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第19話 裂け谷の道


隠れ里トネリコを発って、二日ほど。

一行は教えてもらった迂回路となる獣道を、黙々と進んでいた。


道は細く、左右をせり出した岩壁と巨大な樹根に挟まれている。

頭上では枝葉が幾重にも絡まり、昼だというのに薄暗い。

しかも少しずつ、足元の土が石へ、石が崖肌へと変わり始めていた。


「これが……東の裂け谷へ続く道か」

アキラは樹皮地図と前方の景色を見比べながら呟いた。


「思ってた以上に狭いですね」

シュナが周囲を見回す。

「大型の魔獣は入り込みにくそうですが、その分、私たちも戦いにくいです」


「それがこの道の利点でもあり、欠点でもあるね」

アキラが頷く。

「隠れて進めるけど、見つかったら逃げ場が少ない」


「じゃあ、ますますベルカの索敵が大事だね」

ユラが言うと、アキラの肩の上でベルカが胸を張った。


『ぼく、まかせて』

「お、だいぶ滑らかだ」

ユラが微笑む。


『れんしゅう、した』

「昨日の夜、寝落ちる寸前まで一人でぶつぶつ言ってたわね」

シュナが少し呆れたように言う。


ベルカは得意げに鼻を鳴らした。

『ことば、たいせつ』

「うん、偉い偉い」

アキラが頭を撫でると、ベルカは満足そうに目を細めた。


その様子を見て、ユラが少しだけ羨ましそうに笑う。

「ベルカも途中加入だよね。元から仲間だったみたい」

「ベルカは最初から距離感が近いからね」

アキラが答える。

「たぶん君にも、すぐ慣れるよ」

『なれる』

ベルカが即答する。

『でも、クルミ、いる』

「条件付き!?」

ユラのツッコミが森に響く。

『たいせつ』

「それしか言ってない気がするんだけど……」

ユラが思わず吹き出す。


ユラはつい何日か前まで、こんなふうに他人と軽口を叩く余裕はなかった。

それを自分でも少し不思議に思っていた。

旅の空気は、まだ新しい。

けれど、彼女にとって不思議と居心地は悪くなかった。


道が細くなるにつれて、会話は自然と少なくなった。

崖下から吹き上がる風が、時折、低い唸り声のように谷へ響く。

裂け谷はまだ見えていない。

だが、大地がどこかで断ち割られている気配だけは、空気の流れから伝わってくる。

アキラは足を止め、岩壁の脇に生えた灰色の苔に目を留めた。


「……これ、普通の岩苔じゃないな」

しゃがみ込んで指先で触れる。

表面は乾いているのに、内部は妙に弾力がある。

しかも、わずかに魔力を含んだ風が触れるたび、苔の先端が同じ方向へ傾いていた。


「また魔草ですか?」

ユラが覗き込む。


「うん。風喰苔かざはみごけだ」

「裂け谷の魔力を帯びた強い気流を食って育つ変種だね。魔力を吸収すると一定方向に力を流す習性があるんだ」

アキラは苔を少しだけ削り取り、紙へ包んだ。

「これは使えるかもしれない」

「本当に学者さんなんですね」

ユラが目を丸くする。

「そうだよ」

アキラは笑った。

「珍しいものは、なるべく見逃さない方がいい」

「全部持っていくんですか?」

「全部は無理だよ」

アキラは苦笑いを浮かべた。

「でも、使い道が見えたものは拾う。後で必要になるかもしれないから」

シュナがその横顔を見つめて、少しだけ微笑んだ。

「キメラ素材といい、こうして見ていると……まるで狩猟民ですね」

「そうかもしれない。魔導省クビになってもヴェイルでなら生きていけそうだよ」

アキラは笑いながら、包みをトランクへしまう。

「戦った相手も、通った土地も、無駄にしたくないんだ。それが、次の戦いで役に立つかもしれないから」


ユラはその言葉を聞いて、少しだけ考え込んだ。

父の仇を討ちたい。

バルトロマイを止めたい。

その気持ちははっきりしている。

でもアキラは、仇だけを見て進んでいるわけではない。

道に生える苔や、壊れたキメラの殻や、焼けた神樹の若芽まで、全部をちゃんと見ている。


(……だから、強いのかもしれない)


