第2話 魔草学者と魔導省
三年後
日本・東京
一般の地図には決して記されない地下300メートル地点。
そこに、巨大な官僚機構『人界魔導省・日本支部』が存在する。
吹き抜けの巨大空間を無数の『連絡用折り鶴』が渡り鳥の群れのように飛び交い、旧式の鉄格子エレベーターが蒸気を吐きながら行き来している。
その最奥、重厚なマホガニーの扉で閉ざされた『魔導省、法務執行部』、部長室。
「――お断りします。お言葉ですが、管轄違いも甚だしいかと」
川場アキラは、デスクに置かれた羊皮紙を指先で弾いた。
着古した白衣からは、微かに薬品と土の匂いが漂う。
「僕は魔草学者です。荒事は、戦闘専門の『戦闘魔導官』の仕事でしょう。僕は『月光草』の株分け実験で一分一秒が惜しいんです。目を離すとすぐに枯れるんですよ、あの子たちは――」
アキラは心底イヤそうに眼鏡の位置を直した。 だが、対峙する部長、ジョーンズは動じない。
背後の暖炉では緑色の炎が不吉に揺らめいている。
「そう言うな、川場博士。事態は一刻を争うのだ。……これを見たまえ」
ジョーンズが杖を振ると、デスク上の『地球儀』が回転し、空中に幻影を投影した。
それは異世界『ヴェイル』の地図だった。
だが、ただの地図ではない。
三つの地点から、どす黒いインクのようなシミが広がり、地図を浸食しようとしている。
「……三年前、君が立ち会った『分霊の儀式』を覚えているか?」
ジョーンズの声が低く響く。
「……えぇ、もちろん」
(シュナと出会うキッカケとなった日だ。忘れるわけがない。――それだけじゃない。僕もシュナも散々、魔導省の尋問でイヤな思いをしたんだ。)
「奴らの目的は『闇の大魔導士ナフェルの完全復活』なのは、キミも知るところだと思う」
ジョーンズはデスクに肘をつき、握った両手を口元に当てて、アキラを見据えた。
「ヤツは老いた肉体と魂を切り離し、世界各地の『指定封印物』を触媒に、完全なる不老不死での復活を目論んでいる」
「……不老不死?」
「バカげた話だと思うか?」
「ええ、そんなものは夢物語、いや、世迷言だと思います」
「――だが、その秘術の存在の可能性は否定されていない」
部長は引き出しから一枚の写真が入った報告書の写本をデスクに滑らせた。
「その事前準備が、あの『分霊の儀式』だったわけだ。そして、実際にナフェルは肉体と魂を分離出来ている」
その瞬間だった。
アキラの背後でピクリと空気が凍りついた。
シュナの美貌から表情が消え、ただ純粋な殺気だけが部屋の温度を急激に下げていく。
かつて自分を地獄へ落とした張本人への、どす黒い憎悪。
「……落ち着いて、シュナ」
アキラは背中で彼女を制しつつ、ジョーンズを睨み返した。
ジョーンズは一瞬、シュナに目を向けるが、またすぐにアキラに向き直った。
「こう聞けば、自分らも無関係とは言えまい?」
「何が言いたいのか分かりません。それに、その儀式と、この地図。何の関係が?」
アキラにしては珍しく強い口調で否定し、本題を促した。
「儀式の完成には10個の『指定封印物』が必要となることが分かっている」
ジョーンズが杖で地図をトン、と叩く。
すると、地図上の黒いインクのシミが、まるで生き物のように脈打ち、じわりと広がった。
「3つは既に奪われた。……見ての通りだ。この黒いシミは、奴らが打ち込んだ『呪いの座標鋲』による汚染拡大の跡だ」
「……汚染?」
「奴らはアーティファクトの封印を解くのに、かなり強力な呪いを打ち込むようだ」
ジョーンズは続ける
「その影響で周辺の土地が呪力で枯れているらしい。ヴェイルの魔導省が解呪しようにも、タチの悪い類らしくてな。相当時間が掛かってるようだ」
