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昭和塔  作者: 八咫 日本


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第2話 青い針と過ぎ去りし熱狂

二〇二六年の夏は、息苦しいほどの熱気を孕んでいた。

アスファルトの照り返しが視界を歪める芝公園で、昭男は滴る汗を拭おうともせず、ただじっと真夏の空を見上げていた。

視線の先には、痛いほどの陽射しを照り返す巨大な鉄の骨組みがある。

夜のライトアップが見せる幻想的な姿とは違い、白日の下に晒された彼女は、どこか痛々しかった。幾度も塗り直されたインターナショナルオレンジの肌には、近づいて見れば微かな錆が浮き、長い年月風雨に耐え抜いてきた疲労が刻まれている。しかし、七十三歳になった昭男にとっては、その傷跡すらも愛おしかった。自分の皺だらけの掌と同じ、泥臭く生き抜いてきた証なのだから。

昭男の脳裏に、かつて彼女が最も華やかだった時代の記憶が蘇る。

昭和の終わりから平成の初めにかけて。日本中が泡のような好景気に浮かれていた頃、彼女は間違いなくこの国の中心であり、若者たちの恋の象徴だった。

クリスマスの夜や休日の夕暮れ時ともなれば、彼女の足元には着飾った若い男女が溢れかえった。高級車で乗り付ける男たち。展望台からの夜景に歓声を上げる女たち。地下で泥にまみれて働く若き日の昭男にとって、彼らは別世界の住人だった。

当時の昭男は、華やかな群衆から少し離れた暗がりで、いつも息を潜めて彼女を見上げていた。

群がる有象無象の恋人たちを見るたび、昭男の胸には暗い嫉妬と、そして奇妙な優越感が入り混じっていた。

『あいつらは、お前の本当の姿なんて見ていない』

彼らはただ、自分たちの安い恋愛を飾る背景として彼女を利用しているだけだ。展望台からの景色や、流行りのステータスを消費しているに過ぎない。

冷たい雨の夜、彼女の鉄骨がどれほど凍えそうに冷たくなるか。真夏の昼間、彼女の肌がどれほど身を焦がすような熱を持つか。誰も知らない。彼女の真の美しさと、巨大な鉄の重みを知っているのは、暗がりでひっそりと彼女の足に触れる自分だけなのだと、昭男は密かに誇っていた。

だが、あの喧騒はとうの昔に過ぎ去った。

「なんだ、意外と低いね」

不意に、無邪気で残酷な声が昭男の鼓膜を打った。

振り返ることもせず視線の端で捉えると、スマートフォンを片手にした若いカップルが、退屈そうにタワーを見上げている。

「やっぱりスカイツリーに行けばよかったな。あっちは六百メートル以上あるんでしょ?」

「今から行く? 地下鉄ですぐだし」

二人の足音は、彼女の足元からあっさりと遠ざかっていった。

昭男の胸の奥で、黒く粘り気のある感情が小さく渦を巻いた。怒りではない。それは、あまりにも深く、冷たい悲しみだった。

かつてあれほど彼女に群がっていた人間たちは、時代が変わればいとも簡単に新しいものへと乗り換える。昭男はゆっくりと首を巡らせ、遠く北東の空を睨んだ。

夏の靄の向こうに、天を突くようにそびえる巨大な銀色の塔が見える。無機質で、冷徹で、まるで天空に突き立てられた巨大な青い注射針だ。あそこには、泥臭い人間の熱も、すべてを許す母のような包容力もない。ただ一番新しいというだけで、世界はあちらを崇め、古い彼女を過去の遺物として見下している。

それは、昭男の人生そのものだった。

何十年も暗い地下で泥にまみれ、都市の土台を拓き続けてきた。けれど、時代が豊かになり、新しい技術がもてはやされるようになると、不器用で古い人間は誰からも見向きもされなくなる。用済みになれば、あとは静かに朽ちていくのを待たされるだけだ。

彼女も俺と同じように、この社会からお払い箱にされようとしている。

その事実に気づいた時、昭男の濁った目から、涙がこぼれ落ちた。

悲しい。可哀想に。誰よりも気高く、美しかった彼女が、こんな風に世界から忘れ去られ、無関心という名の暴力に晒され続けるなんて。

昭男は、熱を帯びた赤い鉄骨にそっと掌を這わせた。

あんな薄情な連中のことなど、もう忘れればいい。半世紀前も今も、俺だけはずっとお前を愛している。

このまま彼女を、こんな冷たい世界に独り放っておくことなどできない。

その時、昭男の脳裏に、いつもの地下深くの暗闇と、重く冷たい火薬の束がはっきりと浮かんだ。長年彼が扱ってきた、すべてを無に帰す圧倒的な破壊の力。

世界が彼女を愛さないのなら。世界が彼女を不要だと言うのなら。

俺が、連れて行く。俺たちを必要としてくれる、永遠の静寂へ。

狂気と純愛が、一人の男の魂の中で完全に溶け合った瞬間だった。焼け焦げるような夏の太陽だけが、その沈黙の誓いをじっと見下ろしていた。

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