ただ戦うだけじゃない。

守るために拾い上げて、次へ繋げる。

それが、アキラの良さであり、強さなのだと、ユラは少しずつ理解し始めていた。


昼を過ぎた頃、道は急に開けた。

樹々の切れ間の先、大地がまるで爪で引き裂かれたように裂け、深い谷が口を開けている。


「これが東の裂け谷……」

アキラが呟く。


谷は想像していたよりもはるかに広く、深い。

底が見えない。

吹き上がる風が鋭く、乾いていて、足元の小石をさらっていく。

その裂け目の縁を這うように、細い山道が続いていた。

ところどころ崩れ、枝橋のような足場で繋がれている。


「うわ……」

ユラが思わず声を漏らす。

「これ、ほんとに道?」

「たぶん『道だったもの』かな」

アキラが苦笑した。


「落ちたら、たぶん助かりませんね」

シュナが静かに言う。


『たすからない』

ベルカも神妙な顔で頷く。


「そうだね。だから慎重に行こう」

アキラはそう言って、トランクの横ポケットから細い紐の束を取り出した。

昨日、集落で支給された丈夫な補助ロープだ。


「ユラ、これを腰に」

「え?」

「慣れるまで、僕と繋ぐ」

「い、いいんですか?」

「いいも何も、最初は必要だよ」

アキラは当たり前のように言った。

「足場が悪いところで見栄を張るのが一番危ない」

ユラは少しだけ悔しそうにしながらも、素直に頷いた。

「……分かりました」


シュナは前へ出て、谷側に身体を向けた。

「私が外側を歩きます。いざとなったら擬態を解いて竜の力で受け止めます。飛ぶのは難しいですが、落下を緩めることくらいなら」


「助かるよ」

アキラが短く礼を言う。


「ぼく、うえ」

ベルカは岩壁を伝って少し高い位置へ駆け上がっていた。

『ユラ、おちるなよ』

「それ、ベルカに言われるのちょっと癪なんだけど」

ユラが言うと、ベルカは得意げに尻尾を振った。


裂け谷の道は、想像以上に過酷だった。

一歩ごとに足場を確かめなければならない。

崖下から吹き上がる風で身体が持っていかれそうになる。

しかも、時折、道の脇に生えた白い細枝が、風に合わせて不自然に揺れる。


「止まって」

アキラが手を上げた。


全員が足を止める。


彼は道端の白い枝を見つめ、それから小石をひとつ拾って投げた。

枝へ触れた瞬間、枝の端っこ、太くなっている部分がヘビの口のように開いて石を噛み砕いた。


「……やっぱり擬態蔓か」

アキラは低く言う。

「何の気なしに踏んだ瞬間、足首を嚙み切ってくるタイプだ」

ユラの顔が青ざめる。

「いやな罠すぎる……」

「でも、ここにいるってことは、谷風に強いってことでもある」


アキラはその白い蔓を根元から切り取った。

切り離された端が激しくのたうつのを押さえつけ、手早く紙で包む。


「……それも持っていくんですか?」

ユラがイヤそうな顔をしながら後ろから覗く。


「使い道が見えたからね」

「今ので?」

「うん」

「早すぎません?」

「そう?」


ベルカが頷く。

『アキラ、へん』

「ベルカに言われたくないな」


シュナがふっと笑いを漏らす。

「でも、実際そういうところがアキラの強みなんでしょうね。敵の性質を、怖がるだけで終わらせない」


「……たまに大やけどするけどね」

アキラは少しだけ照れたように咳払いし、切り取った蔓をしまった。

「ともかく、これには気を付けてね」

「はい」

「うん」

『キュ……あーあー、うん』

ベルカは発声を整えて言い直した後、少しだけ満足そうに笑った。


夕方近く。

どうにか一行は、裂け谷を見下ろす岩棚の洞窟へ辿り着いた。

「今夜はここで野営しよう」

アキラたちは手早く野営の支度を進めた。


――夕食後。

アキラはベルカの亜空間にしまっていた素材を取り出してチェックをしていた。

ベルカはアキラの隣で、人語の練習を一人で繰り返している。


焚火の前、ユラが隣に座るシュナに声を掛けた。

「あ、あの……、シュナさんって、竜族……誇り高きレッドドラゴンなんですよね」


「……そうよ。『誇り高き』は他人が勝手に言ってるだけだけどね」

シュナはハーブティーを飲みながら答えた。


「失礼な質問かもしれないんですけど……、なんで擬態したままでいるんですか?本当の姿なら圧倒的な強さですよね」

