第10話「腹ペコ猫vsオタク事件・3」
「で、何のご用だったんですか」
バネッサは不機嫌そうに、カレーをスプーンで口に運んだ。
結局、店では食べられなかった。
いつもの牛丼屋のカレーを、デリバリーしてもらったのだ。
「すみませんでした」
テツはしゅんとして、ベッドの横で正座している。
バネッサが気づいて止めなければ、あちこちの関節を外されるところだったらしい。
ここは、オリヅルとパトラが今夜宿泊するツインの部屋だ。
「お前なあ、場所を考えろよ。駅前でってありえないだろう」
オリヅルが、窓際の椅子で缶ビールを傾けながら呆れている。
サイドテーブルには空いた缶が転がっていた。
そこそこ酔っているようだ。
「あ、あたし、だ、だったら、そ、その場で……」
パトラは、バネッサの横に座って、フルフルと震えながら怒っている。
その場でどうするつもりだったのだろう。
バネッサは、パトラが少し怖くなった。
「あの、俺、サインが欲しくて」
「は? サイン?」
明日の出席者の一人に、職人ギルドのギルドマスターであるマグナがいる。
現代の三大名工と呼ばれる彼の、過去の有名な作品のひとつ。
それが、テツの自慢の魔道具であるセンサー――探索装置――だった。
裏蓋にサインをしてもらいたい。
しかし、テツは建物外の警備担当で、会場には入れない。
会場警備を担当するオリヅルとパトラにも、即座に断られた。
社長であるクロエには、当然頼めない。
残る知り合いは、バネッサしかいなかった。
しかし、ホテルに入られてしまうとバネッサに会えないため、やむなく駅前で待っていたということらしい。
「昨日の夜、食事に来ればよかったじゃないですか」
「……オリヅル先輩とパトラに止められると思って」
オリヅルは新しいビールの缶を手に取りながら、横目でテツを睨んだ。
「まあ、確かに。そんなこと言い出せば止めていたな」
「……俺、マグナ先生の作品、大好きでして。……将来、金を貯めて、先生の作品を全部集めたいと思っているくらいです」
テツが息を吸った。
そして、一気にまくし立てる。
「とにかくすごいんです、マグナ先生は。遅咲きの名工って言われてて、四十五歳の時に作った阻害装置の出来がすごすぎて、周りの職人から嫌がらせされたけど、全然めげずに、それから毎年のようにすごいものを作って、あ、五十二歳の時に作ったセンサーがまたすごくて、UIが画期的と言われたんです。でもね、それね、へへ、実は先生が二十代のころにすでに作品に出していた機構で、ただ初心者向けということで全然評価されてなくて、これ知ってる人、結構いなくて。まあ、俺くらい先生のこと追ってないと気がつかないっていうか」
「うるさい! 黙れ!」
カーン。
オリヅルが、空になったビール缶をテツの頭に投げつけた。
空き缶が、ベッドの横を転がる。
バネッサはその缶を見ながら、カレーの最後の一口を飲み込んだ。
立ち上がり、洗面所のドアを開ける。
テイクアウトの容器を、洗面台で軽くすすいだ。
容器をビニール袋に入れ、深いため息をつく。
もう、恥ずかしくて、今夜は外に出られない。
昨日オリヅルとパトラに聞いた、美味しい地元料理が食べたかった。
洗面所から部屋に戻る。
「あの、テツさん。サインと『男にしてください』というのが、よく分からないのですが」
ゴミ箱に容器の入った袋を放り込みながら、バネッサは聞いた。
口を開こうとしたテツが、恐る恐るオリヅルの方を見る。
苦い顔をしたオリヅルは、しぶしぶ頷き、発言を許可した。
「あの、俺、奥魔会って、あの、奥羽魔道具同好会というところに入ってて」
「ふんふん」
「そこで、俺の新しいセンサーを自慢したくて。あの、すごく苦労して手に入れたんで。でも、そしたら……ルリルリ先輩って商人の人が、九州ですごい魔道具を見つけてきて……その……」
「それで?」
「……みんな、ルリルリ先輩ばっか見るようになって……悔しかったんです。だから……すごいマグナ先生の、すごい作品に……先生ご本人のサインがあれば、また……みんなに……みんなの注目、もらえるかな……と」
くだらない。
そう笑い飛ばそうとして、オリヅルは口を閉じた。
テツの顔が、真剣に真っ赤になっていたからだ。
商会に入った頃の彼は、気弱な痩せぎすの少年だった。
オリヅルは、絶対に半年も持たないと思っていた。
魔道具に異様な執着があり、オリヅルの同期でもあるハコネが持っていたセンサーに、ずっと憧れていた。
そのハコネが、戦闘職特化の試験に合格したら格安で譲ってやるよ、と声をかけた。
半ば励まし。
半ば冗談。
だが、目の前のテツは、七年かけて肉体を強化し、鍛錬に鍛錬を積み重ねた。
そして、本当に試験に合格したのだ。
「……馬鹿が」
オリヅルは、缶ビールを握ったまま、ぼそりと言った。
「テツ。お前は……大馬鹿者だ」




