第11話 黄昏湿地帯と幻惑茸
翌朝、アキラたちは出発の支度を進めながら、次の進路について話し合っていた。
「船でもあれば、この広大な湖畔を突っ切りたいところだけど、迂回していくしかなさそうだね」
アキラは地図を見ながら、迂回ルートを指差していた。
「キュウ、キュキュウ……」
「この先どちらに迂回しても湿地帯があって、その先はまた樹海が始まるそうです。――で、その森の中には、地図に載っていない隠れ集落があると言っています」
アキラはベルカの案内をシュナが翻訳したのを聞くと喜んだ。
「それはありがたい情報だよ!ベルカ、本当にキミはよく知ってる。そこで補給ができれば、その先も安心だね。――さぁ、行こうか」
アキラの笑顔にベルカは気持ちが少し暖かくなった。
陽光を反射して煌めく湖面は、これまでの過酷な樹海歩きを忘れさせるほどに美しい 。
アキラの左肩では、ベルカがいつものように満足げに毛繕いをしている。
しかし、その瞳は時折、アキラの右腕にしっかりと抱きついているシュナに向けられていた。
ベルカは、アキラの温もりを直接肌で感じ、同じ目線で語り合えるシュナを、羨望と微かな焦燥の混じった目で見つめていた 。
「ベルカ、そんなにじっと見つめてどうしたの? お腹でも空いたかい?」
アキラが優しく声をかけ、ベルカの頭を指先で撫でる。
「キュ……」
ベルカは小さく鳴き、アキラの指に頬を寄せた。
けれど、心の中では叫んでいた。
(シュナはずるい。本当は竜なのに。僕も高位魔法が使えたらな……)
ベルカは少しモヤっとした。
鏡の湖での幻影騒ぎから一夜明け、一行は湖畔エリアを抜け、湿地帯に入ろうとしていた。
だが、そこは予想外の難所だった。
「……ハックシュンッ!! ズビッ!!」
アキラの肩の上で、ベルカが盛大なクシャミをした。
「大丈夫かい、ベルカ?」
「キュウ……(ダメ……鼻がムズムズして、何も匂わない……)」
ベルカの目は涙目で真っ赤になり、自慢の鼻は完全に詰まっていた。
「きっと、これに反応してるんだね」
アキラが指差した先には、背の低い大きな青から紫色のグラデーションが美しい花びらを持つ、『黄昏花』が一面に咲き誇っていた。
ベルカのアレルギー症状の原因は、黄昏花の花粉に反応しているものだとアキラは考えていた。
「参ったな。この『黄昏湿地』は、地図だと真っ直ぐ抜ければいいだけなんだけど……」
アキラは視界不良の霧を見渡した。
5メートル先も見えない濃霧。
しかも、この花粉には方向感覚を狂わせる微弱な毒が含まれている。
「ベルカの鼻が頼りだったけど、これじゃあ使い物にならないね」
「アキラ、擬態を一部解いて、私の翼で吹き飛ばしましょうか?」
シュナが閃いたと言わんばかりに笑顔でアキラに提案する。
「いや、下手に風を起こすと、地面の胞子まで舞い上がって余計にひどくなる。……それに、ベルカが死んじゃうよ」
「キュウゥゥ……(もう死にそう……)」
ベルカはアキラの襟に顔を埋め、グッタリしている。
「仕方ない。僕がナビをするよ」
アキラは眼鏡を拭き直すと、足元のジメジメした地面に生える苔を観察し始めた。
「……この『磁気苔』はね、微弱な地磁気に反応して北側にだけ胞子を伸ばすんだよ。――だからね……」
アキラはマグナ・モスの表面を手で払うと、大量の胞子が舞い上がった。
「……ほら、全部一斉に同じ方向に飛び始めた」
「わぁ、本当ですね。アキラは本当に植物の事を良く知ってます」
全ての胞子が同じ方向へと向く不思議な光景にシュナは声を上げた。
アキラの地道な植物観察によるナビが始まった。
だが、進み始めて数時間。
「……アキラ、おかしいですね。さっきもこの変な形の岩を見ましたよ?」
シュナの指摘に、アキラが足を止める。
確かに、見覚えのある岩だ。
「磁気苔に従って北に進んでいるはずなのに……まさか、磁場がねじれているのか?」
アキラは立ち止まり、どうしたものかと考え始めていたその時、霧の奥から地響きが聞こえ始めた。
「……なんだ?」
アキラがズレたメガネを直す。
「アキラ、下がって!」