ジョーンズの説明にアキラの表情が険しくなる。
「なんてバカげたことを……」
ジョーンズの握った手の内側で、彼の口角が少し動いた。
「……キミになら、この事態の悪さが分かるだろう?」
「残り7カ所……、ですか」
アキラの声色が、研究者のそれに変わる。
「そうだ。奴らが全てを揃えれば、ナフェルは不老不死の肉体を持って復活し、世界の理は崩壊する。……当然、人界もヴェイルも、この世は地獄絵図となるだろうな。勿論、キミがこよなく愛する魔草だってタダでは済まないだろう」
アキラはため息をついた。
国家の存亡や 境界の崩壊より、生態系の崩壊は魔草学者としては見過ごせない気持ちは強い。しかし、今は温室の温度管理の方が彼には重要だ。月光草にはそれだけの価値がある。
そもそも、戦闘員でも諜報員でもない、「ただの魔草学者」がなぜ、そんな世界の救世主みたいな事をしなければならないのか、彼には全く理解できなかった。
「……そもそも、なぜ僕なんですか」
「ヴェイルの魔導省から『人界の魔導士をもっと補充せよ』とのお達しがあってな。とはいえ、ただでさえ人手不足な魔導省だ。今、動けるのは君たちしかいないんだよ。それに――」
ジョーンズはアキラの後ろに控えるシュナを覗き込むように頭をずらす。
「シュナ君は、この件の当事者だ。彼女には奴らと戦えるだけの強さと……動機もある。違うか?」
その問いに対して、シュナはジョーンズから目を逸らすことはなかったが、なにひとつ返事を返すことはなかった。
「どちらかといえば、それが本当の理由っぽいですね。――魔導省はシュナを危険に晒せと?」
「そうは言っていない。我々がシュナ君に命令を下せないことは分かっているだろう? 『竜の掟』において、マスターは絶対だ」
ジョーンズは机から少し身を乗り出した。
「――だから、それを判断するのは川場博士……、キミだよ」
アキラはジョーンズの目に光がないことに気付いた。彼が発する言葉は『強制』以外の何物でもなかった。
しかし、アキラの返答は、ジョーンズが思い描いていたソレとは違った。
「――お断りします。他を当たってください。僕に出来ることは、せいぜい生態系の回復の仕事くらいでしょう」
迷いのない拒絶。
この命令の裏で蠢くものが何か、アキラには想像もできなかったが、本能が「受けるべきではない」と叫んでいる事だけは分かった。
アキラが一礼の後、踵を返し、ドアノブに手をかけようとした、その時、 背後から部長の事務的で、それゆえに絶対的な声が響いた。
「そうか。残念だ」
羊皮紙に自動筆記の羽根ペンが走る、乾いた音がする。
「ならば、来期の君の魔草研究費は大幅にカットするしかないかもな。――いや、研究室の維持費も計上できないな。君の愛する温室は取り壊し、地下13階の廃棄物処理場へ……ああ、あそこは確か、湿度が常に90%を超えるから、乾燥地帯を好む『月光草』は一日で根腐れするだろうな」
ドアノブを握ろうとした手は宙に放たれたまま、 アキラの背中が凍りついたように硬直した。
研究者にとって予算の凍結、実験環境の剥奪とは、「死ね」と言われるよりも辛い、学術的死刑宣告だ。
アキラはジョーンズに背を向けたままに言葉を発した。
「……じゃあその研究費、他所から引っ張ります」
苦し紛れの強がり。
「それが出来る余地を私が残しているとでも?」
ジョーンズはアキラの言葉に間髪入れずに返した。
「……部長」
アキラはゆっくりと、油の切れたブリキ人形のように振り返る。
その表情からは感情が消え失せ、ただ、予算を人質に取られた社畜の悲哀と静かな怒りが混ざり合っていた。
「その7つの座標。……心当たりはあるんですか」