ユラは少し怯えながら伏し目がちに聞いた。


その言葉にシュナは少し笑って、ユラに身を寄せ、耳元で囁く。


「好きな人の前では常に美しくありたいからよ。女なら分かるでしょ?」

「えっ!」

意外な返事にユラが驚く。


その声に、集めた素材のチェックをしていたアキラが一瞬だけ顔を向けたが、また何かブツブツ言いながら、手元に視線を戻す。


「ふふ、なんてね。本音ではあるけど……、それだけじゃないわ」

シュナが意地悪く笑った。

「……擬態の完全開放するには、この大陸では目立ちすぎるからよ」

「目立ちすぎる?」

「そう。完全解放すると私の魔力が一気に放出されるわ」


シュナが片手を開くと赤いオーラがふっと湧いた。


「この大陸には竜族がいないでしょ?私の魔力を感知した魔獣たちが「竜があらわれた」と、一斉に大騒ぎし始めるでしょうね。恐れを抱いて逃げ出すものもいれば、テリトリーを守るために襲撃してくるものもいるでしょう。そうなれば、敵にも、私たちの居場所が感知されてしまうわ」


シュナが手を閉じる。

魔力が通常の魔導士並みに収まる。


「私の力はアキラの武器であり、盾でもあるの。それなのに、私のせいでアキラを危険に晒すのはおかしいでしょ?」

シュナが笑う。


「……シュナさんのアキラさんに対する愛をすごく感じます」

ユラは少し頬を赤くした。


「そうね。自分の命よりも大事な人よ」


「……ちょっと羨ましいです」


二人はアキラを眺めた。


「拳を守る外殻、流路の制御に展開補助……、風の向きの先読み、拘束と撹乱……」


「いつもあんな感じなんですか?」

ユラが小声で言う。


「小さい男の子と同じよ。夢中になると、いつもあんな感じ」

シュナも小さく頷き、笑った。


アキラは二人の視線に気づかず、メモ帳に簡単な図を描き始めた。


「拳を覆う外殻。その内側を走る導管。衝撃は外殻から内部構造へ逃がす。展開する小型魔導陣。選択式属性付与もいいな……。もしこれが組めれば……」


彼は自分の右手を見つめる。

「一撃だけでもいい……」


ユラはその言葉を聞きながら、焚き火の向こうのアキラを見た。


この人は、勝った戦いのあとでも止まらない。

次のために、いつも考えている。


その姿は少し怖くもあり、でも不思議と目が離せなかった。


「アキラさん」

「ん?」

「その武器……できたら、強くなるんですか」

「たぶん、今よりはね」

アキラは苦笑した。

「でも、いきなりすごいものができるわけじゃないよ。壊れるかもしれないし、僕の腕の方が先に死ぬかもしれない」


「縁起でもないこと言わないでください」

シュナが即座に突っ込む。


「でも、必要なんだ」

アキラは火を見つめたまま言う。

「この先、たぶん今までよりもっと、僕自身が前に出なきゃいけない場面が増える」

「ずっと君たちに守られてるだけじゃ、追いつかない」


焚き火がぱちりと鳴った。


ユラはしばらく黙っていたが、やがて自分の弓を膝へ置く。

「私も、強くならなきゃ」

「昨日の一射はうまくいったけど、あれは……きっと何度も使えるものじゃないし」


「うん」

アキラが頷く。

「だからお互い少しずつだよ」

「君はまだ旅に出たばかりだ。焦る必要はないよ」

「……はい」

ユラは小さく返事をした。


その時、ベルカが焚き火の近くで胸を張った。

『ぼく、もっと、しゃべる』


「お、やる気だ」

アキラが笑う。

『いまのうち、れんしゅう』

「今のうち?」

『へいわなとき、ゆだんしない』

「ベルカもちゃんと考えてるんだね」

ユラはベルカの心意気に感心した。

『とうぜん、みならえ、しんいり』

ベルカはどや顔で頷いた。


シュナが肩を震わせる。

「その心意気は大事ね」


アキラは、笑いながら焚き火へ小枝を足した。

谷の向こうでは、風が長く低く唸っている。


アキラは、広げた素材を静かに畳む。


「……明日も早い。休もう」

「はい」

「うん」

『やすむ』


三人と一匹の返事が、夜の岩棚に重なった。

裂け谷の風は冷たかった。


それでも焚き火の円の中だけは、不思議と温かかった。


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