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第18話 旅立ちの朝


 アキラたちが滞在して数日が経った。


 隠れ里トネリコの朝はとても静かだった。

 激戦の痕はまだ残っている。

 倒れた柵は半分ほどしか直っておらず、砕けた見張り台の残骸も、まだ広場の隅に積まれたままだ。

 それでも、村の空気はもう終わりの匂いではなかった。

 神樹の根元、黒ずんだ樹皮の裂け目の奥に、確かに生の色が戻っていた。


「……よし」


 アキラはしゃがみ込み、神樹の幹にそっと手を当てた。


「根の脈動も安定してる。これなら大丈夫そうだ」

「本当によかったですね」

 隣で見守っていたシュナが、ほっと息をつく。


「うん。完全じゃないけど、ここから先は村の人たちでも看ていけると思う」

 アキラは立ち上がり、少しだけ名残惜しそうに神樹を見上げた。

「……もう、次に進める」


『すすむ』

 背後から、たどたどしい声がした。


 振り向くと、ベルカが誇らしげに胸を張っていた。

 耳をぴんと立て、尻尾は朝日を受けてふわふわに膨らんでいる。

『ぼく、もう、いっぱい、しゃべれる』


「いっぱい、ではないかな」

 アキラが苦笑する。


「でも初日よりはかなり進歩してる」

『えらい?』

「えらいよ」

『くるみ、もらえる?』

「結局そこなんだ」

『だいじ』

「知ってるよ」


 シュナが横で吹き出した。

「語彙はまだ少ないのに、欲望だけは真っ直ぐ伝わってきますね」


『ことば、だいじ』

 ベルカは真面目な顔で言い、それから少しだけ視線を伏せた。


『ちゃんと、つたえる。たいせつ』

 その一言に、アキラの表情が少しだけやわらかくなる。


「うん……それは本当に大事だね」

 アキラはベルカの頭を撫でた。



 小屋へ戻ると、大量に増えたキメラ素材が置かれていた。


「なんだかんだと、かなりの量になりましたね」

 それぞれが布に包まれ、簡単な注釈が添えられている素材を見て、シュナは笑った。


「うん、悔しいけど、バルトロマイが選んだキメラの素材はどれも一級品ばかりだよ」

 アキラは革紐でそれらを束ねながら答えた。


「全部持っていくんですか?」

 シュナが問う。


「うん。ベルカの亜空間に預けることにしたよ」

『そう、まかせろ』

 アキラは笑って頷く。

「この先で武器屋か、加工に詳しい人に会えたら、形にしたい」

「どこかの集落にいるといいですね」

「あとで長老に聞いてみようか」


 その時、小屋の外で少しだけ騒がしい声がした。


「だから待てと言っておるだろう!」

「でも、もう時間がないんだってば!」

 アキラとシュナが顔を見合わせる。


 次の瞬間、戸が勢いよく開いた。


「アキラさん!」

 そこに立っていたのは紫焔花の火傷もやっと落ち着き、日常生活を取り戻したユラだった。

 その背には弓を携え、旅用の小さな袋まで肩に下げている。


「……やっぱり来た」

 シュナが小さく呟く。


 その後ろから、サヤとユラの母が追いついてきた。

「まったく、この子は……」


 サヤが杖をついて息をつく。


「言い出したら聞かなくてのう」


 ユラはまっすぐアキラを見た。

「やっぱり私、行きたいです。バルトロマイを追う旅に、連れて行ってください」


 小屋の中の空気が静かに張る。


 アキラは、すぐには答えなかった。

 ユラの目を見る。

 数日前より揺れていない。

 恐怖は消えていないはずなのに、その上にちゃんと意思が乗っている。


「傷は?」

「もう大丈夫です」


 ユラは正直に答えた。


「歩けるし、弓も引けます」

「僕たちが危険な旅をしていることは理解してる?」

「……簡単じゃないのは分かってます」


 ユラは唇を結ぶ。


「ちゃんと考えました。この村に残ったら、私は一生後悔する」

「父さんの仇だから、ってだけじゃない」

「またどこかの村が同じ目に遭うのを知ってるのに、見ないふりはできない」


 ベルカが、アキラの肩の上で耳を立てた。

『ほんき』

「うん、そうみたいだね」


 ユラは一歩前へ出た。

「それに私は、アキラさんたちみたいになりたい」

「怖くても、それでも誰かを守れる側に立ちたい」

「……だから、連れて行ってください」


 小屋の中で、しばし沈黙が落ちた。

 最初に口を開いたのは、サヤだった。


「アキラ様」

 老女は静かに言った。

「この子は里の弓手としてはまだ未熟です。ですが昨日、命を賭ける覚悟だけは見せました。ここに残れば、いずれ里を支える者にはなれるでしょう。……けれど、外へ出なければ、見ることのできぬものもある。考えてやってはくれぬだろうか」