シュナが咄嗟にアキラの前に立つ。
現れたのは、高さ3メートルはある巨大なキノコのような植物だった。
だが、その傘の下には、無数の「目玉」のような模様があり、ギョロリとアキラたちを見下ろしている。
『幻惑茸』
花粉を撒き散らし、獲物に幻覚を見せて同じ場所を歩かせ、疲れ果てて倒れたところを養分にする魔草だ。
「……なるほど。僕らを迷わせていた犯人は君か。磁気苔の胞子の向きすら、幻覚で見誤らせていたんだな」
「アキラ、焼き切りますか?」
シュナの右腕が竜のそれへと変わりかけた、その瞬間。
幻惑茸は威嚇するように傘を反転させ、裏側の目玉模様の隙間から黒ずんだ粘液を滴らせた。
「待って、シュナ!」
アキラが鋭く制する。
「あれは『腐息茸』系の反応だ。強い刺激を与えれば、神経毒入りの胞子を一気に吐き出す!」
「……焼いたら、湿地ごと毒霧になるってことですか」
「そういうこと。力押しは最悪の相手だよ」
アキラは腰のポーチから「厳重に封印された黒い小瓶」を取り出した。
「グルル……」
キノコが威嚇するように笠を震わせ、さらに濃い花粉を噴射しようとする。
「シュナ、ベルカ!口を閉じて、この場から離れて!」
アキラは指示と同時に、小瓶をキノコの根元へ勢いよく投げつけようとした、その時だった。
幻惑茸の巨大な傘がぶわりと膨らみ、今までより濃い花粉が一気に噴き出した。
「……ッ、アキラ……! 視界が……」
シュナが一瞬よろめく。
肩の上のベルカも「キュウゥッ!」と涙目で暴れた。
「今しかない……!」
アキラは袖で口元を押さえ、小瓶を握り直す。
「悪いけど、菌類同士で仲良く喧嘩してくれ!――これは僕の特製品だ!」
アキラは幻惑茸に叩きつけるように小瓶を投げつけた。
パリンッ!
割れた瓶からドス黒い緑色の「カビ」が爆発的に広がった。
アキラが投げつけた瓶の中身は『共食いカビ(カニバル・モールド)アキラスペシャル』だった。
それはキノコ農家を困らせていた、他の菌類に寄生して養分を吸い尽くす害菌を、アキラが回収し、攻撃用に品種改良したものだった。
「僕の研究室で、攻撃性の強い菌糸だけを選別して、培養したカニバルだ。相当強いと思うよ!」
「ギ、ギィィィィ……ッ!?」
緑色のカビは、猛烈な速度で幻惑茸の表皮を侵食していく。
笠がボロボロと崩れ、美しい模様が緑色の膿に変わる。
それは魔法のような一瞬の破壊ではなく、早送りで映像を見ているような「急速な腐敗」だった。
数秒もしないうちに、巨大なキノコは原形を留めないヘドロの山へと変わり果てた。
同時に、周囲を覆っていた濃霧がスーッと晴れていく。
「……うわぁ、初めての実戦投入だったけど、想像以上の食欲だ。あとで中和剤を撒いておかないと、生態系が変わっちゃうな」
アキラはリュックから薬剤やマスク、試験管などを手際よく用意する。
崩れ落ちたキノコへ歩みより、その中から、無事だった胞子をピンセットで採取し始めた。
「ミラージュ・マッシュの胞子も研究室戻ったら、培養してみよう。なにか武器に使えるかも」
「ックシュッ! ……キュッ?(あれ? 鼻が通った!)」
ベルカの目が輝き、元気に飛び跳ねる。
「キュウッ!(アキラ! 臭いのが消えたよ!)」
「よかった。さあ、霧が晴れているうちに湿地を抜けよう」
霧が晴れた先には樹海がまた広がっていた。
「あぁ、よかった。やっと湿原を抜けられたね」
アキラが安堵のため息をこぼす。
「キュウ~」
「『この先に隠れ集落があって、そこで補給が出来る』ってベルカが言ってますよ」
シュナが微笑みながら樹海の奥を指差した。
一行は足元のぬかるみを踏みしめながら、隠れ集落へ向かって歩き出した。
その様子を、霧の奥から黒マントの女が睨んでいた。
「……また壊した」
女は舌打ちし、崩れた幻惑茸の残骸を一瞥する。
「でも、いいわ」
「次は、もっと面白いことになる」
彼女の視線は、一行が消えていった樹海の奥へ向いていた。
その先にあるのは、地図に載らない隠れ集落。
「せいぜい集落を楽しむといいわ」
くすりと笑うと、黒マントの女は霧のように消えた。