ジョーンズは口元だけを僅かに吊り上げながら、羊皮紙を一枚、アキラの方へ滑らせた。
そこには、古代ルーン文字で記された最初の目的地が浮かび上がっていた。
「当然、特定してある。詳細については、そこに書いてあることが全てだ。あとは現地に派遣されている他の魔導官達との情報交換から得てくれ」
ジョーンズは背もたれに寄りかかる。
「……頼んだぞ、川場博士。……シュナ君、君のような美しい子を異世界の泥臭いところに行かせるのは忍びないが、まぁ、頼むよ」
その言葉にシュナの視線はまるで暗殺者のような冷たく鋭い。
「……マスターの頼み以外を聞くつもりは全くありません。」
アキラは羊皮紙をひったくるように掴むと、無言のまま会釈をし、部屋を出た。
シュナがその後ろに続き、閉まる扉の隙間から、ジョーンズへ冷ややかな視線を一瞥させることは忘れなかった。
「……今の魔導省には『雑草係』を養うほどの余裕はないのだよ。大いに働いて貰うぞ」
ジョーンズはふん、と鼻で笑いながら小さく呟いた。
◇◇◇
数時間後。
アキラの研究室。
「アキラ。本当にいいの? これは実質的な戦争への介入になります」
旅の支度を始めているアキラにシュナは心配そうに問いかけた。
「仕方ないだろ。予算がおりなきゃ研究もできない。それに……」
アキラの口と同時に、手も止まり、視線はどこを見るでもなかった。
アキラの脳裏に浮かんだのは、かつて見た儀式の惨状と、地図を汚していた黒いシミ。
「部長のあの言い方が気になる。シュナと魔導士の関わりが、まだ継続している可能性があるなら、こちらから先に、その不穏の芽も摘んでおきたい」
「優しいのね。……そういうところ好きです」
シュナの言葉にすこし困ったような複雑な表情を浮かべたまま、アキラは荷物の準備を再開した。
「アキラ、いつもよりアイテムが多めですね」
机の上で開かれたトランクケースの中をシュナが覗き込む。
「……うん、今回は戦闘になる確率が高そうだから、魔草学者なりの準備をね」
「アキラ、これを何ですか?」
シュナが小瓶に詰められたドライフラワーを指差す。
「シュナ、触ってはいけないよ。それは即効性の麻痺毒を持つ『雷鳴花』のドライフラワーだからね。それと、その隣のピンクの種は触れたものを溶解する『消化蔓』の種子。どれも危険な魔草達だよ」
アキラはシュナを背に保管庫からアイテムを選ぶ。
「アキラの事は私が守りますよ」
「ありがとう。でも、僕の悪いクセだね、アイテムはあればあるほど安心する」
「アキラらしくていいと思います」
「そんなこと言ってくれるのはシュナだけだよ」
シュナはアキラの横顔を見つめた。
三年前、あの暗いダンジョンで初めて見たその顔と、今の顔は、少しだけ違う気がした。
何が違うのか、彼女にはまだうまく言葉にできなかったけれど。
午後の陽射しが差し込む研究室は優しい空気に包まれていた。
◇◇◇
一時間後。
魔導省のさらに最下層。
次元の裂け目を人工的に固定した『第4ゲート』の前。
そこは、人界とヴェイルを繋ぐダンジョン、彼らは「通勤口」と呼んでいた。
アキラとシュナは、異世界行きの旅装を整えて通勤口の前に立っていた。
ゲートの向こうからは、人界とは異なる濃密なマナの風が吹き込んでいる。
アキラがゲートの境界に触れると、空間が水面のように波紋を広げ、二人の姿を飲み込もうとする。
「行こう、シュナ。最初の目的地にむけて、憂鬱な通勤時間の始まりだ」
「はい、マスター。私がいれば何も問題ありません」
アキラはリュックを背負い、トランクケースを持ち直すとゆっくりと歩を進めた。
二人は境界を越え、広大な魔法世界への入口に足を踏み入れていった。