 ユラの母が、少しだけ不安そうに娘を見つめる。

 だがその表情には、ただ止めたいだけではない、何かを受け入れようとする苦しさもあった。


「本当は、行かせたくないよ」

 母がぽつりと言う。

「でも、この子の目を見てると……ここで止めたら、たぶん一生恨まれそうで」


「うっ」

 ユラが詰まる。

「恨みはしないけど……」

「あんた、する顔してるよ」

「……ちょっとはするかも」

「ほら」

 場に、ほんの少しだけ笑いが漏れた。


 アキラは深く息を吐いた。


 それから、ユラへ向き直る。


「条件が三つある。聞ける?」

「はい、どんな条件でも、守ります」

「……言う前に言っちゃう、それ?」


 アキラは呆気にとられた。


「それだけ本気だと思ってください」

 ユラの背筋が伸びる。


「一つ。無茶はしないこと」

「二つ。独断で飛び出さないこと」

「三つ。危ないと判断したら、僕かシュナの指示を優先すること」


 ユラは、食い入るように聞いていたが、言葉が終わるより早く深く頭を下げる。

「はい!全部守ります!」


 ベルカがすかさず前脚を上げる。


『クルミ、もつ』


「えっ?」

 ユラがきょとんとしながら、ベルカを見る。


『にもつ。もつ』


「荷物持ちにする気ね、この子」

 シュナが呆れたように額を押さえる。


『しんいり、きほん』


「見た目に反して体育会系パーティ……?」

 ユラが笑顔を引きつらせる。


 アキラは思わず吹き出し、それから小さく頷いた。

「……じゃあ、改めて」

 彼は手を差し出した。

「よろしく、ユラ」


 ユラは驚いた顔をしたあと、その手をしっかり握った。

「はい! よろしくお願いします!」

 その瞳は、昨日までの村娘のものより、少しだけ確かな光を宿していた。


 ◇◇◇


 旅立ちの準備は、思ったよりすぐに整った。


 出発の準備を整えたアキラ達は集落の入口に立っていた。

 樹皮地図をもう一度広げたアキラに、サヤが進路を確認する。


「東の裂け谷を抜け、霧樹の村へ。そして、その先の森にクシャナがおります」


「賢者クシャナ……」

 シュナが呟く。


「あの……賢者クシャナは会ってくれるでしょうか?」

 アキラの問いにサヤが頷く。

「気難しく、人を嫌うがね。話くらいは聞いてくれるはず。あとはアキラ様、あなた次第かと」


 サヤは付き人に手渡された樹皮に書かかれた書簡をアキラに手渡した。


「この書簡は霧樹の村の長に。彼女もまた気難しい性格だが、これがあれば、あなた方を受け入るかどうかの判断の足しにはなると思う」

「ありがとうございます。……あ、そうだ。それともう一つお聞きしたいんですが」

「分かる事なら、なんなりと」

「この先に武器や防具の職人、あるいは素材加工に詳しい人を知りませんか?」

「……例のキメラ素材のことだね?」

「はい。専門家に見てもらう方が間違いないかと思いまして」


 サヤは少し考えると、ある人物を紹介してくれた。


「それなら、霧樹の村のはずれに、グリムドというドワーフ族の男が住んでおる。ちとクセがあるが、彼なら力になってくれるやもしれん」

「ドワーフのグリムド……。ありがとうございます。訪ねてみます」


 やがて、集落の入口に人々が集まり始めた。

 大きな見送りではない。

 けれど、助けられた者たちが、それぞれ感謝の言葉とともに立っている。


 ユラの母は、何度も娘の髪を撫でてから、首に木彫りの小さな御守りをかけた。

「これ、父さんのだったやつ」

 ユラが目を見開く。

「いいの?」

「良くないけど、持ってきな」

 母は少し泣きそうな顔で笑った。

「どうせ言っても聞かないんだから、せめて帰ってくる目印くらい持っていきなさい」

 ユラはぎゅっとその護符を握りしめた。

「……うん」

 サヤは最後に、アキラたちの前へ出た。

「アキラ様、シュナ様、ベルカ様。――そしてユラ」

「この先の道は険しい。ですが、我らトネリコは皆さまの無事を祈っております」

「どうか、生きて戻ってきてください」


 アキラは深く頭を下げた。

「必ず!」

 シュナも一礼する。

「この里の恩、忘れません」

 ベルカも慌てて前脚を下げる。

『ありがと』


「うむ。ちゃんと喋っておるな」

 サヤが少しだけ笑った。


 こうして、一行は新たに四人となった。


 先頭を歩くのは、いつものようにアキラ。

 その右にシュナ。

 左肩にはベルカ。

 そして、その少し後ろに、弓を背負ったユラが続く。


 樹海の入口で、ユラは一度だけ振り返った。

 隠れ里トネリコ。

 傷はまだ残る。

 けれど、神樹はしっかりと立っている。

 母も、サヤも、村の人々も、こちらを見ている。

 村の子供たちが大きく手を振っていた。

 ユラは大きく息を吸い、深く頷いて、大きく手を振った。


「……行ってきます、みんな!」


 アキラが言う。

「バルトロマイを追う」

「はい」

『いく』

「行きましょう」

 四つの声が重なる。


 朝の光の中、一行は樹海の奥へ歩き出した。

 賑やかな仲間たちを見て、アキラは少しだけ微笑んだ。


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