第3話 永遠への支度と炎の指輪
地下深くの切羽は、今日も重機が泥を掻き出す轟音と、鼻をつく削岩の粉塵に満ちていた。
七十三歳になった土屋昭男の皺だらけの掌の中で、親指ほどの太さを持つ含水爆薬のカートリッジが、鈍い光を放っている。泥にまみれたその筒は、一見するとただの無骨な工業用品に過ぎない。しかし、今の昭男にとって、それはただの火薬ではなかった。
彼女をこの残酷な世界から連れ出すための、たったひとつの魔法の鍵。あるいは、永遠を誓い合うための歪な結納品だった。
昭男が作業現場から少しずつ爆薬と電気雷管を盗み出すのは、造作もないことだった。
厳重な管理体制が敷かれているはずの現代の土木現場であっても、抜け穴は必ずある。ましてや、実行犯が透明人間であるならばなおさらだ。
昭男は半世紀近く現場の泥を啜ってきた古株でありながら、誰の記憶にも残らない男だった。若い現場監督も、気の荒い同僚たちも、昭男のことをただそこにある古い重機の一部のようにしか認識していない。誰も彼の瞳の奥に宿る暗い炎など見ようとしないし、彼が作業着の奥に冷たい雷管を隠し持っていることなど、微塵も疑わなかった。
作業着のポケットに火薬の重みを感じながら、昭男はかつての苦い記憶を呼び起こしていた。
あれは昭和の終わり、彼が三十代半ばだった頃のクリスマスイブだ。
いつものように彼女の足元へ通った昭男は、展望台へ向かうエレベーターの列に並ぶ恋人たちを暗がりから見つめていた。仕立ての良いコートを着た男が、美しい箱に入った宝石を女に手渡し、女が歓声を上げる。そんな光景があちこちで繰り広げられていた。
その時、昭男は強烈な劣等感と無力感に苛まれた。
自分は、愛する彼女に何も贈ってやれない。
そもそも、三百三十三メートルの威容を誇る鋼鉄の女神に、人間のちっぽけな宝石など何の意味があるだろうか。彼女の巨大な身体を飾るには、圧倒的な光と熱が必要だ。日の当たらない地の底を這いずり回るだけのモグラである自分には、彼女にふさわしい贈り物など一生手に入らないのではないか。
その絶望の底で、昭男はふと、自分が毎日暗闇で扱っている火薬の存在に行き当たったのだ。
地の底に眠る強大なエネルギーを圧縮し、一瞬にして爆発させる破壊の力。あの暗闇を真昼のように照らし出す強烈な閃光と、すべてを溶かすような熱量。
そうだ。あれこそが、人間の安っぽい宝石とは違う、真の光だ。地の底で泥にまみれて生きる自分だけが、空高くそびえる彼女に捧げることができる、唯一無二の炎の指輪なのだと。
その気づきは、昭男の愛をより深く、狂気的なものへと純化させていった。
八月半ば。お盆の湿った熱気が東京のアスファルトを茹で上げる夜。
昭男の暮らす四畳半の古いアパートには、エアコンの涼しい風など存在しない。しかし、汗だくになりながらリュックサックに火薬を詰め込む彼の心は、かつてないほどの静謐に包まれていた。
一つ、また一つと、丁寧に結線された爆薬の束をリュックの底へ沈めていく。
それはまるで、愛する者に贈る花束を束ねているかのようだった。ひんやりとした火薬の感触が、狂おしいほどの愛情となって昭男の指先から全身へと伝わっていく。三十年以上かけて心の中で練り上げてきた贈り物を、ついに彼女へ渡す時が来たのだ。
明日だ。明日の夜、俺たちは一緒になる。
荷造りを終えた昭男は、ふと部屋の隅にある小さな鏡に目を向けた。
そこに映っていたのは、社会の底辺で泥水をすすってきた惨めな老人の姿ではなかった。愛する花嫁を迎えに行く、ただ一人の誇り高き男の顔だった。背筋は自然と伸び、空虚だった瞳には、夜空の星よりも鋭く、澄み切った光が宿っている。
窓を開けると、熱帯夜の風に混じって、遠くの街のざわめきが聞こえた。
お盆の時期、人々は帰るべき故郷へと向かい、死者の魂がこの世へと戻ってくる。自分たちのような、どこにも帰る場所を持たない者たちがこの世を去るには、これ以上なく相応しい時期だと思えた。
昭男は窓枠に手をつき、見えない彼女に向かって、かすれた声でそっと囁いた。
「待っていてくれ。最高の贈り物を持っていくから」
使い古されたリュックサックは、ひどく重かった。
しかし、その重みこそが、彼の人生で初めて手にした確かな希望の質量だった。昭男は満足げに目を閉じ、明日の夜、赤く燃え上がる鉄骨に抱かれる自分自身の姿を、静かに夢見ていた。




