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第3話 狂乱のガーディアン


 ゲートの境界膜を抜けた瞬間、鼓膜を打つ気圧が変わり、肺を満たす空気が濃密なマナの味へと変質した。


 そこは、見渡す限りの大樹海だった。

 空は、地球ではあり得ない紫色と橙色が混ざり合った極彩色。

 頭上には、物理法則を無視して浮遊する『浮き島』の群れが、巨大な岩塊となって雲間を漂っている。

 遠くからは、聞いたこともない猛獣の咆哮と、風が奏でるような植物の衣擦れの音が響いていた。


 アキラは大きく息を吸った。

「ふぅ……、やっぱり僕はこっちの空気の方が好きだな」


 腰に当てたアキラの腕にシュナがスッと手を回す。


「私も人界より、こっちが好き」


「まだ来たばっかりだよ」


「ふふ、あの日の約束をお忘れですか?約束は約束ですッ」


「分かってるけどさ……しかし、何度見ても素晴らしい。キミもそう思うだろ、シュナ」


 アキラは、年季の入った大型のリュックのベルトを握りしめたまま、感嘆の息を漏らした。その瞳に映っているのは、壮大な景色そのものではなく、足元に広がる名もなき植生だ。


「見てくれシュナ。これは『王冠カビ(クラウン・モールド)』の亜種だ。ほら、菌糸が王冠のような形に発光しているだろ?ただ、これは亜種だから王冠の形が少し違うんだ。地球なら湿度80%以上の魔素溜まりでしか培養できない幻の菌類が、ここでは雑草のように自生している!」


 アキラは子供のように目を輝かせ、膝をついてルーペを取り出そうとする。


 だが、シュナはアキラからパッと手を放し、その場から動かない。

 彼女は鋭い視線を森の奥、鬱蒼と茂る木々の闇へと向けていた。


「アキラ。……観察は後で。風の匂いが変わった」


 シュナの声に含まれた警告の響きにアキラの手が止まる。

 彼はゆっくりと立ち上がり、眼鏡の位置を直した。


「……ああ。イヤな匂いがするね」

 アキラもまた、視線を森の奥へと向けた。


 そこには、幅数メートルにわたって木々がなぎ倒され、地面が黒く焼け焦げた道と、その奥には広場が出来ていた。自然災害ではない。明らかに、強大な魔力による破壊の痕跡だ。


「『使徒』……かな」


「……おそらく。この焦げ臭さ……通過して数日ってところね」


 シュナが焼け焦げた大木の幹に触れ、煤を指先で拭う。


 先行する敵、闇の魔導士を崇める狂信者たち。

 彼らは隠れることすらしていない。

 圧倒的な暴力で障害を排除し、一直線に目的の場所――アーティファクトが眠る地へと進軍していた。


「指令書に書かれていた最初の座標は、この森を抜けた先にある『賢者の遺跡』だ。だが……」


 アキラはリュックを持ち直し、破壊された森を見渡した。

 無残に焼かれた植物たち。

 その光景に、アキラの瞳の奥で静かな怒りの色が揺らぐ。


「奴らはただ進んでいるだけじゃない。通った道の生態系を根こそぎ焼き払っている」


「魔道省が動いてる事に気付いて、追手を阻むため。あるいは……ただの愉悦でしょう」


 シュナの言葉に、アキラが短く吐き捨てるように「下劣だな」と言った、その瞬間だった。


 ズウゥゥゥゥン……!!


