた。


「ケッ、余裕じゃねぇか。俺も嫁への土産に、お前の首を取った武勇伝を語ってやるよ!」


 バルドは牙を剥き出し、獰猛な笑みを浮かべた。その鋭い鼻が、杏四郎の放つ異質な「臭い」を捉える。


「お前、噂の《街道の死神》だな。数人斬った程度じゃねぇ……骨の髄まで染み付いた『死』の臭いは、ワーウルフの鼻からは隠せねぇぞ。ギルドにもお前の討伐依頼は来てる。向こうから首を差し出しに来るとは、僥倖だぜ!」


「……死神と呼ばれているのは心外ですが、百人斬りというのなら拙者のことに相違ございませぬ。なれどご安心を。其方(そなた)を、我が刀の錆にするつもりはございませぬゆえ」


「減らず口を……死ねッ!」


 バルドが咆哮と共に動いた。巨大な大剣が、まるで木の枝でも振るうかのような豪速で旋回する。


「《暴風烈斬(テンペスト・スラッシュ)》!」


 文字通り、暴風のごとき斬撃の雨が杏四郎を襲う。一撃一撃が石畳を深く抉り、その余波だけで周囲の壁に亀裂が走る。だが、杏四郎はそれら全てを、柳の葉が風をいなすように、紙一重の境地で躱し続けていく。その身のこなしは、濁流の中を遡る一筋の清流のようだった。


(凄まじい……!)

 シルフィは固唾を飲んで戦慄した。

(さすがは数多の戦場を潜ったギルド長、場数が違うわ。あの巨剣をあの速度で振り切られたら、防御に回るだけで体力が削り取られる。杏四郎でも、懐に潜り込む隙がない……!)


 膠着を打ち破るべく、杏四郎が動いた。彼は左手をマジックバッグへと滑り込ませ、一本の長柄の獲物──「槍」を抜き放った。


「おいおい! 剣士が槍だと? 付け焼き刃の芸で俺に勝てると思うなよ!」


 バルドはさらに速度を上げ、四つの軌道が重なる連続攻撃を仕掛ける。


「《四鋼連斬(クアッド・メタル・スラッシュ)》!」


「付け焼き刃かどうか、その身で御覧じろ」


 杏四郎は微動だにしない。襲い来る剛剣の全てを、手にした槍の石突や柄で器用にいなし、絡め、衝撃の芯を外していく。流れるような塚元古流槍術──「薙」と「流」の理。


「防御一辺倒かよ! 『死神』の名が泣くぜ……!」


 バルドが言葉を言い切るよりも早く、杏四郎の槍が蛇のように大剣に絡みついた。


 ──ガキン!


 杏四郎は槍の柄元を使い、バルドが振り抜いた大剣の刀身を地面へと強引に押し付けた。不意を突かれた大剣は砂を噛み、石畳の亀裂に深く突き刺さって静止した。


「なっ……!?」


 その一瞬の硬直こそ、杏四郎が狙っていた勝機。

 彼は突き刺さった大剣の柄を、軽やかな鳥のように足場にして跳躍した。バルドが大剣を引き抜こうと力を込めた瞬間、既に杏四郎は空中で抜刀していた。


 ──ヒュッ!


 閃光と共に、杏四郎の刀が空を裂く。振り下ろされたのは刃ではなく、鈍色の「峰」。


 ゴツッ!


 生々しい打撃音が響き、ワーウルフの強靭な頭部から鮮血が噴き出した。バルドの意識は一瞬で断ち切られ、巨躯は大の字になって地面に沈んだ。


「えっ……!? 殺しちゃったの!?」


 シルフィが顔を真っ青にして叫んだ。

 杏四郎は流れるような所作で刀を鞘に納め、何事もなかったかのように静かに告げた。


「ご心配なく。……『峰打ち』にございます。しるふい殿に、命は奪うなと仰せつかっておりますゆえ」


 激突の刹那、彼は刃先をミリ単位でずらし、殺傷力を完璧に削ぎ落としていた。

 刀を納めきった杏四郎は、静かに般若の面を外した。そこには先ほどの死神の面影などどこにもない、ただ誠実に勝利を捧げる少年の顔があった。


──────


「ふう。さすがは一組織を束ねる長(おさ)。なんとも、手応えのある相手でございました。あの槍を繰り出す機がなければ、この勝負……危うかったやもしれませぬ」


 杏四郎は、のびのびと肩を回しながら深々と一礼した。その顔には、トロールを退けた時と同じ、一点の曇りもない武士の充足感が広がっている。


 バルドの意識を確認し、救護を指示したシルフィは、弾かれたように杏四郎の元へ駆け寄った。


「……信じられない。あなた、相変わらず規格外なんて言葉じゃ足りないわ。まさかあのギルド長を、あんな真っ向勝負の末に、峰打ち一撃で沈めてしまうなんて」

「いえいえ、滅相もございません」


 杏四郎は謙遜するように首を振った。


「一撃でもまともに喰らっていれば、某(それがし)の負けで終わっておりました。まだまだ、拙者も未熟にございます」


 そう言って、彼は漆黒の外套をわずかにずらした。隠れていた肩口の布が鋭く裂け、そこから覗く白い肌に、細い赤い線が走っている。バルドの烈風のような斬撃が、わずかに掠めていたのだ。


「ああ、やっぱり! 全てを避けたわけじゃなかったのね! 大変、見せて。すぐに治療するわ!」


 シルフィは慌てて距離を詰め、杏四郎の肩に手を添えた。


「某より、まずはバルド殿の方を……」

「いいのよ、あっちの方は! 専属の治療術師が飛んでくるわ。はい、動かないで。──《治癒(ヒール)》!」


 シルフィの掌から溢れ出した温かな慈愛の光が、杏四郎の傷を優しく包み込む。瞬く間に傷口は塞がり、痛みは凪のように消えていった。

 その鮮やかで温かな処置に、杏四郎は心の底からの安堵と、敬愛の念を覚えた。


「……かたじけない。治療の術までこれほど完璧にこなされるとは。嫁殿(よめどの)は、真に頼りになるお方でござる」


「だから、まだ嫁じゃないってば!」


 シルフィは顔を林檎のように真っ赤にして、抗議を込めて杏四郎の胸元を軽く小突いた。


 ──ドスン。


 その指先は、バルドの神速の連撃すら寄せ付けなかった杏四郎の胸に、確かな重みを持って届いた。


「……あ」


 シルフィは驚いたように自分の手を見つめた。


「当たった……。初めて、あなたの体に、私の攻撃が当たったわ」


 杏四郎は、小突かれた胸元をそっと押さえ、どこまでも穏やかに微笑んだ。


「はい。その一撃ばかりは──全く、避ける気が起きませんでしたゆえ」

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