 大気を震わせる重低音と共に、地面が激しく隆起した。

 魔鳥たちが一斉に飛び立ち、森の空気が凍りつく。


「――来ます!」


 シュナがアキラの前に立ちふさがる。

 森の奥、焼き払われた道から姿を現したのは、山のように巨大な『獣』だった。

 六本の脚を持つ、巨大な狼のような姿。

 その体高は5メートルを下らない。

 この森の生態系の頂点に君臨する『森の主』だ。


「……おとなしいガーディアンがあんなに怒り狂うなんて、何が……」


 アキラは左手のトランクを強く握りしめた。


 その姿は異様だった。

 本来、光輝く金色の美しい毛並みはドス黒い粘液に覆われ、全身から『黒いいばら』のようなものが突き出し、肉体を内側から食い破っている。


「グオオオオオオオオオッ!!!」


 獣は苦悶と狂気が混ざった絶叫を上げると、アキラたちに向いた。

 その瞳は赤く濁り、理性の光は欠片もない。


「狂っている……? いえ、あの気配は闇の浸食を受けているのね」


 さっきまでアキラに甘えていた瞳が一瞬で爬虫類の縦孔へと変わり、愛らしい右手が、鋼鉄をも引き裂く凶悪な『竜の爪』へと変貌する。


「アキラ、彼がこちらに来るようなら排除します。彼はもう自我を失っています」


 シュナが迎撃の構えを取る。

 SSランクの彼女なら、狂った獣を殺すことなど容易い。


 ――だが。


「ダメだ、シュナ。殺すな!」


 アキラの鋭い声が響いた。


「でも、既にガーディアンは!」


「シュナ!よく見て。首元!!」


 アキラは冷静に観察眼を光らせていた。


 獣の首元には、肉に食い込むように埋め込まれた『黒い水晶』が脈打っており、そこから皮膚を隆起させながら、根のような触手が脳へと伸びている。


「『呪棘核』だ。黒棘樹の種晶……神経に根を張って暴走させる!」


「呪棘核!?解除できるの!?」


「まだ脳まで食い切ってない。間に合う!」


 アキラは慌てながらリュックを地面に下ろし、トランクを広げ、魔草の調合セットを掴んだ。


「森の番人にまで打ち込むなんて……狂ってる」


 アキラが言い切るより早く、ガーディアンの巨躯がこちらへ傾ぐ。


「アキラッ!来ます!もう迎え撃つしかありません!」


「殺しちゃダメだ! 彼はこの森に必要なんだ!」


 暴走する巨大獣が、目の前まで迫る。

 アキラは息を整え、手にした試験管のコルクを親指で弾き飛ばした。 中から溢れ出したのは、攻撃魔法の光ではなく、鼻を突くような強烈な消毒液の匂いと青白い煙が立ち上った。


「……シュナ、30秒だけ抑えてくれ。その間に『寄生根』を根絶やしにする薬を作るから!」


 6本の脚が爆発的な加速を生み、5メートルの巨体が砲弾となって迫る。

 全身から突き出した黒い茨が触手のようにうねり、制止させることすらも困難にさせていた。

 呪いによって自我を見失ったガーディアンは耳を裂くような咆哮を上げながら襲い掛かる。


「……分かったわ、アキラ」


 シュナが前に出る。


 彼女は武器を持たない。

 華奢なその身一つが、最大の盾であり矛だ。

 激突の刹那、 衝撃波が周囲の大木をなぎ倒し、土煙が舞い上がった。


 拮抗。


 それはまるで巨木を細枝が押し返すような光景だった。

 シュナは、突進してきた巨大狼の鼻先を部分的に竜の鱗に覆われた片手の掌だけで受け止めていた。


 ギチチ、と嫌な音が響く。

 圧倒的な質量の差に、シュナの腕を覆う真紅の鱗に亀裂が走り、鮮血が滲む。

 それでも彼女は一歩も引かない。

「30秒」という主の命令だけが、彼女を支えていた。


「……まったく。殺さずに制圧しろなんて、アキラはいつも無茶を言う……!」


 シュナが苦悶の声を漏らす。


 相手はSランク相当の魔獣。

 本気で殴れば粉砕してしまうが、手加減をして抑え込むには、相手の質量が大きすぎる。

 狼は理性を失った瞳で吠え猛り、黒い茨をシュナの体に巻き付けようとする。


 一方、その背後でアキラは戦場に似つかわしくない精密作業を行っていた。


 リュックから取り出したのは、小瓶に入った『強酸性の溶解液』と乾燥させた『腐食花』の粉末だった。

 胸ポケットから取り出した配合表を片手でめくりながら、トランクから取り出した小さな天秤で分量を計る。


「大きさからして重さはゾウと同じくらい、10mlもあれば十分だな。神経系に癒着した『闇の根』だけを枯らしつつ、宿主の肉体は傷つけない調合比率は……1対1.5くらいか。」


 アキラの試験管を持つ手が微かに震える。

 しかし、それは恐怖によるものではなく、ミリグラム単位の調合ミスが森の主の脳を溶かしてしまうという緊張感だ。


 背後では、アキラの30秒を死守するシュナの戦いが続く。

 戦場の土煙が舞う中、アキラはまるで実験室にいるかのように淡々と作業を続けた。


「あと10秒!」


 叫ぶのと同時に、アキラは杖を取り出し、試験管に魔力を掛ける。


「来い、来い来い来い……紫になれば完成だ……」


 透明だった液体は試験管の底から、蛍光色の青から緑、そして紫へと変化した。


「よし、反応完了!――シュナ、あごを上げさせて!」


 アキラが試験管を握りしめ、駆け出した。

 対象に直接狙い撃つ必要がある。


「ハァァァァッ!!」


 シュナが気合いと共に、狼の下顎を下から突き上げるように押し上げる。


 巨大な首がのけぞり、暴走の原因である『黒い水晶』が埋め込まれた喉元が露出した。

 狼の鋭い爪がアキラを切り裂こうと迫るが、アキラは止まらない。

 息の合った連携でシュナが、自分の身を盾にしてその爪を受け止める。


「――今ですッ!!」


 龍鱗が輝く片腕でガーディアンの腕を止めたシュナが叫ぶ。

 アキラは迷わず、露出した水晶の根元へ試験管を突き刺した。


「悪いね、少し染みるよ!」


 ジュワアアアアアアッ!!


 薬液は泡と煙を発生させながら、呪棘核に作用した。

 アキラが調合したのは、特定の魔力配列を持つ植物細胞だけを瞬時に壊死させる、いわば『除草剤』だった。


「ギャ、ア、ガ、ギ……ッ!?」


「シュナ、ガーディアンを抑え込んで!痛みで暴れる!」


 アキラの叫ぶ声にシュナはガーディアンの頭を地に抑えつけた。


「鎮まりなさい、ガーディアン!あなたはアキラに救われたのです!」


 地に伏せられたガーディアンの強い力の抵抗も次第に弱まり、最後には弱々しく痙攣を始めていた。


 埋め込まれていた黒い水晶が光を失い、ボロボロと崩れ落ちていく。

 同時に、全身を覆っていた黒い茨が急速に干からびて灰になった。


 そして、次第に狼の赤い瞳から狂気が消え、本来の知性ある金色の瞳が戻りつつあった。


「よかった、ひとまずは成功だ。シュナ、キミのおかげだ、ありがとう」


 アキラはその場にへたり込み、笑った。


「アキラの調剤も見事でした」


 シュナが優しく微笑んだ。


 アキラは立ち上がり、ガーディアンに近づく。

 膝をついた狼の首元に手を添え、患部を覗き込むと、残った根の残骸をピンセットで丁寧に引き抜きはじめた。


「よしよし、暴れるなよ、まだ根っこが残ってる。これを取っちゃえばもう大丈夫だからね」


 アキラの丁寧な処置はしばらく続いた。



 ◇◇◇



 アキラの治療を受けたガーディアンは、大人しくその場に伏せ、粗い息を吐いていた。吸い取られた魔力が回復するにはまだ掛かりそうだった。


 アキラは休むことなく、次は傷ついたシュナの腕に治療薬を塗る。

 竜族の再生力は高く、傷は塞がり始めていたが、それでも彼は塗らずにはいられなかった。


「いつも無理させてごめんね。大丈夫かい?」


「ありがとう、アキラもケガがなくてよかった」


 手当を終えた二人は狼を見上げた。


「……正気には戻ったようだが、ひどい衰弱だ。魔力も生命力マナもごっそり吸われている」


 狼が低く唸り、何かを訴えるようにアキラを見た。

 言語は通じない。

 だが、竜であるシュナには理解できた。


「アキラ……。彼は礼を言っています。そして……警告も」


「警告?」


「『我は時間稼ぎに使われた』と」


 シュナが狼の言葉を翻訳する。

 その内容は、アキラの想定よりも遥かに深刻だった。


「奴ら――『使徒』たちは、更に奥へと進んで行ったそうです。ですが、遺跡へ辿り着くには、この広大な樹海を抜け、さらに『嘆きの渓谷』を越えねばならない」


 シュナの表情が曇る。


「奴らは、要所要所で同じような『呪い』を打ち込み、森の番人たちを狂わせているようです。――追手を阻む防壁として」


 アキラは深く息を吐いた。


「……彼らに罪はないというのに」


「……アキラとのデートコースが全部、地雷原に変わったってことね」


 シュナが呟いた。


 アキラはリュックを背負い直すと、自分に言い聞かせるように呟いた。


「その呪い、全部引っこ抜いていこう。森を荒らすことも、そこに住む生き物を苦しめることも許せない」


 アキラは森の奥、黒く焼かれた道を睨みつけた。


「シュナ、行こう。やつらを追いかけよう。これ以上、森を好き勝手させたくない」


 アキラはガーディアンに寄り添い優しくたてがみさすった。


「……ガーディアン、ムリせず、ゆっくり休むんだ。僕たちは行くよ」


 ガーディアンは力を振り絞って立ち上がり、長い遠吠えを上げた。

 それに呼応するように、森の奥から無数の獣たちの声が響いた。


「アキラ、ガーディアンが『森の仲間たちにアキラを助けるように伝えた』と言っています。それと、『ありがとう。道中、気を付けて』と」


 アキラはニコリと笑うと、リュックを背負い直し、森の奥へと力強く歩を進めた。


 しかし、数日後、アキラに災難が降りかかろうとは、この時はまだ誰も知らなかった。



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